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高野山と中国 続編

2014-11-12 12:48:49 | 旅行記

ブログ人からの移行に伴いGOO文字制限の為2部構成になっています。前篇はこちらhttp://blog.goo.ne.jp/haishi4706/e/c9274d54d319e75f0531b1e7b4374f74から

6月8日(水)曇り 朝、食事(希飯・蕗佃煮)を終わって片付けてると、犬を連れたおじさんが散歩?近づいてきて「ここで泊まったの?」「昨日泊まったのだけど、受け付けないんだよねー」「おれがここ管理してるんだわ、今日泊まるの?」「泊まろうと思うんだけど」「そしたら申し込みに書いてもらおうか」「今から街を廻ろうと思うんだけど、お昼に待合わせできない」「そしたら昼1時に」「便所開けようか」「いや街の公衆で済ませるから」「下の駐車場にもあるよ」で。

その駐車場の便所、清潔、トイレットペーパーもあり!日本って素晴らしい!!

まず金堂です、8時ごろはまだ参拝客もいなくゆっくり浸ります。 

西塔、二百年も経つといい風格ですね、本物といった感じ。中国ではこの雰囲気がない、文化の違いでしょうか、それとも・・・、歴史の違い、豊かさの差?。詮索は止めて在るがまま、好と思えばそれで良し。。

   

金堂の裏になります。西塔から。

各お堂の配置は大きく、一山境内地と言うそう。。30代?でこの構想を描き、幾代に渡って進む道を示すとは、空海とは何者。。この敷地の清浄さ、この山は真砂で出来てる?紀ノ川は中央構造線上。排水枡もないのに雨上がり水たまりもなく、この景観。弘法大師の活きてる時はどこまで作ったのか?そんな事でなく、自分の哲学をどこまで引っ張って行けるか。亡くなった後消滅するのでなく、そこからどう開いていくか。では、今空海さんは何を示しているのか?ここは観光地?。。

御影堂。

根本大塔、昭和の作です。拝観料300円?こまかいの持ち合わせなく、誰もいないのをいいことに、団体のあとから入っちゃいました。中は私好みではありません。。

 

東に下って。

愛染堂、中にお坊さんが居ます。 

9時少し過ぎにここ愛染堂にやってくると、中にお坊さんがなにやら・・・、邪魔しないように階の外で見守ってると、どうもこれから護摩修法か。そうこうしてると外国女性作務衣姿、自転車でかけ付け、そっと堂内に。やがて始まります。が、あのテレビ等で放映される何やら呪文を唱えてはなく、ただひたすら(後ろの私にはそれしか判りません)護摩を焚きます。1時間近くたって静かに終了?静かに始まって、静かに終わる。。なんだかここに高野の全てを見たような気に・・・。ユーチューブにアップhttp://www.youtube.com/user/shinjihaishi#p/u/0/jBuAc1qM45Q

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ところで、入っていった外人、出てこない?マ!いいか。。

向いの不動堂。 

大会堂。     

三昧堂。 

東塔。 

ここで金剛峰寺(宗務所、宿坊)の横に至ります。ここまでコンクリーやアスファルトは一切なく、すべて真砂敷き。早朝はわき清められた境内、少し戸惑すら感じます。。

 

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高野の堂塔はほとんどが桧皮葺、それを支えてるのが高野の直轄森林?山域には実に手入れされた(着実に世代を揃えた施行をやってると見えました)檜の美林、歴史の伝承とはこのように長いスパンで営まれる結果。

次に向かったのは霊宝館。国宝、重文が集められ保存されています。撮影禁止。。興味ある方はこちらでhttp://www.reihokan.or.jp/

霊宝館もじっくり見たいのですが、ここで約束の時間。お金を小さく用意(500円)で、インスタントラーメン、わかめスープ(これもインスタントラーメン!)、缶ビールに、バターロール。10分前に着くとおじさん軽で待っています。森林組合の事務所に向かいます。しばらく待つと女性の事務員さんがやって来て、手続き。500円の領収書は後ほど郵送するとの事。これも日本ですね。。

帰りの車の中で、おじさん、「ここではないが去年秋親子熊が出た」「エ!駆除したの?」「みんな呼んで戻るといなくなってた、みな信用しないんだ!」「ソリャヤバイヨ!いやな事聞いちゃったな!」「あんただけだしナ~、今日遅くまた来てバンガロ-開けてやるから、テントはそのままで、寝るのはそっちにしな」おじさんホントに有難うございました。

