武本比登志の端布画布(はぎれキャンヴァス)

ポルトガルに住んで感じた事などを文章にしています。

138. 山火事 Incêndio

2016-09-30 | 独言(ひとりごと)

 これは2016年9月5日、月曜日のはなしである。

 9月に入って幾分涼しくなった、と思った矢先、猛暑がぶり返してきたのだ。

 前夜のテレビではその日のセトゥーバルの気温は40度と予報が出ていた。

 セトゥーバルが40度に達するのは、この夏、確か3度目である。

 

薬局の電光看板。時間と気温などが交替で表示される。

 

 猛暑と言ってもポルトガルでは陰に入れば涼しくは感じるし、部屋の中ではそれほど暑さも感じない。

 だから我家ではエアコンがない。いらないのである。でも40度はさすがに暑い。

 その日は手紙を出すために最寄りの郵便局まで行く予定をしていた。買い置きの切手が底を付いてしまい、郵便局に並んで切手を纏め買いしておくつもりであった。ところが「この暑さの中出歩くと熱中症になってしまうよ。」とMUZが言う。今日は出たがらない様だ。仕方がないので家の中で居る事にした。それ程急ぐ手紙でもないし。

 いろいろと暇だからエコなどを考えている。暑い日には南側のベランダに6リッターの水タンクを15個も並べてお湯にすることを数年前に思いついて、その後、暑い日にはそれを実践している。

 煮炊きやコーヒー、お茶などは水道水を使っているが、生の飲み水だけはスーパーでミネラルウオーターを買ってそれを飲んでいる。その空き瓶が溜まる。空き瓶といっても6リッターのプラスティック・ペットボトルである。それに水道水を入れ、ベランダに寝かせて並べておくのだ。昼頃に並べたものが夕方には結構温かくなってそれだけで風呂に入ることが出来る程になる。

 南側のベランダの床はレンガ色のタイル張りで、それ自体が熱くなる。その熱を水タンクが吸収して、上からの太陽の熱とで水が温まりお湯になるのだ。

 風呂場でタンクに入れた水を南側のベランダに並べて、夕方には逆にベランダから風呂場に運ぶ。1回で両手に4個。単純に計算すると、24キロである。それを4回。1回は3個だから18キロだが…。24キロを3往復と18キロを1往復。寝室を通り抜けて、玄関ホールも通りぬけて風呂場まで運ぶ。

 エコと言ってもこれではあまりにも馬鹿らしくはないか。と誰もが考えることだろうと思う。だがそうではない。これは24キロのダンベルを持って8往復して筋トレ(筋力強化トレーニング)をしているのだと考えを転換してみるのも悪くはない。

 ベランダにパラソルを広げて陰を作ったり、観葉植物を置いて陰を作ったりしているよそさまもあるが我家はシンプルに何もない。「太陽よ。熱するだけ熱せよ」という態度である。

 40度の予報が出ているその日はさすがに温まる。ベランダのタイルの温度は恐らく50度に達しているのだろうと思う。事実、その夜の風呂は水で薄めなければ入れないほどであった。温めた15個の6リッターペットボトルは風呂場に運んでから、風呂に入るまでの間は古いタオルやマットなどで包んで冷えないようにしておく工夫はしている。

 いつも我家で風呂に入るのは寝る前の9時を過ぎてからである。9時を過ぎて15個の6リッターペットボトルの水を風呂桶に流し込む。そして2人が交替で入る。入った後もお湯は抜かないでおく。いざ断水となった時にはトイレに有効に使えるし、万が一小火(ぼや)でもあった時にはバケツに汲んで消火にも使えるだろう。だから次の日にお湯を入れる前に抜くことにしている。

 昼間は熱風が入らないように窓は閉め切っている。夜になれば空気は冷やりとする。その夜は風呂に入っている間に温まっている部屋の空気を入れ替えようと南向きの寝室のベランダ側の窓と、北側のアトリエの窓、そしてその隣の部屋の窓も全開にしておいた。いっきに風が通り抜けて部屋の空気が瞬く間に涼しくなる。

