(前回からの続き)
参道を山門に向かって。あらためて、実に厳かな雰囲気であります。
その並木道の参道の脇、山門に向かって左の杉子木立の向こうには断崖が広がっており、そこには無数の石窟が。
なぜ車輪か、というと、国鉄(当時、現JR)仙石線の開通工事で命を落とした方々のために建てられた碑、ということだったと思います。
この石窟は修行の場として掘られたもので、仏像が刻まれている。
石窟の前には観音様の像なんかが並んでました。
改修工事中で何かと制約の多い瑞厳寺を早々に後にして、五大堂へ。島の上に建てられており、島全体が聖域っつーことらしい。
松島や ああ松島や 松島や
ってここで詠んだわけじゃないと思いますが・・・。五大堂は、古くは坂上田村麻呂の時代まで遡ることができるようだが、現在の建物は伊達政宗が建立したもので、風雪に耐えて今に至ると。
「透かし橋」というらしい。要はしっかり足元を見て歩けという教訓らしい。我々としては実に心にしみる教訓ですなあ・・・。
(つづく)
参道を山門に向かって。あらためて、実に厳かな雰囲気であります。
その並木道の参道の脇、山門に向かって左の杉子木立の向こうには断崖が広がっており、そこには無数の石窟が。
なぜ車輪か、というと、国鉄(当時、現JR)仙石線の開通工事で命を落とした方々のために建てられた碑、ということだったと思います。
この石窟は修行の場として掘られたもので、仏像が刻まれている。
石窟の前には観音様の像なんかが並んでました。
改修工事中で何かと制約の多い瑞厳寺を早々に後にして、五大堂へ。島の上に建てられており、島全体が聖域っつーことらしい。
松島や ああ松島や 松島や
ってここで詠んだわけじゃないと思いますが・・・。五大堂は、古くは坂上田村麻呂の時代まで遡ることができるようだが、現在の建物は伊達政宗が建立したもので、風雪に耐えて今に至ると。
「透かし橋」というらしい。要はしっかり足元を見て歩けという教訓らしい。我々としては実に心にしみる教訓ですなあ・・・。
(つづく)
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