ちび猫のつぶやき

宇宙人の独断と偏見なのですが、警鐘を鳴らす訳ではなく希望の光を照らす訳でもなく、ただ足下の事を皆で見ていたいだけなのです

A03.ちび猫の目指す『集団的自衛権の同盟拡大』の公開(1)

2013-12-11 | 自由広場の営業
第A0003号


*****(制作終了)*****


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・新テーマ


憲法論議をする人たちに、『生きた世界観』に基づいた『生きた進歩』から享受できる、様々な恩恵を提供する。







平成27年度版







*日本の本当の危機【2月11日・水】


物事の【多様な全体としての更新機能】とは、『微生物群』や『動植物群』などの“全生態系”が使われての、《生物による環境適応》の働きを、“連続実行”させる作用であり。

放射性物質や安定物質などの全物質と、核エネルギーや放射エネルギー(光や放射線)や一般物理エネルギーなどの全エネルギーを含んだ“全物理現象”が用いられての、《物理世界の安定化》の働きを、“連続実行”させている作用でもあり。

さらには、『指示者』や『監督者』や『認可者』や『監視者』や『出資者』や『経営者』や『管理者』や『労働者』や『女性や子供などの、その家族たち』や『付随産業・その業務者たち』などの“総ての人間”が自然発生的に自主参加しての、{本当の意味での自由・平等がもたらす本物の発展と進歩の姿である}《政治や国家・宗教や社会・産業や組織などへの共有意識》の働きを、“連続実行”させられる作用でもあるのに。

思考停止した知識人と、市民への思考制限を施行(シコウ)する権力者と、日和見(ヒヨリミ)な市民運動家のもたれ合いが土台となり。【部分解禁】の【切り崩し】の範囲を、【枷(カセ)の交換】でもするかのように{段階的に}移動させながら、{自分達という、一部の・特定の}人間にとって有利になるようにと{『正義感』や『義務感』に押されて}考えてしまって。

《戦利品に目が暗(クラ)んだように》有用な微生物や動植物を『品種改良』や『遺伝子操作』などで作り出しては大量繁殖させ、《領地侵略に目が暗(クラ)んだように》有害だとされた微生物や動植物を『殺菌・消毒』や『殺虫・除草』や『害獣駆除』などを繰り返して排除・絶滅させてしまい、〔生物世界〕の【多様な全体としての更新機能】を崩壊させてしまって、『パンデミック』の脅威を拡大させてしまい。

《戦利品に目が暗(クラ)んだように》『放射性物質』を高濃度に大量に濃縮しての核開発をし、《領地侵略に目が暗(クラ)んだように》『放射性廃棄物』をドンドン高濃度に濃縮して処分してしまい、〔物理世界〕の【多様な全体としての更新機能】を崩壊させてしまって、『放射能汚染』の脅威を拡大させてしまい。

そして、《戦利品に目が暗(クラ) んだように『英雄』や『勝者』や『優等者』の気分に浸って》『お金』の損得勘定(ソントクカンジョウ)に基づいた経済活動をひたすら発展させ、《領地侵略に目が暗(クラ) んだように{『義務感』や『正義感』を発揮しているという}『達成感』や『高揚感』に浸って》『反動的人間』や『反経済的行為者』などを排斥(ハイセキ)・処罰してしまい、〔人間世界〕の【多様な全体としての更新機能】を崩壊させてしまって、『経済損失や治安悪化』ばかりか『テロや紛争』の脅威までも拡大させてしまっているのです。


そしてその余波として、【多様な全体】が【更新】された事による『STAP細胞』への道が{『近代科学』の大原則である}《『リセット』と『データの集積』の繰り返し》によって閉ざされ、その責任が開発者であった【小保方 晴子】さんに着せられているというのに、そういった近代科学の矛盾に異を唱えられる人は皆無ですし。

既得権益の塊(カタマリ)である『原子力発電所』の存続・増設がゴリ押しされ、既存の権力者たちによる《『E=mc²』という普遍的原則》についての思索制限が行われてしまい。『放射能』を《侵略者》、『核物質』を《敵の領地》、『核エネルギー』を《戦利品》、『核開発』を《聖戦》とみたてたられ、そして『原子力発電』に至った事を、{教科書や科学雑誌に掲載(ケイサイ)されている、単独の種の絶滅や進化が《一本の線からの分れ》で表されている進化論モドキの“悪意”があるとしか思えない『図』が利用されて}生物が延々と続けて来た《生存競争で勝ち残るための進化》と位置づけられてしまっていて。福島第一原発での大事故がありながら、知識人や市民運動家は、最終的には『核エネルギー開発』が推進されてしまう事への《民主的お墨付き》を与えてしまうだけの『反核運動』を、{馴れ合いとしか言いようのない状況であるにもかかわらず}何の臆面もなくそれ以前と同じ行動パターンで繰り返しているだけなのですが。

さらに良く見ていると、『ストーカー《殺人》事件』や『秋葉原通り魔《殺傷》事件』などで、その被害者や遺族やその関係者たちが、自殺したり死刑が確定したりした犯人にさらなる『落とし前』を要求する映像が、{今後の似たような事件の抑止に繋(ツナ)がる『正義』と『義務』の実行だと言わんばかりに}テレビで報道され。さらには、死刑が{断固たる『正義』と『義務』の実行となって}犯罪の抑止になると公然と言われて、死刑が存続しているというのに。『イスラム国』による{イスラムの『正義』と『義務』を掲げての}二人の日本人の拉致・殺害事件や、ヨルダン軍パイロットの焼殺に対しては、ほとんどの日本人が「まったく理解できない{時代錯誤な}蛮行」と決め付けてしまい、「そういった過激派組織は《叩(タタ)き潰(ツブ)す》しかない」と言い捨てるに至っているのですが。