昼食ラーメン食べて、再度街へ。金剛三昧院の国宝大塔。しかし昼食時に飲んだビールの効き目、こういった時に限って限って便所がない(国宝ですよ、近くに便所あっても・・・)、我慢にも限度、早々にありそうな方へ(そうあの駐車場だ!)。。

    

 

 

その駐車場はここ金剛峰寺の前に。そして金剛峰寺。

屋根の上に載ってるのは防火用水桶。延焼から守るため屋根にまく水の用意と見ました。今の人は笑うかも、しかしこの気持ちこそ、今回の大震災で問われた事ではと思います。

   

ここで、関白秀次が切腹したそうです。どんな気持ちだったのか・・・、まさに人間の業と空しさを。これも空海の説いた森羅万象の真理か。。

 

庫裏。真ん中は水がめ、洗い場。奥がカマド。

カマドの反対もカマド、こちらはハガマ、一つで七斗、3つで二千人分のご飯だそう。

食べ物の保管、ねずみ対策だそうで吊ってる棚にのっけたそうです。 

脇門から境内を見ます。 

街の交差点にある町石。 

今日夕食はこの交差点角の食堂でカツどん。5時過ぎテントに戻ります。

夕方、バンガローを開けに来ると言っていたおじさん来ません、マ!みんな色々あるだろうと・・・。でも遅くなってやってきます、急用が出来て遅れたと言って、あすはそのまま出発していけばいいと。早速寝袋もって使わせていただきます、それにしても、広い部屋で一人寝袋の中、壁で外の雰囲気から遮断されてるのも・・・。兎も角一夜無事過ごします。

帰宅は土曜の夜の予定でしたが、翌週の出勤前に2日ほど余裕もほしいし、サイトも何となく今晩までと言ってるので、明日は1日早いのですが下山します。その代わり町石道を歩くことに。来る時、最後の30分で痛めた右股関節はシップ(シップ薬携行)と一日の空身で何とか持ちこたえそうだし、退避ルートは途中2箇所ほどあるので、いける所まで歩こうと。

こういう時もあろうかと、関西からはフェリーを予定したのです。下山後に予約入れればいいかと。

6月9日晴れ 明るくなった所で起床。パンと乾燥スープで朝食済ませ、撤収です。準備なった所で丁度日の出5:31。昨日までのぐづついた天気ですが、今日はなんだかご苦労さんと言ってくれてるような、朝日です。。

使わせてもらったバンガロー、おじさん現役は営林署務めだったらしく、山の怖さも知ってる?この臨機応変が今、日本でなくなってる。。マニュアル外をやっては、問題なくても責任とわれ、逆に問題あってもマニュアルとおりだとマニアルの責任に出来る?マスコミや世間もすぐ責任探しをし生贄を捜す!ともかくおじさん有難うございました。事前予約もしていないのにそれについて一言もなく。。

下の駐車場で便所使わせてもらいます、高野の町では街の皆さんが街を大切に、互いに思いあって過ごしてるのが実感できました。これが空海さんが伝えた真言密教の奥義?。6時過ぎの高野の町並み。

高野の警察署。

中心街の早朝の様子。ゴミ一つありません!でもないのではなく朝早くから住んでる人が表に出て掃除してるから。これがこの街の基本。。

このお家は続いてる金剛峰寺鐘楼の鐘つきを受け継いでるお家とありました。

そして街の入口、大門です。どこでも朝のお掃除。。

振り返って大門から高野の町。 

町石道上がってきた所で、道路挟んで大門を見ます。まさにここは日本。

    

大門前県道を越えた所から町石道は始まります。

そこから見た下山道。。

町石と同時に高野近くののぼり道の様子。      

途中遍路笠をかぶった若者?に出会います。途中で野営した様子。高野では宿坊泊まりとか言ってましたが野営場の情報伝えておきました。

848mの大門から481mの国道横断の峠に下ります。登りといっても充分に距離をとった登り道、馬の通行を考えた道付けでしょう。でも手入れされた檜の大木の林、下りだからか楽しみながら歩きます。

名物やきもち、食べたかった!! 

