多摩平和イベント実行委員会

多摩の市民グループが「戦後60年」を契機に地域の視点から、「戦後」「平和」「民主主義」を考える

多摩市平和展石川文洋さん講演会ぱ7月18日です。「写真が伝えた戦争写真展」は26日まで。

2009-07-18 19:20:48 | 戦争体験
 7月18日から2009年「多摩市平和展」がパルテノン多摩でスタートしました。主催は多摩市・多摩市平和展市民会議。多摩平和イベント実行委員会もメンバーです。

  ●メイン企画の「写真が伝えた戦争 日中戦争から朝鮮戦争まで」は、当時の戦場や市民生活など貴重な写真ばかりで来場者からも「なかなか見ることができない写真ばかりだね」とじっくりと見られている方が多いのが印象的でした。

 展示写真は、日中戦争、真珠湾攻撃、太平洋戦争、占領下の日本、朝鮮戦争など歴史の変遷を追えるよう、時代区分にわけています。

 戦時下の日本では、報道管制や検閲が敷かれ、戦災で社屋が消失するなど貴重な写真が多数消失しています。また、軍関係の写真なども機密資料として戦後、ほとんどが焼却されました。その意味でも貴重な時代の証言者としての写真の展示です。
 是非ご覧ください。


●7月19日(日)午後4時 パルテノン多摩第一会議室
講師 石川 文洋 さん (報道カメラマン)
「戦場カメラマンの証言-戦争とは何か」

 1938年 沖縄県那覇市首里に生まれる。1965年フリーのカメラマンとして南ベトナムの首都サイゴンに滞在。1969年から朝日新聞社カメラマン。1984年からフリーカメラマン。著書に「写真記録ベトナム戦争」「戦場カメラマン」「戦争はなぜ起こるのか」「ベトナム報道35年・戦争と平和」「沖縄の基地とアメリカの戦争」など。現在、長野県諏訪に在住。

 当日はスライドを見ながらベトナム戦争、カンボジア戦争、ボスニア・ヘルツェコビナ内戦、アフガニスタン内戦について、石川さんの取材経験に基づく貴重なお話をしていただきます。

http://www.event.janjan.jp/event/0907142861.html


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

多摩市平和展「写真が伝えた戦争~日中戦争から朝鮮戦争まで」(協力:共同通信社、日本新聞博物館)

2009-07-08 22:22:50 | 戦争体験
多摩市平和展  2009年7月18日から パルテノン多摩で開催
「写真が伝えた戦争~日中戦争から朝鮮戦争まで」

 多摩市では、平和を愛する市民の皆様の願いに応え、世界平和と人々の幸福を希求すると共に、戦争の悲惨さを次代へ伝え、平和の意義を確認し、平和の意識の高揚を図るために、毎年、市、多摩市平和展市民会議主催の平和展を開催しています。今回は、初の試みとして、出演者を公募し、小学生、中学生、高校生などの若年層を含む一般市民が創作音楽劇「アンネの日記2009」を公演します。その他、戦争報道写真約200点を展示する「写真が伝えた戦争~日中戦争から朝鮮戦争まで」(協力:共同通信社、日本新聞博物館)を始とし、長崎原爆資料館所蔵資料等の展示もします。また、7月19日・20日・26日に講演会、戦争体験談も行います。

日時  7月18日(土曜)~26日(日曜) 午前11時~午後7時
場所  パルテノン多摩 市民ギャラリー、特別展示室ほか
    (多摩センター駅下車徒歩5分)
主催  多摩市  多摩市平和展市民会議
後援  財団法人多摩市文化振興財団

▼「写真が伝えた戦争~日中戦争から朝鮮戦争まで」▲
 今回、展示する写真は、ロバート・キャパなど海外のジャーナリストや軍関係者が戦争をファインダーで残した貴重な歴史的記録です。1931年の満州事変から中国大陸での戦線拡大。その後、真珠湾攻撃から太平洋戦争へと戦火はアジア全域に。そして占領下の日本と朝鮮戦争。国内では未公開の写真も多く、戦後60年の2005年に日本新聞博物館で写真展を開催し、注目を集めました。共同通信社が戦後60年のメモリアル事業としてデイリーニューズ社所有の約3万点の写真を入手し、日本新聞博物館に寄託したものです。「多摩市平和展」では、そのうちの約200点を展示します。(協力:共同通信社、日本新聞博物館)

▲「戦場カメラマンの証言―戦争とは何か」▼
  7月19日(日)午後4時から6時まで。
  
  講師:石川 文洋氏 (報道カメラマン)