そういう所からは、支離滅裂で一貫性がなく『寄らば大樹の陰』で、しかも『コウモリ』のように平気で《良いとこ取り》をしていても、何の疑問も抱かないという、日本人の特徴が見え始め。

ある一面では、そういった『テロや紛争』が、欧米諸国の『正義』と『義務』の遂行への、イスラムからの『正義』と『義務』の抵抗や報復という《負の連鎖》によるモノであるという事に、{不安定ながらも}強い共感を抱いて、「そういった《負の連鎖》に日本が拘(カカワ)らないように『人道支援』しかするべきではなく、今の『憲法(憲法第9条)』は変えてはならない」と言う人の声が{一時的に}声高(コワダカ)になりつつも。

その反面では、{今の世界の主流となっている}欧米諸国による『正義』と『義務』の遂行に{小さな恩でも売っていれば《一つ一つは小さくて積み上げれば高く大きくなる》ように大きな国益になるが、始めなければ何も得られないとして}前向きに賛同するべきであると考え、「今の『憲法(憲法第9条)』を変え、『自衛隊』の『軍事的派遣』を可能にすべきである」と言う人の声がより声高になりつつあって。

そういった声高な声からは、≪現在までは、平和主義の『憲法(憲法第9条)』とその平和的解釈によって『軍事的派遣』よりも『人道支援』が優位な“天秤の傾き”でバランスが取れていたが。狂気を秘めた《日本国・日本人》が小さな島に引き篭もって『力』を溜(タ)め込みながら、“天秤のバランス”にドンドン大きくなる負荷が掛かり続けてしまった為に。反転側にバランスが少しでも傾けば、一気に全反転して憲法が改悪されてしまい、戦争へとまっしぐらに向かいかねない≫という日本の危うさだけが、見えてきてしまうのです。


科学者や経済学者・政治家や経営者・知識人や市民運動家などから非難され、『ドロップアウト』を余儀(ヨギ)なくされている人々を救い出し。失望して自殺に追い立てられている人には、温かい手を差し伸べられる 。そんな“清廉”な人たちに対し、【ちび猫】は支援を惜しまないのです。





*無自覚で反動的な責任転嫁と他力本願【2月2日・月】


よく見る光景なのだが、地方(地元)が衰退していく現状に対して、「国は無責任であり、行政は無策であるため、地域住民の努力が無駄にされていて、消滅の危機にさらされている限界地域が増えている」と問う人と、「どれほど地方であっても、住んでいる人間のヤル気や工夫が問題であり、地方である事を利用して、成功を収めている地域も少なくない」と問う人とが、議論をしていて。結局は、何の結論も出せずに、口論だけに終始してしまう人たちを、よく見かけるのですが。

どんなに話しをよく聞いていても、『責任転嫁』の意見と、『他力本願』の意見とで、{それが不毛だとは気付かずに}熱い議論をしているだけであり。前向きなしせいや、具体的な提案がまったく無く、お互(タガ)いに{熱く}中傷し合っているだけであって。たいていは、{端で見ている者からすれば}醜い足の引っ張りあいを、{欧米人などのように}けんか腰でし合っているとしか感じらないのです。


そして、こういった事態に陥(オチイ)る原因はというと、たいていその場が、お互いの{反動的な市民感情の}捌(ハ)け口となっているからであり。この時に問題となるのが、こういった議論の中で、お互いが反動的な態度を強めていって、より過激な意見へと変貌(ヘンボウ)してしまう事でありまして。

それによって、日本人の一般的な市民感情というものが、より反動的で過激なモノへと、ドンドン変貌していて。無思量に、差別的な発言や戦争賛成の発言などを、{日本中で}誰もが軽率に、そして安易に言えてしまえるように、{戦前以上に}なってしまっているのです。


本来ならば、中国古典の『神仙思想』や日本の古くからの『失敗教訓』によって、時勢を見極め、軽率な『蛮勇』や安易な『追従』を自問して、本当の意味での全体のための行動が取れるのが日本人であったハズなのですが。

明治維新以降、『唯一神教』の欧米文化を無闇に取り込み過ぎた為に、日本人の精神が『唯一神教』的となり、太平洋戦争に突入してしまいながら。その反省を、さらなる『唯一神教』の取り込みに求めてしまった為に。今や日本人の精神構造は、完全に{『唯一神教』の}欧米人化してしまっていて。


現代の日本人が、過去最大の精神的危機状態を迎えるに至り。『STAP細胞』を巡る騒動で、理化学研究所の研究ユニットリーダーであった【小保方 晴子】さんを、{自分達は、安易に}泥棒扱いまでしておきながら、『イスラム国』による二人の日本人の拉致・殺害事件に於いて、「理解し難い蛮行」と{みんなして、横へ倣(ナラ)えで}吐き捨てるように言ってしまうなど。その根幹にある、《【未完成な世界の世界観】の上に立った【多様な全体の更新機能】》の{『唯一神教』に感化された}隠蔽(インペイ)による、様々な弊害の発生に対して。悪循環になるだけの、《【未完成な世界の世界観】に基づいた【部分解禁】と『リセット』による問題解決》に縛(シバ)られ、執着してしまっていて。