この写真9時38分と記録されています。掛商店さん早くはがしてください、9時半過ぎまで待ってました。。

11:30地蔵堂にて昼食(バターロールに固形スープ)。

ゴルフ場の脇を通る世界遺産、高野山町石道。間違ってコース内ティグランドに入らないように!右側の暗い道です。いまさらコース変更も出来ないのでしょうが、なんとも締まらない世界遺産。

そしてこの東屋はゴルファー用です!!ひだり町石道、みぎ7番?ティ。。

途中の日本の山村風景。国の豊かさを見るような感じですが、いつまでも続いてほしいもの。

その横の二つ鳥居。

職業柄見過ごせません!見てください、左に尾根が走っています。測量術のない時代20キロ近い山道でどうしてこうした勾配設定をしたのか。この道があるからこそ高野の山も維持できたかと、だってその昔の最盛期には何千人の住人の生活物資をこの道路で支えていた?あの山上では食糧生産は無理。部分的に地形を把握できてもこれだけの距離を当時把握する(ある意味科学的にでないと役に立たない!)術が何なのか知りたいものです。

こうやって洗掘された所も、建設された当時は上の写真の道路幅があったよう、一間半?馬が交差可能?等々考えながら(考えながら歩けるほどに整備された道であったようです)、気持ちよいトレッキングコースを。

気持ちよいコースのおかげで腰も何とか持ちこたえ、山道抜けます。急に視野拓け、紀ノ川沿いの家々が目に飛び込んできます。町石道もあとは下って慈尊院まで。

ここで、この歩きの初めに手にした竹の杖を残していきます(軽くて、強靭、節の枝が手にかかり実に見かけによらず重宝。これ以上もってくと処分しなければいけなくなる?)。13:40ここでフェリーの予約入れます。2等雑魚寝で9000円、6:30新大阪から連絡バスも確認します。

と安心した所で・・・、この写真見てあなたならどう進みます。当然家々が見える舗装された道を何も考えず下っていきますね!私が間抜けではないでしょう!!ところが道は真直ぐ林に入っていくのです。。コンクリート舗装の道はグングン下ります。20分ほどして、フム?・・・、町石がなくなってるぞ?どうも下ってる方向もドンドン違う方向?観光案内所でもらった町石道の案内パンフの方をよく見ると!!ここで間違っています。。

 

正面草むらにこの標石確認できます??。

実際は20分程のロスですがロス以上に急に疲れが出ます。気付いた時はよっぽどそのまま下ろうかと思いましたが、最後の町石と慈尊院をお参りするべく戻りました。

チャンと町石あります。これからは結構町石、案内板あります。

出発したサイト地も見えました。戻ってきたと言う感じです。

180町石、慈尊院の写真撮り忘れ?。。腰の具合も再発、時間的余裕もなくなって・・・。慈尊院では団体さんへの住職の説法の真っ最中、でも般若心経は念じさせてもらいました。

慈尊院門前?お堂は修復中の大屋根がかかっています。

慈尊院からここの南海九度山駅までの2キロ、イヤー・・、タクシー来たらと思って自動車近づく度に振り返るのですが、タクシーなんかいません!中国では絶対3輪タクシーいるんだけどな~。。

15:25南海九度山駅到着5時半出発で約10時間の行程でした。

電車は出たあと、姉宅に預けた荷物を取りにいったのでは、時間が危ない。電話して無理頼みます、「新大阪まで持ってきて」です。実の兄弟だといつまでも頼めます、なんなのでしょう。。

新大阪からの連絡バス乗客2人!9時前に舞鶴フェリーターミナル到着、でも運賃2500円?ネットで確認した時は1500円だと・・、予定にも1500円で記入しています(今調べると2500円、なんだか・・・)。食事だ、時間的ロスだと考えると、やっぱり船旅は高級、贅沢?。でも夏の日本海は波も穏やか、乗客も少なく、お風呂も快適。乗船と同時、出航前にヒトッ風呂、下船前にもで湯治気分。それにこの時間は持って行った西太后を読みきる時間に入れています(船での読書は気が散らない?)。姉の持ってきてくれた荷物に入っていました(姉上、怒ります?)。

船には札幌ヨサコイ参加チームも乗り合わせていました。

船内の映画は「剣岳、点の記録?」、それにしてもどうして邦画はこう臭い芝居をするのでしょうか、まず大きな荷の軽さ(中身空っぽ?香川君の芝居がわをかけます!)、測量してる時の望遠鏡角度水平、見上げてる角度と違うでしょ!!バカ臭くなってきました。。

日本は私達が考えてる以上に、世界の中ではとてつもなく豊かで、日本人もとてつもなく素晴らしく誇りたくなります。しかしその豊かさの中で、震災後3ヶ月以上経っても体育館で雑魚寝してる人たちを、どうして解決できないのか、解決しようとしないのか。ここにこれからの私達の全てが見えるのではないかと。それこそ空海さんがもたらした、真言か。。

小樽には定刻5分前の午後8時40分到着、ここでも婿殿にお迎え頼んで無事帰宅です。 

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