 1938年 沖縄県那覇市首里に生まれる。1965年フリーのカメラマンとして南ベトナムの首都サイゴンに滞在。1969年から朝日新聞社カメラマン。1984年からフリーカメラマン。著書に「写真記録ベトナム戦争」「戦場カメラマン」「戦争はなぜ起こるのか」「ベトナム報道35年・戦争と平和」「沖縄の基地とアメリカの戦争」など。現在、長野県諏訪に在住。

http://www.city.tama.lg.jp/bunka/bunka/008547.html
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

7.19多摩市平和展 石川文洋さん講演会 「戦場カメラマンの証言--戦争とは何か」

2009-06-30 00:04:52 | 戦争体験
多摩市平和展 
 2008年7月18日(土)から7月26日(日)までパルテノン多摩特別展示室・市民ギャラリーで開催(京王相模原線・小田急多摩線多摩センター駅下車徒歩5分)

主催 多摩市 多摩市・平和展市民会議

 今年も、多摩市では7月、戦争を再び繰り返さぬための平和啓発事業を行います。多摩平和イベント実行委員会も協力しています。私たちが主体的に担っているプログラムは次の通りです。是非お集まりください。

写真が伝えた戦争-日中戦争から朝鮮戦争まで

 今回、展示する写真は、ロバート・キャパなど海外のジャーナリストや軍関係者が戦争をファインダーで残した貴重な歴史的記録です。1931年の満州事変から中国大陸での戦線拡大。その後、真珠湾攻撃から太平洋戦争へと戦火はアジア全域に。そして占領下の日本と朝鮮戦争。国内では未公開の写真も多く、戦後60年の2005年に日本新聞博物館で写真展を開催し、注目を集めました。共同通信社が戦後60年のメモリアル事業としてデイリーニューズ社所有の約3万点の写真を入手し、日本新聞博物館に寄託したものです。「多摩市平和展」では、そのうちの約200点を展示します。

日時 7月19日(日)午後4時から6時まで。
場所 パルテノン多摩第一会議室

講師 石川 文洋 さん (報道カメラマン)
「戦場カメラマンの証言-戦争とは何か」

 1938年 沖縄県那覇市首里に生まれる。1965年フリーのカメラマンとして南ベトナムの首都サイゴンに滞在。1969年から朝日新聞社カメラマン。1984年からフリーカメラマン。著書に「写真記録ベトナム戦争」「戦場カメラマン」「戦争はなぜ起こるのか」「ベトナム報道35年・戦争と平和」「沖縄の基地とアメリカの戦争」など。現在、長野県諏訪に在住。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

作道好男さん遺稿集刊行の集い[新訂]近代日本の歴史認識とアジア太平洋十五年戦争責任論上下巻刊行

2008-12-07 22:52:37 | 戦争体験
作道好男さん
   遺稿集刊行の集い
[新訂]近代日本の歴史認識とアジア太平洋十五年戦争責任論上下巻刊行


日時  12月21日(日) 14:00~16:30
お話  神子島 健さん

 「戦争責任と歴史認識―作道さんの思いを多摩から伝えていくために」

   ベルブ永山公民館視聴覚室
   (京王・小田急永山駅下車)
参加費:500円 (当日は作道好男さん遺稿集含む)

 私たちと共に活動してこられた作道好男さんは、本年3月31日にご逝去されました。92歳でした。亡くなる直前まで、その見直し作業をしておられた[新訂]【近代日本の歴史認識とアジア太平洋十五年戦争責任論上下巻】をようやく製本することができました。二度と戦争を起こさないためには、過去の事実を知る必要があると、膨大な資料と戦中戦後の貴重な体験をもとにまとめられています。当日は、ぜひ多くの皆さまにご来場いただき、作道さんのご遺志をお受け取りいただきたいと思います。
 なお、当日のお話は多摩平和イベント実行委員会で一緒に活動している神子島さんです。若い世代を代表して神子島さんが作道さんの想いを現代に繋ぐ、という企画でもあります。

  神子島 健(かごしま たけし)さん
   1978年生まれ。0歳より多摩市在住。現在、東京大学大学院総合文化研究科 博士課程在学  十五年戦争史、戦争文学などを研究。
季刊『中帰連』42号(2007年秋)より、「戦後文学と戦場の記憶」を連載中。                        
主催/多摩平和イベント実行委員会     お問い合わせ/090-1107-8264
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中国残留邦人 鈴木則子さん のお話を聞く会 盛会でした

2008-06-03 01:11:37 | 戦争体験
2008年5月31日に多摩市永山の公民館で開催しました鈴木則子さんのお話を聞く会は、とても雰囲気のいい集まりになりました。
お越しいただいた多くの皆さまに感謝申し上げます。