『殺菌・消毒』を繰り返しながら、『パンデミック』の脅威に怯え。【E=mc²】を目にしながら、『E=mc²の論理』の〔一般物理世界〕での作用を{あまりにも微量・微細すぎて見えにくい事を理由に}無視して、『放射性物質』の濃縮による『放射能汚染』の脅威に怯え。『経済活動』による『お金』の絡んだ人間関係の悪化を認識しながらも、『経済活動』による{本物の進歩とは似て非なる『切り崩し』や『枷(カセ)の交換』とも気付かずに}進歩の幻想にしがみ付いて、『テロや紛争』の脅威に怯えているのです。


しかし、そうと言われながらも、それがなかなか反省出来ないのが人間であり、反省をする余裕を人間に与えないのが世間でありますが。そのような忙(セワ)しない人間社会に於いて、この【多様な全体としての更新機能】の事をゆっくりと考えた為に、変人扱いをされてしまい、『ドロップアウト』を余儀(ヨギ)なくされている人々を救い出し。失望して自殺に追い立てられている人には、温かい手を差し伸べられる 。そんな“清廉”な人たちに対し、【ちび猫】は支援を惜しまないのです。





*『イスラム国』問題と埋もれた『神仙思想』【1月28日・水】


憲法論争の中で、『改憲論』との感情的なやり取りしかせず、近年の身近な『成功教訓』に無思慮なまま取り込まれて、経済発展が他力本願であった事も忘れて有頂天となってしまい、埋もれた『失敗教訓』の掘り起こしにまったく目が向けられないまま、{そんな}昔ながらの『神仙思想』までもが敗者の言い訳に仕立て上げられて{埋もれて}しまう『護憲運動』が支配的なであった日本国で。一週間ほど前から、【湯川 遥菜(ユカワ ハルナ)】さんの拉致・殺害と、【後藤 健二(ゴトウ ケンジ)】さんの拉致をめぐって、『イスラム国』問題が急浮上してきているのですが。この事件への対応を見ても分かると思うが、『神仙思想』が埋もれたままであるのに代表されるように、今の日本では、昔の危機管理のノウハウの殆(ホトン)んど全てが埋もれたまま活かされていない状況であり。このような{無能な}日本国にしてしまった責任は、日本国に枷(カセ)をハメて足を引っ張る事しか考えてこなかった独善的な『護憲運動』と、その可笑しさにも気付かずに『改憲論』ばかりをタダ主張して何の成果も出さずに放置していた偽善的な『改憲派』の双方でありまして。今後の混迷を深める世界情勢に対して、日本国(日本国民)は、中国の古典思想を紐解(ヒモト)き、日本の戦国時代などの教訓を掘り起こしてこなくてはならないと思うのです。

しかし、今夜のところは急な状況なので、【後藤 健二】さんが無事に解放される事を祈るばかりです。







平成26年度版







*日本人の慢心【5月12日(月)】


最近の『日本』のテレビやインターネットでは、「『ベトナム』や『フィリピン』と『中国』が領海を巡るいざこざを起こしていて、『ASEAN』で中国の行動を諌(イサ)める決議が採択された」とか、

「【安部】首相が欧州を歴訪して、『中国』を名指しでけん制し、『集団的自衛権』の行使容認への理解を求め、日本の『積極的平和主義』への支持が得られた」とか、

「駄々をこねる『韓国』に手を焼いた『アメリカ』の【オバマ】大統領が、『日本』に【大人の我慢】を求めるので、『軍事慰安婦問題』を巡る『アメリカ』の人権問題の裁判官を気取った『韓国』よりの発言をするに至っても、日本は表立っては反発する事をしない損(ソン)な役割りを担ってあげているのだ」とか言っていて、『日本』の正義は世界各国に周知されていると、『日本人』は{東アジアの[国々]と[民族]を侮(アナド)り}少し慢心しているようだが、

中国では、「右傾化の激しい『日本』が、『ASEAN』に{脅迫まがいの}働きかけをしているのだが、『中国』が勇気を持って正義を貫(ツラヌ)き通せば、最後には『ASEAN』も『中国』に賛同せざるを得なくなる」とか、

「右翼思想の日本の首相が、怪訝(ケゲン)な顔をしている欧州の首脳たちの前で独善的な持論を演説して自己満足をしているようだが、物事の道理を弁(ワキマ)えている欧州各国は、何時も『中国』の見方である」とか、

「『アメリカ』に促(ウナガ)されて『韓国』が、『日本』の卑劣な『軍事慰安婦問題』隠しを暴(アバ)く行動を遅ればせながら始めたのだが、『中国』も遅まきながら、【伊藤 博文】の暗殺者である【安 重根】の記念館を建てて『韓国』を支援しているのだ」とか言っていて、長期的な視点を見据えた高度な危機対応を展開していて、『中国人』は{決して「不当に低く見下す」ような偏見で見てはならない}強(シタタ)かで優秀な民族でありますから、

『日本』が早急に、『アメリカ』の属国のような『日本国憲法』を、独立国の国民として『改憲』し、堂々と『集団的自衛権』の同盟拡大を実施して、世界中の[国々]・[民族]・[宗教]との“絆”を深めていく事で、『中国』を見方に付ける事が始めて出来て、

そうすれば、『韓国』の反日も、後ろ盾を失って沈静化するだろうし、『北朝鮮』との『日本人拉致』の問題も、安定した交渉のテーブルが用意されるのだと思うのです。





*政治批判とSTAP細胞を巡る議論【4月26日(土)】


日本人はよく政治家や官僚を{目の色を変えて必死に}非難しては、自分は盲目的な信奉者などではなくて、確(シッカ)りとした啓蒙(ケイモウ)を受けた人間であり、啓蒙活動も行っていると自己アピールするのですが、

