↑イリヤ・レーピン《何という広がりだ!》(1903)
この作品は一体どんな状況を描いたものなのか、死ぬほどわかりません(笑)。
画幅3メートルとか、でけぇ(笑)。
というか、今のPerfumeファンの心境が、この絵の状況みたいなそうなんだねそれはそんな感じで。
see new world
ガーーーーーーーン(笑)。
‥‥‥
『千と千尋の神隠し』〔2001〕をことさらエロス方面からばかり語るのはあまり品がよくないし、『千と千尋~』の価値を矮小化するきらいもあろう。
んが、あれだけ確信犯的に性風俗を取り入れた世界観なのだから、「なんでやねん!」と一応突っこむのが、観客としてのお約束ではあるまいか。
つまり―――『宇宙戦艦ヤマト』は、エディプス・コンプレックスのアナロジーであり、イスカンダルという子宮への回帰願望と、ガミラスという父性との闘争であり、ぶっちゃけ波動砲が射精以外の何だというのかっ!―――みたいな、お約束である。
うむ。
宮崎駿の“エロス”方面の素っ頓狂ぶりと同様、いわゆる“タナトス”方面の禍々しさもまた尋常ではない。
『千と千尋~』でいえば、水上を疾走する電車のシーン、『紅の豚』〔1992〕でいえば、臨死体験のヴァルハラのシーン、『ハウルの動く城』〔2004〕でいえば「ぼくはもう充分逃げた。ようやく守らなければならないものができたんだ。きみだ」のシーン。
ことに『紅の豚』の、雲海を舞うカラフルな複葉機の群れを、すべて「零戦」に置き換えてみれば、あのシーンの意図が日本人にはより明確になるのではないか。
わたくし、そんな宮崎さんのタナトス方面を、ビルドゥングスロマン(教養小説)という枠組みで行儀良く包んだ、『風立ちぬ』(モデルグラフィックス連載)を、是非次回作として映画化してほしいと懇願。
劇中のほとんどが『千と千尋~』の水上電車のシーンのような叙情に満たされるだろうと想像でき、ヒットしようとしまいと、宮崎作品のスワンソングとして、メチャクチャ相応しい作品になると思うのです。
うむ。
ところで、『風立ちぬ』に、主人公の堀越二郎とも関係の深い源田実が登場したら、宮崎さんはどう批判するだろうか―――もちろん褒めるはずがない、どれだけの悪口雑言で攻撃するかと、期待していたところ、「クルクルパー」(!)。
わたくしの予想の、まさに斜め上をいった!
クルクルパーて(笑)。