予想を越える、会場いっぱいの50人もの皆さんにお集まりいただきました。
憲法ミュージカルの会場で。週刊金曜日で見て。ブログを見て。

何と言っても、今回の企画を実現にこぎつけた実行委員のお力が大きかったと思いますが、後半の懇親会では、手作りのパン・クッキーとお茶をいただきながら、鈴木さんや会場にいらした皆さんのお話を伺うことができました。

会場には、中国残留邦人の方や満豪開拓義勇軍に参加した方、中国帰還者の方、またドイツからの留学生など、実に多くの方々が参加されておられました。

鈴木さんからは、1943年に満州に渡った当時の家族のこと、国民学校で代用教員を勤めていたときのこと、ソ連軍が侵攻し、関東軍は先に逃げ出し、残された開拓団の言語に絶する満州での逃避行、筆舌に尽くしがたい、数々の体験を話していただきました。中国の農民に助けられ、侵略者としての汚名を着せられながらも、生き抜いた日々。鈴木さんを救った中国の農家の御子息と結婚するも、ご主人は関東軍に強制連行され、ソ満国境で塹壕堀に従事されており、なぜ、自分が憎き日本人の女性と結婚しなければならないのか、と、家庭の中と中国社会の中で侵略した日本と国家に代わり謝罪した日々のことなど、涙なくして聞けないお話ばかりでした。
文化大革命当時、落書きの犯人は反革命の母親だと言われ、気丈な娘さんは最後まで母親のことを守り抜いた話など、他で伺えない貴重なお話もありました。

 多摩平和イベント実行委員会では、これからも「国家」の犯罪と「戦争」の悲惨さを、体験された皆さんからの証言を伺う機会を設けていきたいと考えています。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中国残留邦人 鈴木則子さん のお話を聞く会 5月31日 ベルブ永山で

2008-05-26 23:09:39 | 戦争体験
○中国残留邦人 鈴木則子さん のお話を聞く会

 5月31日(土)午後1時30分から。
 ベルブ永山(京王線・小田急線永山駅下車) 講座室
 参加費300円
 主催 多摩平和イベント実行委員会
    連絡先 090-1107-8264


「私はリーベングィズ(日本鬼子)だった」

 鈴木則子さんは、1928年 東京・京橋生まれ。
今年で80歳を迎えられます。
 戦争中に一家で満州へ。1943年の満豪開拓団ですから、「五族協和」「王道楽土」のための国家政策の先兵として満州へ、とはいえ、移住する道で活路を求めざるをえない、一家でした。
 中国民衆からは侵略者として罵倒される立場ではあっても、鈴木さんらはまさに大日本帝国の大東亜共栄圏幻想がもたらした国家による犠牲者そのものでした。
 1945年8月9日、ソ連は日ソ中立条約を破棄し、満州に攻め込みます。関東軍は開拓団を見殺しにし、逃げ去ります。鈴木さんたちは、ソ連軍の激しい銃撃の中、言語に絶する死の逃避行を経験します。逃げ惑った開拓団の多くは殺され、鈴木さんは 中国人家族に救われます。
 しかし、それは自らの意思ではなく゛生きる゛ために異国の地で選ばざるをえなかった選択。鈴木さんには過酷な試練が待ち受けます。何度も死を意識されたとか。そのたびに「誰か生きていたら、日本に帰って、遺族や国に、私たちは何でこんな目に遭わなければならないのか、こうやって死んでいったのだということを訴えてくれ」と開拓団のおばさんに息絶え絶え伝言されたことを果たさなければと思われたそうです。
 日本政府は非情です。「13歳以上は、ものがわかるから、勝手に残った。だから援護対象外である」と。
 2001年、鈴木さんは国家の戦争責任と指導責任を問い、国家賠償訴訟に踏み切ります。リーベングィズ(日本鬼子)として戦後も中国の大地に残り、国家の罪を一身に背負い、生きるために暮らしてきた、その過去を返せ、と。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

7月7日、多摩永山で「戦争をしない国 日本」を上映

2007-07-03 22:49:02 | 戦争体験

 東都生活協同組合多摩ニュータウン支部は、盧溝橋事件から70年を迎える7月7日、東京都多摩市のベルブ永山でピースフェスタを開催します。

7/7ピース・フェスタ

盧溝橋事件(日中戦争が本格化したきっかけ)    
70周年のこの日、平和を祈って企画!
☆映画とお話 ベルブ永山3F講座室

「戦争をしない国 日本」

 学校ではほとんど教わらない、戦後の日本の政府(吉田首相から安倍晋三首相まで)と戦争大国アメリカとの関係、平和のためにわたしたちの先輩がどんな努力をしてきたか、憲法9条の存在意義等々がとてもよくわかる映画。
 監督・脚本 片桐直樹。06年12月。 