それとまったく同じ理屈で、一月の末にマスコミよってSTAP細胞の発見者として大々的に持て囃(ハヤ)されて時の人(ヒロイン)となった【小保方 晴子】さんに対して、その時に一般大衆が【『他人の為に働く』活力】や【『合理性を追究する』活力】を発揮した【小保方】さんを手放しで称賛していた事を、二月の末頃から「時流に流されやすい大衆の軽はずみな愚行」だと{既得権益を守ろうと【『火事場の馬鹿力』の活力】を発揮した}権威者や評論家たちから《全聾を騙(カタ)った【佐村河内 守】の問題》などとからめ厳しく指摘されると、マスコミや一般大衆は完全に畏縮(イシュク)してしまい、STAP細胞を巡る議論を騙ってSTAP細胞の事は棚上げにしたままで《小保方さんへの個人攻撃》を断行する現代の『魔女裁判』に、何の抵抗もせずにあっけなく同調してしまったのです。


このような優柔不断で何の信念も持たないマスコミや一般大衆なものだから、【集団的自衛権の同盟拡大】には目も向けられず、[無責任]で[事なかれ主義]な《埒(ラチ)が明かない憲法議論》が何時までも続いてしまうのであり、

【微生物群の更新機能】や【『E=mc²』による物理学の再構築】や【『他人の為に働く』活力を生かした自由経済】などまでもが長年埋もれたままで、誰からも顧(カエリ)みられる事が無いのです。





*大本営発表の枠組みが今も続く日本【4月18日(金)】(改正)


日本では毎日毎日、

「日本国は文化的で日本人は真面目で世界に誇れる日本なのに、東アジア地域の中国(中国人)や韓国(韓国人)は日本(日本人)を一方的に悪者と決め付けてかかるものだから、逆に{見せなくてもいい}未熟な所を露呈(ロテイ)させて、{愚かとしか言いようのない}墓穴を世界中で掘ろうとしているというのは周知の事実なので、それを見越して先手を打って、『東アジア地域の中で一線を画した路線を取る』だけに留まらず、『国際社会と東アジア地域との接点となる』という{日本の地理的場所による必然的な}事態を想定して、国際社会と東アジア地域の両方に広く目配りした高度な準備をしなくてはならないのだ」と、

テレビや新聞やネット配信などで繰り返し報じられる事により、日本(日本人)の優位性が日本国民に“一様”に刷り込まれてしまい、この事により、日本(日本人)の東アジア地域を馬鹿にした右傾思考への進行が{民族意識と重なって}一向に止まらないのです。


そしてさらには、左派系の人たちの“ワンパターン”な連呼によって、

≪日本での「大国に翻弄(ホンロウ)される小国が自立を保ち自衛していくための{国連で認められている}権利を独立国として行使できるようになる事を{当たり前に}目指すのだ」という名目の『改憲議論』や『集団的自衛権論議』が、実は「日本とアメリカの同盟関係の上での軍事行動を背景にした、{日本への敵意と警戒心を無くそうとしなくて始末に負えない}東アジア地域の中国(中国人)や韓国(韓国人)への、積極的な{報復的}自衛権の行使に道を開くモノでしかない」のだ≫と、

日本国民が“一律”に刷り込まれてしまい、この事により、日本(日本人)に「日本の同盟国はアメリカや欧州であり、その協力の下に於(オ)いて初めて、{日本に仇なす}東アジア地域での日本の{能動的}自衛活動が認められるモノである」という固定観念が{連帯意識と重なって}はびこってしまい、

それらの事が、{戦時中の大本営発表を信じるコトしか選択肢の無かった時のように}日本人の思考に何重にも枠組みを設けてしまう事となり、日本の未来を狭い方向に限定してしまっているのです。


すなわち、日本の繁栄と安全・安定のためには、東アジア地域の中国や韓国や北朝鮮などの繁栄と安全・安定が不可欠であり、そのために、日本が最大限に活動し貢献できるような体制に整えようとする『改憲議論』や『集団的自衛権論議』であるハズなのに、安全保障の大義名分の下に、国益を優先するアメリカと同盟して東アジア地域に於ける{日本に仇なす}不穏分子の掃討(ソウトウ)を前提にした、旧来の『改憲議論』や『集団的自衛権論議』の繰り返しを延々と続けているものですから、その事が、東アジア地域の硬直した分裂関係が未(イマ)だに続く重大な要因の一つになっているのは確実でありますが、

そうであるにも拘(カカワ)らず、その自覚も認識も日本(日本人)はまったく持っていなくて、この先も持てそうにはないので、日本がまたアメリカや欧州の国々との同盟を盾にし、安全保障や国益の名目で、東アジア地域で軍事行動を始める可能性が高く、中国や韓国や北朝鮮による日本への挑発や反日運動は、まだまだ無くならないという事なのです。


しかし、黙っていても日本(日本人)は動かないし、何も変わらないでしょうから、【ちび猫】は訴え続けるのです。・・・もっと有用な『改憲議論』や『集団的自衛権論議』をし、有効な『日本国憲法』に改憲し、≪『集団的自衛権』の同盟拡大≫を目指そうと(!)。





*≪『他人の為に働く』活力≫による世界平和【4月1日・火】


現代の東アジア地域は、「70年以上も前の事を《今後1000年間は忘れてはならない事》と表現して騒ぎ立てている貧しい国が在る」と愚痴りながら良い子面をしている国と、「今までの数十年間の地域貢献をハナに掛けて天狗になっている国がある」とボヤキながら駄々を捏(コ)ねている国とが、不毛なにらみ合いを続けているだけの、先生に告げ口をしあう子供のケンカのような膠着(コウチャク)した状況にあり、

