昭和・私の記憶

途切れることのない吾想い 吾昭和の記憶を物語る
 

覚醒しても尚、覚えている夢

2016年05月12日 20時04分47秒 | 5 右翼青年 1974年~

私は毎日、夢を見る
夢を見ない日が、無い
途切れない記憶は、中学一年の頃まで遡る
昭和42年 ・1967年から、もう半世紀見続けている事になる。

1975年2月に見た夢
徴兵制が復活した。
こともあろうに
私は、最初の出征兵士となったのである。
日本国最初の兵士
任期は一年
「 最初だから まさかこの1年の間に戦争は起らないだろうし、そのまま満期除隊となるだろう 」
・・・
と、たかをくくっていた私は、暢気に構えていた。

ところが、戦争が起きてしまった。
そしてとうとう、
東南アジアに派遣されることと成ったのである。
出発に先立ち、
現地の状況を8ミリフィルム映像で見ると多くの兵が死んでいた。
驚いたのは、多くの兵士が泣いているのだ。
大のおとなが、
子供の様に 泣きじゃくっている。
恐怖からなのか ・・・
その、異様な光景に何とも言えぬ恐怖を感じたのである。

私は、不安でならなかった。
死ぬんだ
戦いに行きたくない
しかし、逃げることも出来ない
どうしやう ・・・

ジャングルでは、既に戦闘が始まっている。
否応も無く、吾々は戦地に赴いたのである。
恐怖の中、
最初に敵を発見したのは私であった。

皆は、それぞれ散らばり、敵に立ち向かった。

敵が自動小銃で撃ちながら近づいて来る。

私の小機銃は、引きがねを、ひいても、ひいても、弾が出ない。

どうしたというのか

敵は近づいて来る

焦るも、弾は出ない

・・・殺ラレル

もう駄目か・・・と、堪念したが

不思議なことに、敵の弾が私にあたらないのだ。


隣に居た兵士 ・平野 ( 中学の同級生 ) が、
拳銃で敵を撃ち、
間一髪難を逃れたのである。
敵が倒れた・・目の前で平野がとどめを刺す。

平野が言った。
「 安全装置を外せ 」

弾が出なかったわけである。
安全装置を外すと、暴発したかのごとく弾が飛び出した。
列縦隊で次々と襲ってくる敵を、一瞬のもとに私独りで殺ってしまったのだ。

戦闘が終わり帰営する。
味方は3人死んだ。
その中の一人に 「 足 立 」 がいた。
・・・と。

覚醒すると
夢ん中で見たものは、ドンドン消えて行ってしまう ・・・けれど
こうして、完全に消えないものもある。

戦地に赴く前の、どうしょうもない不安、死に対する恐怖
逃げたくとも従うしかないとの絶望感
然し、これら全てを
戦闘中の死にものぐるいの境地は、超越するのである。
戦い終えて戦友の死に、何とも言えぬ切なさ、空しさ、悲しみが込上げる
然し、それよりも なによりも
自分は生存ているという、安堵感が勝るのである。      
(イキテイルトイウ、アンドカンガマサル)

夢ん中のこれらの想い
覚醒しても尚、忘れない。


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