 上映は3回
 ①10:30~12:00
 ②13:30~15:00
 ③18:30~20;00
 
 15:30~17:30
 作道好男さん(91才)の中国での戦争体験の話。

 作道さんは、多摩市百草に在住。
 1916(大正3)年愛媛県生まれ。盧溝橋事件の直後「補充兵」として中国戦線へ。盧溝橋事件は1937(昭和12)年7月7日、北京郊外の河にかかる盧溝橋付近で、日本軍が夕方からしていた軍事演習を終えた直後、一発の銃声が響いたことから起こった日本軍と中国軍の衝突。
 当時の日本政府はこれを戦争ではなく「事変」と呼び、早期に終結させるつもりでしたが、南京大虐殺の報が中国全土に伝わり、中国民衆の怒りが高まって中国側が結束、日本は戦線を北へ南へと拡大せざるをえなくなりました。
 当日は、このようなお話を中心に体験談を語っていただきます。

 ※非組合員の方は、参加費300円。

☆試食会  ベルブ永山4F調理室
  戦争にまきこまれないためには、自前の食糧を確保して、戦争好きの国の言うなりにならない態勢が必要!国産材料にこたわった試食会を企画中!時間帯は11時は半頃~6時頃を予定していますが、多少変更の場合があります。時間帯・メニュー等くわしくは東都生協多摩ニュータウン支部ニュースをご覧ください!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第2回 作道さんの戦争体験を聞く会

2007-05-09 01:09:44 | 戦争体験
作道さんの戦争体験を聞く会(第2回)のお知らせ

 下記の通り、91歳になる作道さんの戦争体験を聞く会の第2回会合を開催します。毎週1回ずつ、開催していきますが、いずれの会でも、飛び入り大歓迎で運営しています。是非、お足をお運びください。

 日時 5月10日(木)6:30~8:00ごろ
 場所 ベルブ永山 講座室(京王線・小田急線永山駅下車徒歩5分)


 また、JIM-NETの佐藤真紀さんから、下記の通り要請がありました。時間がないことから、これまで、イラクの子どもたちを人道的立場から支援してきた「多摩平和イベント実行委員会」として、喜んで賛同署名することにしました。
 ご了承下さい。


 皆様、JIM-NETの佐藤真紀です。
 イラクで増加するがんの原因のひとつとして、劣化ウラン弾が考えられます。NPTでは、核の平和利用がうたわれています。核兵器の廃絶にむけ日本政府も「はだしのげん」の英語版漫画を作成しました。核廃絶の一助になることを願っていますが、一方で、原発の核廃棄物である劣化ウランが、兵器として製造され使用されることは、平和利用とはいえません。5月8日、ウラン兵器禁止を求める国際キャンペーンが日本政府と交渉を行うことになりました。
 そこで、皆様の団体賛同、個人賛同を募っています。多くの人たちに支えられて日本政府との交渉に臨んでいることをアピールしたいと思いますのでぜひよろしくお願いします。

 JIM-NETの佐藤も当日報告を行うことになっており現在イラクのドクターたちと連絡を取り最新の情報を収集しています。ぜひ皆様の応援をよろしくおねがします。

 「ウラン兵器全面禁止と被害者支援・被害調査」についての対政府交渉
の日時、場所が決まりましたのでお知らせ致します。 交渉に先だって、国会議員の方々にもこの問題への理解を深めて頂き、 今後協力して取組んでもらうため、「院内学習会」も行います。

 日本におけるICBUWの活動として、国際的な流れに呼応して、日本政府に対しても、「無差別殺傷兵器」であり、新たな放射能汚染と被曝をもたらすウラン兵器の禁止に向けて努力するよう求め、嘉手納基地など在日米軍基地でのウラン兵器の貯蔵問題なども含めて正してゆく、 第一歩にしたいと思います。また、イラクなどの被災地域の実情にそった医療支援について、政府の具体的な前向きの対応を求めたいと思います。
 交渉と院内学習会への参加、ご協力を、どうぞよろしくお願い致します。

http://www.nodu-hiroshima.org/
http://www1.odn.ne.jp/hibaku-hantai/
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第1回 作道さんの戦争体験を聞く会 報告