東アジア諸国の国民も、子供顔負けで感情をむき出しにし、《『さる山』を人間的にアレンジした『サル山』の住人》になり切って、病的に拒絶し合っているモノだから、

他の地域の国々からは、「今後の、避け難いであろう紛争の火の粉が、自分達に降り掛からない様に避けた方が良い、問題の多い地域」だとしか見られていないのです。


この様な病的事態に東アジア諸国とその国民が至ってしまったのは、《『さる山』を人間的にアレンジした『サル山』の国家》での、『序列競争』や『グループ抗争』などの【射幸心】を擽(クスグ)られる経験によって、≪『勝ち』を手に入れた時の劇的さ≫に心を奪われ、尚且(ナオカ)つ自分達の攻撃的な行為への仕返しに怯(オビ)える【被害妄想】に陥(オチイ)ってしまうようになり、

そしてやがて、『みんながやっている事』という言い訳を『錦の御旗』のようにしての対決姿勢のエスカレートに対し、《降りたら負けのポーカーで掛け金がドンドン吊り上がっていく状況》の時のように、誰も異論が挿(ハサ)めなくなってしまったからであります。

しかしこの様な時こそ、「人間が、その本来の“力”を遺憾なく発揮するコトの出来る≪『他人の為に働く』活力≫を有効に作用させるコトが出来さえすれば、人間は、人間らしい思考や言動を起こし、正しい人間社会を構成する」という事を利用して、

『集団的自衛権』の同盟拡大を進め、多国間でも広め合って行って、人間本来の“力”が発揮される≪『他人の為に働く』活力≫が求められる機会を増やしていけば、

【射幸心】や【被害妄想】で病的に硬直した人々の心が、《『さる山』を人間的にアレンジした『サル山』の呪縛(ジュバク)》から開放され、東アジア地域に止まらずに、世界中で、膠着(コウチャク)が続く緊張関係が緩和されると思うのです。





*集団的自衛権の同盟拡大【2月25日・火】


「〔この世界〕は創造主である『神様』が完成させた唯一無二の存在である」とする『形而上学的原理原則』を信奉(シンポウ)する《唯一神教の原理主義者たち》の中で、〔社会科学世界〕や〔人間行動学世界〕に於(オ)いて『知識人』と自称し、【懐古的原理主義者行為の分担】を担(ニナ)う者とは、〔微生物世界〕や〔物理学世界〕に於いて【進歩的原理主義者行為の分担】を担って{実体の在るモノや全体への《注入継続的実施》を拒み、そしてリセットを繰り返しながらデータ集積をするというような}『技術革進』や《効率化の追求》を行ってきた側の人達であり、日本国(日本人)の平和主義の行動が〔散発的〕であり[実効性]や[全体性]や[継続性]に欠けたモノである事によって起こっている日本を取り巻く周辺国や国際情勢の{日本国(日本人)の不誠実さが招いた}危機的状況に於いて、今度は{データのツギハギをしてはリスクを作り出し、それを脅威(キョウイ)だと言って、[緊急の対処]や[危急の回避]の必要性を主張するように}「日本の平和憲法は、相手国の悪意の標的にされるだけであり、平和主義は日本国(日本人)を危険にさらすだけだ」と言って、日本国憲法の改正の必要性が訴えられていて、

また、同じ《唯一神教の原理主義者》の中で、社会科学世界〕や〔人間行動学世界〕に於(オ)いて【進歩的原理主義者行為の分担】を担う者が、{〔微生物世界〕や〔物理学世界〕に於いて【懐古的原理主義者行為の分担】を担い『知識人』と自称して、データのツギハギをしてはリスクを作り出し、それを脅威(キョウイ)だと言い、[緊急の対処]や[危急の回避]の必要性を主張していながら}周辺国を敵対国と一方的に決め付けた上での〔改憲議論〕や〔集団的自衛権議論〕をしていて、{実体の在るモノや全体への《注入継続的実施》を拒み、そしてリセットを繰り返しながらデータ集積をするように}「日本国政府は戦争が出来る国へと舵(カジ)を切るタイミングを〔改憲議論〕で見計(ミハカ)らっているようだが、これは創造主である『神様』が完成させた唯一無二の〔この世界〕の安定を絶えず揺(ユ)るがそうとする悪魔の陰謀に加担するものであり、〔集団的自衛権議論〕が話題に出るのは悪魔が日本で本格的に活動を始めたからだ」と口先だけで{周辺国を武力行使の対象国からは外さずに、誠実さの継続も無いまま上から目線で}騒ぎ立てて見せながら、周辺国からの{否定的であったり、攻撃的であったりする}反応をデータとして集積していて、

このような{ガチガチの}唯一神教の『原理主義』に傾倒している日本国(日本人)のままでいて、周辺国から尊敬されず快(ココロヨ)くも思われていないからといってガッカリしたり、敵視され脅(オビヤ)かされているからといって腹を立てたりする方がどうかしているのであって、反日の風潮(フウチョウ)が当たり前となって抗日デモが頻発(ヒンパツ)している周辺国の状況こそが日本国(日本人)の鏡に映(ウツ)った姿だと認識するべきでしょう。


