偉い人
昔の日本には偉い人がおおぜい存た
中でも、偉い人 と謂えば
「二宮尊徳」
仕事もして、且つ、勉学に励んだ
真に苦学の鑑である、
日本人の模範であると
祖父母から、そう聞かされた
かうかう
二宮金次郎は、家が大そうびんぼふであつたので、
小さい時から、父母の手助けをしました。
金次郎が十四の時、父がなくなりました。
母はくらしにこまつて、
金次郎と次の子を家におき、すゑのちのみごをしんるゐにあづけました。
しかし、母は、その日から、あづけた子のことが気にかゝて、夜もよく眠れません。
「今ごろは、目をさまして、ちゝをさがして泣いてゐるであらう。」
と 思ふと、かはいそうでならなくなり、いつも、こつそり泣いてゐました。
金次郎は、それに気がついて、
「おかあさん、どうしておやすみになりませんか。」
と 聞きましたが、母は
「しんぱいしないでおやすみ。」
と いふだけでした。
金次郎は、
「これは、きつとあづけた弟のことをしんぱいしていらつしやるのにちがいない。」
と 思つて、
「おかあさん、弟をうちへ連れてかへりませう。
赤んぼうが一人ぐらいゐるたつて、何でもありません。
私が、一生けんめいにはたらきますから。」
と いひました。
母は、大そう喜んで、すぐにしんるゐへ行つて、赤んぼうを連れてもどりました。
親子四人は、一しよに集つて喜び合ひました。
孝ハ德ノハジメ
しごとにはげめ
金次郎の村のさかひを流れてゐる川には、たびたび大水が出て、土手をこはしました。
そのために、村では、どの家からも一人づつ出て、毎年、川ぶしんをしました。
金次郎も、年は若いが、この川ぶしんに出てはたらきました。
しかし、まだ力がたらないので、
おとなには かなはないと思つて、
どうかしてしごとのたしになることはないかとかんがえました。
さうして、□のしごとをすまして家へかへると、
夜おそくまでおきてゐてわらぢをつくり、
あくる朝、それをしごとばへ持つて行つて、
「私は、まだ一人前のしごとが出来ませんから、
みなさんのおせわになります。これはそのおれいです」
といつて、みんなの人におくりました。
しかし金次郎は、人の休んでゐる間でも、休まずはたらいたので、
土や石をはこぶことは、かへつておとなよりも多いほどでした。
金次郎は、家のしごとにもよくはたらきました。
朝は早くから山へ行つて、しばをかり、たきゞをとり、それを賣つて金にかへました。
また、夜はなはをなつたり、わらぢをつくつたりして、少しのじかんもむだにしませんでした。
かうして、母を助けて、小さい弟たちをやしなひました。
がくもん
金次郎が、十六の時、母がなくなりました。
それで、二人の弟は、母の生れた家に引取られ、金次郎は、をぢ の家にせわになることになりました。
金次郎は、をぢ のいひつけをまもつて、一日中、よくはたらきました。
さうして、夜になると、本を讀み、字をならひ、さんじゆつのけいこわしました。
しかし、をぢ は、あぶらがいるので、がくもんをすることをとめました。
金次郎は、
「 自分は、しあはせがわるくて、よそのせわになつてゐるが、
今 がくもんをしておかないと、一生むがくの人になつて、家をさかんにすることも出来まい。
自分であぶらをもとめてがくもんをするのなら、よからう。」
と 思ひました。
そこで、自分であれ地を開いてあぶらなをつくり、
そのたねをあぶらやへ持つて行き、あぶらに取りかへてもらつて、毎晩、がくもんをしました。
しかし、をぢ がまた、
「 本を讀むよりも、うちのしごとをせよ 」
と いひましたので、夜おそくまでをぢの家のしごとをして、その後で、がくもんをしました。
二十さいの時、金次郎は、あれはてた自分の家へもどりました。
さうして、一生けんめいにはたらいて田や畠を買ひもどし、家もさかんにしました。
また世のため、人のためにつくして、後々までもたつとばれる、りつぱな人になりました。
・・・第四期 (昭和九年~)尋常小學修身書 巻三 (三年生用)
二宮尊徳の教え
一
報徳
「徳を以って、徳に報いる」
人そのものに備わる 「持ちまえ、取柄、長所、美点、価値、恵み、おかげ」・・を、徳
徳を立て、社会に報いるを 報徳 と謂う
二
万象具徳(ばんしょうぐとく)
あらゆるものに徳があり、此を 「万象具徳」 と謂う
三
積小為大(せきしょういだい)
「小を積んで大と為す」
小さな努力もこつこつと積み上げていけば、いずれは大きな収穫や発展に繋がる
大事を為し遂げんとせば、小さな事を怠らず努めることが大切ならん
四
一円融合
凡ての物は互いに働き合い、一体となって結果が出る
植物が育つには、水・温度・土・養分・炭酸ガスなどいろいろなものがとけ合い、
一つになって育つ、どれもが大切なのである
五
報徳の道は至誠と実行
「報徳思想」 とは 「至誠」 を基本とし、
「勤労」 「分度(ぶんど) 」 「推譲(すいじょう) 」 を実行するという考え方で、
この 「報徳思想」 を実践するのが 「報徳仕法」 である
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至誠 「まごころ」を謂う 二宮尊徳の仕法や考え方、そして生き方の中心を為した
勤労 物事をよく観察・認識し、社会の役立つ成果を考えながら働くことを謂う
分度 自分の置かれた状況や立場をわきまえ、それぞれに相応しい生活をすることが重要で、
亦、収入に応じた一定の基準(分度)を決めて、その範囲内で生活することを寛容とする
推譲 将来に向けて、生活の中で余ったお金を家族や子孫のために貯めておくこと(=自譲)
亦、他人や社会のために譲ること(=他譲)
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二宮尊徳は斯の報徳思想を広め、
実践することにより、飢饉や災害などで困っていた多くの藩や村を復興した