 僕は先に風呂を済ませ、ベッドに横になりうとうとと寝てしまっていた。MUZは風呂から上がってアトリエの隣の部屋の窓だけを閉めてからベッドに横になったそうである。僕がふっと目が覚めた時には部屋の空気が未だ勢い良く通り抜けていた。MUZは僕がアトリエの窓も開け放していたのに気がつかずにその隣の部屋の窓だけを閉めた。僕は寝ぼけ眼でアトリエの窓を閉めるために起き上がって暗がりの中、手探りでアトリエまで行った。

 窓を閉めようと思って外を見ると、ホテルの裏側から煙と火の粉が舞い上がっていた。

 我家の隣には1軒のお屋敷があり、向いにもお屋敷がある。そのお屋敷に挟まれた道の突き当りがホテルになっている。我が家のあるマンションの入り口からホテルの入り口まで20メートルしか離れていない。ホテルの入り口から建物までは更に10メートル。高台にあるホテルでセトゥーバルでは恐らく一番大きなホテルだろう。

 一瞬、ホテルが燃えていると思った。僕は「火事や~」と叫んでいた。

 

北側のベランダより撮影

 

 火の粉は僕の目の上を飛んでいく。未だ消防車は来ていない。

 ホテルから続々と人々が走り出てくる。館内アナウンスでもあったのであろう。「外に避難してください」と。

 我々も見学している場合ではない。火の手は大きく広がりを見せている様子である。とりあえずパジャマから普段着に着替えて、貴重品とパスポートなどを入れてあるリュックを担いだ。万が一のために合ものコットンの半コートを着てからリュックを担ぎなおした。リュックの中にビスケットも入れた。MUZも別にリュックを担いでいる。中には水とお菓子をいろいろと取り揃えて入れたそうである。いつでも逃げ出せる体勢は出来上がった。でも火の粉から飛び火して我家の下の住宅の周りでも燃えているし、どんどん火の手は広がっている。

 街の中心、つまりホテルの東側からは松の木とホテルが重なった位置にあることから、まるでホテルが炎上している様に見えたのかも知れない。又、町の南側、つまり漁港のあたりの下町からは我がマンションに阻まれて炎は見えず、立ち昇る黒煙だけが見えたに違いない。どこから集まってきたのか野次馬がカフェのあたりで100人ほども遠巻きに心配そうに眺めている。カフェは既に閉店している。

 

 我がマンションの南東の松林に燃え移ったらそれこそ我家が一番近いし大変なことになりかねない。その下を見るとガレージの持ち主の人がガレージからホースを延ばしていつでも放水が出来るように待機している。いや、既に放水をしていた。でもそのホースも松のてっぺんまでは届かない。最上階4階に住む我家が松のてっぺんからは一番近い。一番近いと言ってもベランダから松までは6~7メートルはある。風呂の水は抜かないで溜めてあるが、風呂の水をバケツで汲んで思いっきり飛ばしても恐らく届かない距離だ。

 ホテルの入り口付近には宿泊客だろう、2~30人が荷物も何も持たないで、ティシャツと短パン程度の軽装で心配そうに眺めている。随分してから消防車が来たが、入り口付近からは放水はしないで裏手に回って消火活動をしている様子であるがここからは見えない。ホテルの本館の裏手で大きく炎が立ち上がった。ホテルの宿泊客やご近所の人たちから悲鳴や叫び声が沸き起こった。炎だけではなく、その熱や木の爆ぜるばちばちという音など、本当に怖かった。

 

風呂場の窓から撮影

 

 合ものの半コートを着込んで靴も履いて背中にはリュックを背負って、それでもデジカメのシャッターを切った。北側のベランダから、そして風呂の小さな窓から。

 消防車と同時に白バイ2台とパトカーも来て、既に検問や交通整理なども始めていた。ホテルの入り口のところには消火栓が設置されているのだが、何故かそれは使うことはなかった。消防車は何台も何台も次から次に入れ替わり立ち代りやってきてくれた。30キロも離れたアルコシェッテと書かれた消防車も応援で駆けつけて来ている。消防の30トンはあるタンクローリーも南の道で待機している。

