国文学者の尾形仂(つとむ)さんは戦後まもなく、昼食の握り飯を包んでいた新聞で、恩師の訃報(ふほう)を知った。恩師とは、近世文学研究の大家、穎原退蔵(えばら・たいぞう)博士だ。戦前に東京文理科大学の学生だったころ、俳文学の指導を受けていた。尾形さんは卒業後海軍へ入り、当時は土木の仕事に就いていた。
遺族にお悔やみの手紙を送ったことが縁となり、尾形さんは穎原氏の次女、雅子さんと結婚、学究生活に戻った。穎原氏にはやり残した大きな仕事があった。江戸時代の言葉を網羅した辞典の完成だ。昭和10年ごろから、用例を集めてカード作りを始め、その数は10万枚に達していた。
〈江戸語辞典執筆半ばに父逝きて用例カード空しく遺りぬ〉。雅子さんは自らの歌集『夜の泉』のなかで、父の無念をうたっている。やがて夫婦は静かに年輪を重ねていった。〈団欒のひとつとなして夜な夜なの殺人ドラマ夫に付き合ふ〉。尾形さんは、与謝蕪村の自筆句帳を復元するなど、近世俳諧研究の第一人者となった。
だが、尾形さんの脳裏から、義父の辞典のことが離れることはなかったようだ。古希(70歳)を迎えたのを機に、教え子たちに呼びかけ、完成をめざした。〈用例の乏しき中より語意を汲むと腐心の夫に父が重なる〉。
そんな夫を見守ってきた雅子さんは、辞典の完成を見ることなく、平成18年に79歳で亡くなった。『江戸時代語辞典』(角川学芸出版)が、「構想70年」と銘打たれて刊行されたのは、昨年11月のことだ。
「妻雅子に対し、やっと約束を果たすことができた」。辞典の前書きの欄外に、小さな文字で記した尾形さんは26日、雅子さんの待つ浄土に旅立った。89歳だった。天寿を全うするとは、このことをいうのだろう。
産経抄 産経新聞 3/30
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