確かにこの状況を打開するためには、日本国(日本人)自身が、「〔この世界〕は創造主である『神様』が完成させた唯一無二の存在である」とする『形而上学的原理原則』を信奉する唯一神教の『原理主義』に傾倒している{進歩派がデータ集積をして、懐古派がそのデータのツギハギをしながら被害妄想を暴走させてしまう、悪循環にハマリ込んでしまった}自分たちの{自作自演の芝居をしているような}状況を自覚する事も大切でありますが、

それ以上に{困難である分}重要であるのが、『神秘主義』の世界観で考えた《集団的自衛権の同盟拡大》に周辺国や世界情勢(民族・宗教)を取り込んでいくコトでありまして、

そのためには、『神様』による創造が今現在も“活性”しているとして、【市民陶芸展状態】の形成を恒常的に行(オコナ)って、【神秘主義の扉】を開くためにも、{【流動的認識】に基づく、普段の時からの継続的働きかけとしての}周辺国や世界情勢(民族・宗教)への《注入継続的実施》として、『集団的自衛権』の【同盟拡大】という行いを{暫(シバラ)くは}継続するだけにしておいて、

平和主義を模(モ)した{一人芝居をしながらの}データ集積や、「やはり平和主義は相手国に付け込まれるだけだ、ヤバイ(!)」というような{危険認識の}データのツギハギをしなければ良いのです。


しかしまあ、それがそう簡単に出来ないからこそ、今の日本国(日本人)を囲む周辺国の包囲網(ホウイモウ)が、何時までも無くならないのですがね。


真の愛国者よ、集え(!)。





*不毛な議論が続く悪循環【1月31日・金】


「誰も指示を出さず、誰も指示されず、働くモノと怠(ナマ)けるモノとが入り混じって、蟻(アリ)は蟻の巣(ス)を作り、維持し、昔も今も蟻は蟻の巣を同じ様に作り続けている」という{物事の断面を部分に的切り抜いてきて、その平面的状況から物事を解明する手法から導き出された}蟻の習性の{『市民陶芸展状態』の断面でしかない}写(ウツ)し絵から《『絶対的摂理』は存在する》という『形而上学的原理原則』が導き出され、

{「蟻は蟻の巣を作るのに、蟻なりの社会作りが何時も同じ様に繰り返えされてきた」という断片が『絶対的摂理』の存在証明として強調された}蟻の蟻の巣作りを手本とするような『原理主義』を作り出し、「{蟻の蟻の巣作りの切り取りが表面的であるにも関わらず}『絶対的摂理』が求められて、物事の実施に活かされるべきだ」とする懐古的(カイコテキ)な知識人達の非進歩的な意見が台頭して、

{創造主である『神様』が〔完成〕された〔唯一無二〕の世界と『絶対的摂理』を継承しつつ、世代ごとに世界の[末端(マッタン)]を作り変えてきて、近代化を成し遂(ト)げてきた}人間が{人間の進歩は、創造主である『神様』により〔完成〕している世界の『絶対的摂理』を、踏み外した歪(ユガ)みの積み上げであり、人間の営みに付いて回る[破綻(ハタン)]の[頻発(ヒンパツ)]は〔唯一無二〕の世界の崩壊(ホウカイ)だとして}一時的に悔(ク)い改めても、

近代化の歪(ヒズ)みによる諸事のリスクを無防備なままもろに被(カブ)って[破綻]の[頻発]を加速させてしてしまい、また歪(ユガ)んだ進歩にすがり付くしかなくなって、

結局は{創造主である『神様』がその【死】と引き換えに〔完成〕された〔唯一無二〕の世界と『絶対的摂理』を継承する『原理主義』に根ざした}唯一神教に傾倒して近代化を進めて来た既存の勢力に正当性を与えてしまう悪循環が繰り返されるだけであり、

何時まで経っても、何所まで行っても、「活性した【市民陶芸展状態】により『神秘主義』の扉を開いて、〔世界全体〕の【自然更新】を理解し、〔活性する世界〕を活発に活かしていくに至る事」が出来ないのです。


最近まで【懐古的原理主義者】である知識人達の意見に押されて、学校教育で『ゆとり教育』が実施されていたが、【市民陶芸展状態】のような独自な頑張りを確保するための自由の場に似せた《蟻の蟻の巣作りの断片的なモノマネ》がトップダウンで一律に施行され、『ゆとり教育』の{『神秘主義』から広がる個人の世界観の活性と、〔世界全体〕の活性と個人の主体的関わりから生み出される『個人主義』の確立という}意義が失われてしまい、

『ゆとり教育』が目指すべきであった≪【市民陶芸展状態】が学校教育の場で維持されるコトによって、〔活性する世界〕が活かされる多面的で流動的な仕組みが学校内に出来て、学校で学ぶ子供たち一人々々が〔世界全体〕の【自然更新】に目が向けられる{『神秘主義』の活性した世界観を包容した}英知を獲得して。さらには、そんな『神秘主義』から{既存の『原理主義』には無い}活性した『神様』を獲得した強固(キョウコ)な『個人主義』を形成させて、日本を子供の世代から『個人主義』へと変えていく≫という理想は遠のき、

結局{全国の平均学力が下がってしまうばかりで}思ったような成果は上がらず、{私立校と公立校の学力差も広がるばかりで}弊害ばかりが目立っていたが、

最近また【進歩的原理主義者】の既存の勢力に{荒廃した日本の学校教育を立て直して、世界との距離を縮めるべく}正当性が与えられ、{一律に《蟻の蟻の巣作りの断片的なモノマネ》を強いられて閉塞状態に陥(オチイ)っていた}学校教育が【主催者の意向に沿った展示会方式】に則(ノット)った効率化を始めて、{独自な頑張りを確保するための自由など無いまま、外見的な自由を装うコトを強いられてきた}子供達がまた一様な方向に向かわされ、1つの方向性を持った評価基準にさらされようとしていて、