2007-04-29 22:40:43 | 戦争体験
 ここのところ、個人的にもいろいろなことがあり、多摩平和イベントのブログを更新する元気がなく、日にちがたってしまいましたが、昨日、91歳になられる作道さんのお話を伺い、これではダメだ、今、一人でも多くの方に伝える努力をしなければと、再び、発奮する勇気をもらいました。

作道さんの戦争体験を聞く会の報告

 作道さんは、1917(大正4)年12月、愛媛県に生まれました。当時は長男が家督を継ぐ、という、いわゆる家父長制の時代でした。作道さんは次男。兄貴は、旧制中学、旧制高校への道が開けていたようでしたが、作道さんは、親の指示により、商業学校への進学となったそうです。小学校から、野球をはじめスポーツは万能で、体には自信があったようですが、20歳の時に受けた徴兵検査では、乙種合格だったそうです。
 当時の日本は、中国の蒋介石政府と戦闘状態にありましたが、盧溝橋事件以降、近衛内閣は、不拡大路線とはいえ、軍部の独走を抑えられず、宣戦布告なき中国での戦闘は、激しさを増していく、という時代背景の只中でした。
 作道さんは、1937(昭和12)年7月、愛媛県善通寺市の第11師団に教育召集されます。
 その後、中国大陸に渡り、揚子江の中流域にある武漢攻略戦に参加。歩兵連隊の山砲射撃手として戦闘に参加します。当初は、蒋介石率いる国民党軍と交戦。華北省に転戦してからは、毛沢東率いる八路軍が敵方となります。この八路軍は、中国の農民からの信頼も厚く、軍の士気も高く、相当、苦しめられたそうです。
 戦争とは、人間を狂気に巻き込む魔力を持っているといいます。敵を殺さなければ自分が殺される、そうした中で、敵味方入り混じる白兵戦では、中国兵を軍刀で刺し殺すこともありました。投降しようとする敵軍を機関銃で射撃し、全員を殺す、という場面を目撃したこともあったそうです。
 宣戦布告なき戦闘は、ジュネーブ条約など国際条約に違反しているわけですが、これら条約は、何の抑えにもならなりませんでした。一方で、八路軍の迫撃砲は、地の利もあってか、とても正確で、弾着のたびに味方が負傷したそうです。
 死ぬ間際に、よく「天皇陛下万歳」あるいは「お母さん」とか、と叫んだといいますが、実際は、「苦しい、早く殺してくれ」という叫びだったそうです。
 兵站が長くなり、食料補給も続かず、そのようなときは、民家に押し入り食料を調達しようとしたそうです。しかし、食料らしきものは、すべて隠されるか廃棄されていたとか。時に残された民家に女性がいた時、悲惨な場面となったこともあったそうです。嫌がる女性を強姦し、時には証拠を残さないため、その女性を殺したという、こともありました。
 いわゆる従軍慰安所、というものは、満州の新京など、当時としては治安が落ち着いたところにしかなく、将官がいっていたそうです。
 
 ※ またまだ話は続きますが、作道さんの戦争体験を聞く会・第2回会合は、5月10日(木)午後6時30分からベルブ永山講座室で開催されます。




 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

作道さんの戦争体験を聞く会 (第1回)

2007-04-28 13:24:40 | 戦争体験

多摩平和イベント実行委員会からのお知らせです。

作道さんの戦争体験を聞く会 (第1回)

4月28日(土) 午後6~8時
 ベルブ永山3F講座室(京王・小田急永山駅歩2分)

 作道好男さんは91歳。1937(昭和12)年、盧溝橋事件(「日支(日華)事変」)の直後に召集され中国へ。揚子江をさかのぼった所にある九江で船から降り、「武漢作戦」に参加、その後「北支」(中国北部)に向けて行軍。当時の日本の中国侵略の模様を伝えてくださる貴重な語り部!


※お話は重厚ですが気楽な会なので、夕食用におにぎりなどをおもちくださってけっこうです。小中学生歓迎!夏休みの自由研究の先取りに・・・

盧溝橋事件とは・・・・

北京郊外の河にかかる盧溝橋で、夕方から日本軍が始めた軍事演習が10時に終了した直後、誰が発砲したかわからない銃声が響き、一人の日本軍兵士が姿を消した。このことをきっかけに日本軍が中国に攻撃を始めた(この日本軍兵士はわずか20分後に隊にもどってきた)。日本政府はこの事件を対中国全面戦争に拡大させる意図はなかったが、内戦状態にあった国民党と共産党が日本という共通の敵に対抗するため協力関係に立つことを成功させたため、中国の抵抗は日本の予想を超える根強いものになり、以後対中国戦は泥沼に陥った。このことは1941年の真珠湾攻撃という新たな誤りにつながることになった。
               
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする