昭和・私の記憶

途切れることのない吾想い 吾昭和の記憶を物語る
 

嗚呼 あの時はもう帰らない

2016年03月19日 22時45分34秒 | 5 右翼青年 1974年~



いつかきた道  あの街かどに
ひとり求める 想い出いずこ
ああ  一度だけ  恋して燃えた
ああ  あの時はもう帰らない
かなうはずない  虚しい祈り
さすらい歩く  悲しみの街
「 面影 」
・・TBS系テレビ映画・Gメン75の主題歌

「 面影 」
聞かば、益々想いが募る
昭和50年 ( 1975年 ) 11月24日 (日)
神達の面影を求めて、大東京一人歩き

「 元気、元気、元気 」
日比谷公園に向かう、歩道橋の階段を、2段づつ駆け上がる。
「 元気、元気 」 ・・・そう言いながら

大東京一人歩き
内務省 ( 当時自治省 ) 交差点へ着いたが、
感激の坩堝の中で
フィルムが切れてしまった。
( 想定より、撮り過ぎたのである )

日曜日である
休日ならずとも、こんな処に、フィルムを売る店など在ろう筈もない
「 どうしやふ 」
咄嗟に閃いたのが、日比谷公園の売店
想い・・通りであった。
果して、フジカラー 36枚撮りフィルムを2本、購入したのである。
霞ヶ関・永田町、人通りは無い
天気は良い
思う存分、夢中に、撮影したのである。
「 神達のあの日と同じ 」 ・・・と、感激しながら


内務省交差点  11.2.26 / 50.11.24

「 なんや、交差点の写真ばっかりやナ 」
・・・
と、後で事務所の先輩 ・東さんに冷やかされたが
私は、その、 『 交差点 』 が、目的であったのである。

大真面目、
其処には、
男のロマン  が在る、と、信じていた。
・・・のである。

・・・リンク→男のロマン 1975

霞ヶ関ビルの展望室 ( 36階 ・最上階 ) から眺望
東面の窓に 皇居の撮影は、「 禁止 」 と 掲示されていた。
そこで、
素直で正直な私は気が惹けながらも、
東・南コーナーの南面窓から、皇居を撮ったのである。


霞ヶ関ビルの展望室

36階に上がるエレベーターで、
九州から来たという、
一家3代の家族連れと一緒になった。
その中の坊主頭の中学生、
嬉しそうに笑みを浮かべ、
「 
東京タワーを見てきた 」
・・・と、言った。


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