YASUKOの人生珍道中

2006年秋、新しく始まるYASUKOの人生はブリスベン!この先どうなることやら…珍道中

余命宣告

2016-02-22 21:11:30 | Weblog
オーストラリアでできたお友達が来月、私よりも早い時期に日本に行きます。
彼のお姉さんがガンで余命宣告を受けたとか、、、
まだ動けるうちに家族で旅行を! なんだそうです。

私は、癌にはちょっとうるさい。

母をがんで亡くした時には、癌について深く考えたことがなかった。
ってことは 癌=死 だと思っていた。お医者さんに任せるしかないと思ってた。
その母は手術を受けた後で 「あと半年」 っていう余命宣告を受けました。
その当時は絶対に告知はしなかったので、受けたのは私ですが、、、
当然、何事もなかったように家庭生活を維持してはいましたが、頭の中は真っ白! でした。
でもあまりにも忙しくて、真っ白のままいるわけにもいかず、
「とにかく今できることをできる限りする!」ことに徹しました。

手術後に1か月の放射線治療、そしてひと月(?)に一度の抗がん剤治療。
当然、もれなく、とんでもない量の副作用付き!!

でも母は頑張って頑張って、
余命宣告を受けてから2年半生きました。

その時にはそういうものだと思っていたし、毎日を悔いのないように無我夢中で生きてきたので、
今になっても後悔はありません。
が、

にむ氏が5年前に肺癌のステージⅣの診断を受けてから今まで、
彼ががんに関して学んだことを少しずつ分けてもらって、自分なりの考えが持てるようになりました。

一口に癌といってもアイフォンみたいにみ~んな同じ形、同じ機能!!
じゃないのよね、一人ひとり性格が違うように、がんもそれぞれ違ってる。
形も内容も進み方も、みんな人(癌)それぞれ。

なのになんで「標準治療」 なんだろう?
みんな違うんだから、一人一人の癌の様子を観察して、その人に合った 「オーダーメイド治療」であるべきじゃないの?

癌を持ってても元気な人はいっぱいいる。
でもその人たちも 「標準治療」を受けると、もれなく付いてくる副作用によって 「病人」 になってしまって、
お医者様の予想通りに死に進む。
だからお医者様はゲームみたいに 「余命宣告」 をしてるように思える。
そして患者さんを含めて家族が恐怖に振り回される。

神様じゃないんだから、いえ、神様だって人の命の長さなんて計れないと思う。
お医者様に、医師免許を持ってるからって、「余命宣告」なんて簡単にしちゃいけないんじゃないかな~?

運悪く癌を持ってしまった人は 「死」への時間を数えるよりも 「共に生きる」 ことを考えないといけないと思う。
そして自分の癌なんだから、他人であるお医者様のいいなりになる必要もないと思う。
患者さん自身がよく学び、よく考え、それで標準治療を選ぶのであればそれでいいし、ほかの治療を望むのであれば自分の身体と相談して自分の納得できる道を進むべきだと思う。
だって、お医者様だって、お友達だって、家族だって、進めた人が副作用を代わって受けてくれることはできないんだもの。

そして治療法は宗教と同じで、自分が信じるのはいいけれど、人には強要しちゃいけないと思う。

と、とんでもなく辛口になってしまいましたが、
知識のない私が偉そうなことを言っています。
読んで不愉快な思いをされる方がいたら、ごめんなさい。
私だって自分の考えが正しいのか間違ってるのかなんてわかりません。

でも、もし私が癌と一緒に生きることになったら、
なるべく標準治療は避けて短くてもいいから与えられた命の長さだけ、できるだけ心地よく生きられると、いいな! って思っています。

おまけ
たしか前回、日本に行ったときに叔母から聞いたんだけどね。
私、抗がん剤治療で苦しんでる母に 「お母さん、もう、頑張らなくっていいよ!」って言ったんだって
言った私は覚えていないんだけど、、、













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