{表面的であるにせよ独自な頑張りを確保するための自由の場である【市民陶芸展状態】の確立を目指していた『ゆとり教育』が無くなってしまい、特定の評価基準で個人が不当評価されて公平であるべき支援が露骨(ロコツ)に差別される既存の学校教育が再開されたというのに}『ゆとり教育』を学んできた{『ゆとり教育』の指導者に育っているハズの}世代からでさえ大した異論も出ないまま、今は{分が悪いのか}誰もあまり反論しないで、粛々(シュクシュク)と受け入れてしまっているようなのですが、

このような{【進歩的原理主義者】と【懐古的原理主義者】の不毛な勢力争いによる}原理主義の悪循環が公然と日本の学校教育で起こっているからなのか、日本に於(オ)ける諸問題の議論は総て『原理主義』の悪循環に陥(オチイ)っていて、出口が見えないまま{創造主の『神様』は【死】に、今の世界を[完成]された唯一無二のモノとされて、活性した世界で起こる〔世界全体〕の【自然更新】が禁忌(キンキ)とされ、世界の[末端]の【人為的更新】を巡る攻防ばかりが取り沙汰(ザタ)されていて}状況の悪化がドンドン進行しているというのに、{活性した世界に対処するための出来るだけ沢山の【失敗教訓】の掘り起こしに目が向けられるというコトも無いまま}一つの『成功教訓』の是非(ゼヒ)を巡る{『原理主義者』同士が争う不毛な悪循環に陥った}議論ばかりが白熱してしまって、何時までも止まらないのです。


日本人は日本国の平和憲法の改憲の是非(ゼヒ)を巡って激しく議論していて、その大きな争点ともなっている『集団的自衛権』を巡っては、「『集団的自衛権』の行使が大きな戦争の引き金になる」という考え方と、「その姿勢と覚悟が戦争そのものの抑止になる」という考え方とで争われているのですが、同盟関係にある国は{何時まで経っても、何故(ナゼ)か}アメリカ合衆国だけで、他の国を想定する事が如何(ドウ)してだか無いのですが、

日本の戦国時代を例にして考えてみても、大国との同盟の在り方もたしかに問題ではあるのですが、たとえ天下を窺(ウカガ)う分けではなくても、自国の周辺国はもちろん遠くのあまり付き合いの無い国とも{出来るだけ}同盟関係になっておく事の方が重要であり、どの国とどの様にして同盟になろうかと考える事の方が重要な問題であると思うので、

今の日本の『集団的自衛権』を巡る{2国間に限定した}論争のありようは{誰が如何見ても}滑稽(コッケイ)であり、{周辺国との関係悪化を促(ウナガ)すように}大真面目にアメリカ合衆国との『集団的自衛権』の行使についてだけを争点にしている姿は珍妙(チンミョウ)でしかなくて、これも《『原理主義者』同士の不毛な議論》ならではの現象だと言ってしまえばそれまでなのかも知れませんが、本当に困った問題であります。


真の愛国者よ、集え(!)。





*【主体的集団的自衛権】の戦略的拡張【1月12日・日】

21世紀に入って十数年が経(タ)とうとしているのだが、未(イマ)だに{『唯一神教』の『原理主義』カブレが抜(ヌ)けない}日本社会と日本人の精神は、世界を一定に保つとされる形而上学的原理原則の【魔法的法則による秩序】の呪縛(ジュバク)から逃れられず、唯一の理想を追う『成功教訓』の【主催者側の意向に沿った展示会方式】による行き詰(ヅ)まりにハマリ込んだまま抜け出せないでいて、

憲法や国防の問題で『集団的自衛権』を考える時に、主体性を持たずに『集団的自衛権』のパートナーを特定の同盟国であるアメリカ合衆国に{何の戦略的意義も踏(フ)まえずに}固定してしまい、日本国内のアメリカ軍施設の維持経費を負担する資金提供によって日米安全保障条約を継続させる裏で自衛隊の軍隊としての強化をこそこそと続けながら、中国・北朝鮮や韓国などの周辺国をイタズラに挑発していて、日本国の周辺地域を不安定にする墓穴をせっせと掘っている日本政府があり、

そんな日本政府の方針に反対のための反対をしているだけの文化人を自称する知識人が主導する、「その行為はテロ行為に等しい」と言われてしまう市民団体があるのだが、

各国・諸地域での政情不安が拡大するばかりの世界情勢の中で、日本企業や日本人が世界中に進出して活躍している今日(コンニチ)に於(オ)いて、『集団的自衛権』のパートナーの範疇(ハンチュウ)に周辺国を含めた{出来るだけ多くの}世界中の国々を平等に取り込んで行く事に目を向け、世界の何所(ドコ)で起(オ)こるかもしれない有事に備(ソナ)えて、周辺国を含めた世界中の国々と『集団的自衛権』を主体的に行使し合う戦略的パートナーシップの関係構築を公平に行うコトが出来れば、それは≪どのような会社企業であれ、{素人や子供の作品の出展者に相当する}非エリートの社員・従業員こそが、社会全体への有効貢献を果(ハ)たすとする『市民陶芸展状態』≫と同じなので、日本がそれまで重要視してこなかった国々や敵視していた国が、日本と【主体的集団的自衛権】の戦略的拡張のパートナーとなり合い、繋(ツナ)がり合う事で、日本が直接かかわらなくても世界の安全への有効貢献を担(ニナ)い始めるのです。


