昭和・私の記憶

途切れることのない吾想い 吾昭和の記憶を物語る
 

歴史との出逢い

2017年08月12日 15時31分55秒 | 5 右翼青年 1974年~


茨城 ・東海村の浜は
波が高く、遊泳禁止

千葉 ・九十九里の浜も波が高かった。
さすがに太平洋である。
打寄せる波の所為か、人影も疎らであった。
稀に来る大波、その反す波は、沖まで一機に引くと謂う。

「 都会もんは、沖に流されまいと、岸に戻ろうとする 」
「 だから、反す波に 負けて溺れてしまう 」
「 そういう時は、逆わらずに沖に出て、じっと しとったらええのに 」
地元の漁師が、そう呟いた。

 8/4 水戸 偕楽園
昭和49年 ( 1974年 ) 8月3日 ~ 7日の 4泊5日
高校の同窓4人 ( 3人は電気科卒 ) で、夏の旅行をした。
東海村原子力発電所~水戸偕楽園~九十九里浜~渋谷・銀座 の、スケジュールであった。

8月7日の最終日は、私の希望する 「 渋谷 」 に行く
それは、私の要望であった。

東京駅で下車すると、吾々は皇居へ向かった。
昭和44年 ・中学の修学旅行以来の皇居 ・二重橋である。 

歩くと、腹が減った。
丸之内、立派な建物ばかりである。
けれども、 食事する処が、分からない
東京駅なら、レストランがあるだろうと、一旦 駅へ戻る も
田舎者の吾々
東京駅構内 探せど レストランが見つからなかったのである。
「 大阪なら、食べるところ、何処でもあるのに 」
「 東京のもん、どこで 飯し 食うとんやろ 」
「 喫茶店も無いなぁ 」
 右端のドームに食堂を見つけた。

しかし
中に入ると、「 美味いもん 」 などとは、ほど遠い雰囲気であった。
嫌な予感がした。
吾々は、「 焼き飯し 」 を注文した・・・が
やっぱり 不味かった。
「 これで、金 とるんか!」
悪いとは、想ったが
吾々全員 最後まで食べることが出来なかったのである。

でも、悪いことばかりでも無かった。
ウェートレスの女性の初めて聞く、シャキシャキした歯切れ良い言葉づかい
それは、私には新鮮で心地良かった。
「 江戸っ子の気立ての良い女 」
・・・
彼女みたいな女を、謂うのであらう。
「 掃き溜めに鶴 」
・・・とは、旨く謂ったものである。
聞けば、高校生だと云う
焼き飯し 」 は不味かったけれど
美人で しかも、気立ての良い女 と、遭えた為らば
想い出では、一つである。

旅先での食事は それはもう 不味かった。
殊に、九十九里浜の、
真っ黒い汁のうどん は
生涯の想い出 に成った。

「 大阪は 美味い 」
・・・
つくづく、
そう想った吾々であった。

ちなみに、
銀座の喫茶店では、「レーコ」 「コールコーヒー」 
・・・通じなかった。

私は、ウェートレスの彼女に、渋谷までの道順を尋ねた。
地図上の位置は しっかり把握しているものの
皇居を中心に周っている東京の路線は、複雑であった。
何せ、東京は初めて
しかも、「 渋谷を目指す 」 は私だけ、他は 伴の者である。
頼りにしては為らない
彼女は親切に 教えて呉れた・・・のだけれど
せっかくの親切を無駄にした。
彼女の言う、
「 駅を出て直ぐの地下鉄の階段 」 を、降りなかったのである。
路線を乗り継いで、皆を引率して行くには、どうしても自身が持てなかった。
不安であったのだ。
結局のところ
駅を出て直ぐに居た、タクシーに乗ったのである。
「 許されたし 」 ・・・と 

「 渋谷区役所へ 」
「 シブヤ・・ 」
「 このタクシー大丈夫かな ・・・」
「 NHKホールの前 」
そう言い替えすと、タクシーは出発したのである。 

タクシーはNHKホール前交叉点に着いた。
目の前に大勢の若者が居て、それは、祭りの如く賑やかであった。
然し、肝心要の渋谷区役所が判らない。
斯の道路向にパラソルの露店をみつけた。
売り子に尋ねてみようと、( わざわざ ) 道路を渡ったのである。

「渋 谷区役所は何処ですか?」

「後ろですよ」

「後ろ?」

なんと 私は 渋谷区役所を背負っていたのである。

私の脳裡には、目的の位置は、しっかり焼付いている。
渋谷区役所の隣りが 渋谷公会堂、
更に渋谷税務署と続く

渋谷公会堂での、有名歌手のコンサートに由り、若者が集まっていたのである。

目的地は直ぐそこ哉、気が逸る・・・・
そして
「 ああ・・あった 」
一人 声無き歓声を上げた私
「 神達と逢いたい 」
・・・との、
夢が現実のものと成りし瞬間である。

やっと、辿り着きし
二・二六事件慰霊像
神達の処刑跡地に建立されし、慰霊像
昭和49年 ( 1974年 ) 8月7日
二十歳の私
昭和維新の神達 と、初めて
直接接点を持ったのである
言い替えらば
歴史 との、記念すべき感動の 出逢い であった。
・・・リンク→男のロマン 1975
22602

 

 

 

 

 

 


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