 火はなかなか消えない。随分と永い時間が経過したのだと思う。僕もMUZもそわそわ何も手が付かず、あちらの部屋からこちらのベランダから経過を眺めるしかない。

 やがて炎はなくなり白い煙に変った。これで一安心である。その頃になって複数のテレビ局が到着し取材を開始していたが、写すべき炎は既にない。ホテルの門のところで、女性記者がテレビカメラに向って喋り続けていた。手の空いた消防士や警察官を捕まえては質問をしている様子が覗えた。果たして放映されたのであろうか?テレビは見ていない。その頃には宿泊客も部屋に戻ってしまっていた。遠巻きに見ていた野次馬たちもぞろぞろと帰り始めた。何とか安心して再びパジャマに着替えて寝たのが3時を回っていた。

 安心してぐっすり眠ることができた。朝、起きてみると消防士たちは未だ活動をしていた。実際、飛び火した下の住宅の周りの薮から煙がまた立ち昇っていて、消防士が2人ホースを引っ張って水を撒いていた。一旦、消えたからといってなかなか安心は出来ないものだ。幸いにも我家にとってはその日の風向きはほんの少しだけ東側にずれていて助かったのかも知れない。

 

飛び火で焼け焦げた下の住宅側の潅木。この写真を見る限りでは何てことはないが、その時はあちこちに飛び火し、炎が上がって本当に怖かった。

 

 次の日、最寄りの郵便局に手紙を出しに行った。そのついでに国道10号線を少し走ってみた。セトゥーバルを出た最初のバス停の裏手から焼け跡が始まって上に上に昇ってホテルの手前まで達している。その向こう側に我家がある。

 相当の広さである。よく使われる例えで言えば東京ドーム3個分くらいだろうか?幸い建物に被害はなかった。山火事と言えるのかも知れない。

 バス停のすぐ後ろにダンチク(アルンド・ドナクス Arundo donax)が大きく根を広げた林がある。先ずそれに火が付いたのかも知れない。ダンチクの枯れ葉はいかにも燃え付き易い。その上にはキイチゴ(ルバス・イダエウス Rubus idaeus)などもある薮と実生で生えた松の木の大木が点々と上ってホテルのすぐ側まで、そしてホテルを跳び越し我がマンションも飛び越し再び松林が出来ている。

 

 更に2日後の朝、2台の消防車と2台のパトカーがホテルまでやって来た。現場検証だろうか?ホテルから出火した訳でもないし、幸いにもホテルが燃えた訳でもない。

 あれだけ大きく燃え上がったその跡形は、松の枝葉がほんの少し赤茶色になっているだけに見える。

 

あれだけ炎が燃え上がったのに翌日の松の木はこの程度。

 

 その翌々日くらいにホテルにチェックインした宿泊客には9月5日の夜にこれほどの騒ぎと怖さがあったことは感じないのかも知れない。

 我家がある場所は、古いセトゥーバルの絵画によると風車小屋が建ち並んでいた場所で、風当たりも強いが見晴しも良い。セトゥーバルの東西南北どの方向も良く見渡せる。消防署の火の見櫓があれば火災でも、真っ先に発見することが出来るのに、などと思っていた程だ。今までも500メートル離れた城郭での2度の小火、下町のチキン専門レストランの火災、パルメラの丘のお屋敷の全焼火災。そして何日も燃え続けたパルプ工場の資材置き場の火災等々、何れも目撃している。本当に火災の多い町なのだと感じる程である。今までの火災は少し、或いは遠く離れていて他人事であったが、今回の間近な火災は寿命が縮まる思いであった。

 

2016年最初の山火事はマンテイガスの山火事であった。エストレラ山探索の際の定宿から見える山火事跡。

 

 この8月は暑い日が多く、グアルダだけでも1万2千ヘクタールという広さを燃やしたという。ポルトガル全土で120箇所だというから相当の山が燃えてしまったことになる。

 

レイタォン(子豚の丸焼き料理)で有名なメアリャーダの山火事跡は広範囲であった。松の木とユーカリの幹が黒こげ。でも不思議と葉は落ちていない。

 

 2016年9月5日、セトゥーバルの火災があった同時期に南の温泉地モンシックでは6日間も更に燃え続けていた。VIT

 

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