日記のネタに困ったときは、昨日みたいにニュースのコメントを試みたりするわけです。ネタに困るというのはどういうことかというと、書く気分にならない場合という意味です。
基本的にぼくのブログは日記いう体裁をとってはいても、その実態はエッセイ公募の予行演習というか下書きです。
一昨日の日記もそういった銭のために魂を売って書いた日記で、読者に何らかの情報を提供しているように見えても中身はエゴイズムの権化に支配されてます。
今日も一編のエッセイに応募したんですが、数ヵ月後に入選したら「日記が金になった」と吹聴するんです。正しくは下書きを清書したというだけのことなんですが……。
でもいつも応募するのは締め切りギリギリになってしまいます。追い込まれないと書けないというか、苦しんで苦しんでようやく書き上げることが出来るのが締め切り間際なんです。
今月はたった10枚の今度のエッセイしか書けませんでした。体調不良もありますが、原因はエッセイにフィクションを織り込もうとしたからです。
ノンフィクションの公募じゃないんだから問題はありませんんが、やっぱり自分自身で抵抗があるんです。それを克服しない限りエッセイを書く苦しみからは逃れられないんでしょうね。
基本的にぼくのブログは日記いう体裁をとってはいても、その実態はエッセイ公募の予行演習というか下書きです。
一昨日の日記もそういった銭のために魂を売って書いた日記で、読者に何らかの情報を提供しているように見えても中身はエゴイズムの権化に支配されてます。
今日も一編のエッセイに応募したんですが、数ヵ月後に入選したら「日記が金になった」と吹聴するんです。正しくは下書きを清書したというだけのことなんですが……。
でもいつも応募するのは締め切りギリギリになってしまいます。追い込まれないと書けないというか、苦しんで苦しんでようやく書き上げることが出来るのが締め切り間際なんです。
今月はたった10枚の今度のエッセイしか書けませんでした。体調不良もありますが、原因はエッセイにフィクションを織り込もうとしたからです。
ノンフィクションの公募じゃないんだから問題はありませんんが、やっぱり自分自身で抵抗があるんです。それを克服しない限りエッセイを書く苦しみからは逃れられないんでしょうね。