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尾道散策その2~浄泉寺・常称寺・西國寺~

2015-07-23 21:37:18 | 広島
2015年7月20日、尾道散策しました。尾道散策その1の続きです。

浄泉寺
浄土真宗本願寺派の寺院です。
「開基は、大永5年(1525)に宗円が現在の木ノ庄町市原の地に一精舎を建立したのが始めで、その後慶長元年(1569)に現在地に道場を移した。寛永8年(1631)改築した本堂が、元禄15年(1702)の大火で類焼し、安永10年(1782)再建、明治22年(1888)堂舎炎上、同25年(1892)から本堂の再建にかかり、同44年(1911)十二間四面総欅造り本堂が岡山邑久の宮大工の最後の人といわれている宮大工棟梁田渕勝義・勝敏父子の手になり竣工した。その大屋根には畳16畳という鬼瓦を東西に頂き瀑布の流れ下るような瓦の波は近在随一の大伽藍であることを物語っている。」

尾道市西久保町2-2
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手水舎、「離垢」の銘文は頼陽山の筆です。



鐘楼
「享保8年(1723)9月に建立され、明治24年(1891)山陽鉄道開通にともない現在地に移建されました。梵鐘は文政10年(1827)4月に鋳造され、口広三尺、高さ六尺あります。第二次世界大戦の折、金属回収令により供出されましたが、昭和20年(1945)終戦後、岡山玉野の精錬所で発見、無傷で返還されました。」







本堂

大屋根の上には畳16枚くらいの大きさの鬼瓦が有名です。久保八幡神社の境内からパチリ。

















細い路地を西に歩きます。
常称寺
「鎌倉時代後期の正応年間(1288~1293)に、時宗二祖真教上人によって創建されたと伝わる古刹である。神奈川県藤沢市清浄光寺を本山とする。現存の本堂は、室町中期の建築で、外観を和様、内部構成を禅宗様とし、内陣・外陣と脇陣を一体空間とするなど、中世時宗本堂の特徴をよく表わしている。」

尾道市西久保町8-3
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観音堂(重要文化財)





本堂(重要文化財)

六地蔵



細い路地を通って、西國寺に向かいます。

れんが坂





西國寺
「真言宗醍醐派大本山で、天平年中(729~749)、僧行基の開基と伝えられる。治暦2年(1066)火災にかかり本堂、五重塔などことごとく焼失した。当時の住職慶鎫和尚は、京都仁和寺の性信法親王に師事し、白河院を頼って復興を願い、金堂など七堂伽藍が再建された。官寺として末寺も百数ケ寺を数える備後備中安芸にわたる西国一の大寺となった。天仁元年(1108)から七帝御国忌の不断経修行が命じられたが、度々武士団の侵略にあった中断し、寺領も尾道浦一円を残すのみとなっていた。」
説明書

尾道市西久保町29-27
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山門(県指定重要文化財)
「室町時代末期の桜門形式の仁王門です。」2mを超える巨大な草履が目を引きます。







境内より





手水舎

手水鉢



案内図

持善院、塔頭寺院です。参道の左側にあります。







金剛院、塔頭寺院で慶鑁(けいばん)の開基と伝えられています。
参道の右手にあります。





重軽天狗、願いをかけながら持ち上げ、軽く上がれば願いが叶えられるとか。





さらに参道の階段を登ります。108段です。

十王堂
階段の途中の左手にあります。

金堂(重要文化財)



英霊殿、金堂の西南にあります。経典が納めてあったが遺族会からの要望で建物を提供したとのこと。







鐘楼、晴天で空が澄みきって映えて見えます。





子授け地蔵

唐門



上の境内へ



持仏堂



手水舎





大師堂

青銅大不動明王

不動堂

毘沙門堂



廻廊







三重塔への階段

小林和作の墓

さらに階段

三重塔
「永享元年(1429年)足利義教の寄進により建立、純和様の建築です。」









市内の景色

「力石、尾道は港町で、荷物の上げ下ろしで多くの人が働きました。力自慢の人達がこの石を持ち上げて競い合いました。」

尾道護国神社









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