すなわち、日本政府は≪【石田 三成】が【豊臣 秀吉】の威光を過信し、【徳川 家康】の裏工作を警戒する【島 左近】らの進言を聞き入れず、西軍の『足場固め』を怠(オコタ)って戦いを急いだ為に、大量の裏切りをまねいてしまった≫という【失敗教訓】に耳をかさずに、【石田 三成】の『二の舞』に陥(オチイ)っていて、

知識人が主導する市民団体は≪【明智 光秀】が時代の流れに背を向け、過去の栄華(エイガ)の再興(サイコウ)に執着(シュウチャク)しすぎて、【織田 信長】の個々としての家臣を侮(アナド)った為に、『三日天下』に終ってしまった≫という【失敗教訓】に耳をかさずに、【明智 光秀】の『二の舞』に陥(オチイ)っているのですが、

『神秘主義』による[神様]と[天]の【活性】に気付き、既に明示(メイジ)されている事に囚(トラ)われずに機知(キチ)を働かせて、様々な【失敗教訓】を歴史の中から掘り起こしてこれれば、硬直した『集団的自衛権』の論議が、【主体的集団的自衛権】の戦略的拡張へと広がるのです。


真の愛国者よ、集え(!)。







平成25年度版







*憲法議論【12月12日・木】


気を静めて動かず落ち着いて根回しを続けながら{時間を掛けて様々な兆候(チョウコウ)を集めて変化を期待して人間が『働きかけ』をする“神秘主義”の手法で}味方を増やすべきであったのに、《『何モノか』による[神の意図]や[天の道理]に基づいた人間への絶対的『働きかけ』》という形而上学的原理原則に拘(コダワ)る“原理主義”にハマリ込み、敵意から相手の事も{“原理主義”の手法によって『良し、悪し』で世界を色分けする時に}軽んじて評価しまい、大きな視野での臨機応変(リンキオウヘン)な{出来事の変化から随時(ズイジ)変化する兆候を見逃さない一種の“神秘主義”的発想による}分析を怠(オコタ)ってしまって、{人間の心理や柵(シガラミ)を無視したボードゲームの駒(コマ)のように人間を見てしまう}胆略的(タンリャクテキ)な現状認識で《早計(ソウケイ)に動いたり、蛮勇に走ったり、愚鈍に決断しなかったり、怖気(オジケ)づいて怯(ヒル)んだり》を繰り返しては敵を増やしてしまった為に、いざという時になって目算(モクサン)が狂って戦いに敗れてしまった歴史上の多くの敗戦の将の『失敗教訓』が、[美意識の高さ・理想の高さ]や[気高さ・誇り高さ]や[誠実さ・健気(ケナゲ)さ]故(ユエ)の敗戦であると言う『敗者の美徳』の話しに{何が何でも“原理主義”を正当化させようとする勢力によって}スリ替えられ、{『失敗教訓』によるクーデターを恐れた歴代の権力者たちの保身によって}埋もれてしまって、

「『勝てるのに』、『勝つ方法があるのに』動かないのは単に勿体無(モッタイナ)いという事だけの問題ではなくて、《『何モノか』による[神の意図]や[天の道理]に基づいた人間への絶対的『働きかけ』》に背を向ける{“原理主義”の世界観では在り得ない、蟻(アリ)が蟻の巣(ス)を捨(ス)てて出て行くが如(ゴト)き}愚行であり、{『形而上学』の見地から言えば}人間の究極の傲慢(ゴウマン)さである」と言う耳に心地よい『成功教訓』ばかりが聞こえてくる状況で、

日本の『憲法議論』が、時代の流れに背を向け過去の栄華(エイガ)の再興(サイコウ)に執着(シュウチャク)して【明智 光秀】の二の舞に陥(オチイ)っている[護憲派]と、{周辺国や世界情勢という}敵を侮(アナド)り{機知(キチ)に長(タ)けた者達の}危機感の集約と反映を怠(オコタ)って【石田 三成】の二の舞に陥(オチイ)っている[改憲派]に分かれて愚図々々と行われていて、周辺国にツケ込んでくれと言わんばかりの『お家騒動』になっていて、

このままズルズルと『憲法議論』が長引いて[護憲派]の思惑(オモワク)どおりに事が進んでも、一気に改憲の機運(キウン)が高まって[改憲派]の思惑どおりに{軍隊保有・交戦権獲得・集団的自衛権の行使・・・と}戦争に直結する『憲法改正』が行われても、日本にとっては何も良い事はなくて、“原理主義”と『成功教訓』による悲劇の繰り返しがまた起こってしまうだけなのです。


この日本の危機に、『唯一神教』によって世界中で社会の隅(スミ)に追いやられて忘却されようとしている『スーフィズム』や『ジプシー』や『アメリカインディアン』たちの{キリスト教世界の範疇(ハンチュウ)で言われる無神論や唯物論に近い}“神秘主義”の精神と、『敗者の美徳』に埋もれた歴史上の多くの敗戦の将の『失敗教訓』を掘り起こして来て、道標(ミチシルベ)にしようと考えておりますので、この【ちび猫】の思いを理解し賛同して頂ける方からのご協力・ご支援をお待ちしております。

また、当ブログ『ちび猫のつぶやき』の第0034号第0036号や、第0031号第0055号第0058号第0061号や、第A0000号を読んでもよく解からないし可笑(オカ)しいと言う方からの異見・質問も受け付けております。


真の愛国者よ、集え(!)。





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