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講談へ行こう♪ 嘘のようなホントの歴史の語りべ講談師

2016-05-21 09:29:09 | 



二月、ちょっとした「大人の女同士の酒盛り」があった。
何年振りかで会う友人と近況を語りながら、
休みになると、全国の気になる神社仏閣巡りをしてることを知った。

ふ~~ンと聞くだけのワタシは全く縁のない世界。
その話の途中、
友人が思い出し興奮し始めた。

東北の有名な神社に参拝した時だった。
年一回しかしない戦国武将たちのお位牌の日陰干し。。
しかも巨大なのがズラ~リ。

友人曰く
「あんなの他でも見たことない!大きくてびっくりしたの」

呆然と立ち尽くす友人に寺人が
『お位牌は一日しか出てきません。。
とても運がよろしいデスネ』

そして興味のなかったこの話を
二か月後、あれか…と思い出すことになった。

きっかけは講談だった。。。。



◆江戸時代の講談 徳川綱吉の実母/桂昌院
嘘のようなホントの話。。◆

 
今年のゴールデンウィークは二回も寄席に行ってみた。
新宿「末広亭」のように丸一日居られるわけではなく、
二時間半ほどで演目は終了。
前座の若い衆から、漫談マジック、大道芸、
その中に珍しく女講談師が一人。

講談と落語の違いも分からず、とりあえず聴いてみた。
聴き始めると、史実に基づいた話で江戸時代の大奥の話。
しかも実在した人物であり、
書き綴られた文献を掘り起こし、それを見てきたかのように話す。

落語が会話で成り立つものだとしたら、講談は読み聴かせ。
釈台という小机に張り扇と扇子が小道具。
張り扇のパン!は句読点、パン!パン!は今から盛り上がるよ!の合図。


桂昌院の出自は商家。
名を「お玉」と云い、愛嬌のある面差し。
父の病死をきっかけに下級武士の養女に、奉公に公家出身の尼僧の元へ。
その尼僧が高位に就いたため、三代将軍家光への挨拶に江戸城へ。
そこで尼僧に一目惚れした家光は、尼僧をそのまま側室に。
お伴のお玉もそのまま江戸城を出れず、大奥勤めになる。

が、お玉は前代未聞のブス。。。。だった
大奥で笑いものになり、湯殿係になる。

湯気の立ち込める湯殿なら目につかないという理由。
だがお玉は超強運の持ち主。
お玉の愛嬌のある顔と話しぶりを家光が気に入り、ついに側室に。
後の五代将軍綱吉の母となった。
江戸時代のシンデレラストーリーと語り継がれた所以がここにある。

ここから『玉の輿』という言葉が生まれ、
『美人は三日で飽きるが、ブスは三日で慣れる』の例えにもなった。

綱吉の強運も凄く、二人の嫡子が亡くなったため五代将軍に就くことに。
徳川家の跡継ぎは体が弱く短命でもあったが、
綱吉は小人症だったといわれ、伸長は124センチ。
徳川家康からの代々の位牌で、ひと際小さい124センチの位牌が綱吉のもの。

犬公方と言われたが、実は名君で公共事業に取り組み
武士の無謀な面目のための「切り捨て御免」を禁じた。

講談は史実の上に、個々の講談師の脚色が加わるため軽妙なノリ。
女講談師の桂昌院の話は読み切りだった。
本があって読んでる訳ではないが、
『この続きは、また後日~~~』と云ったところで、
次、高座に呼ばれなければ話の続きもクソもない、、、

なので、今は最後まで話を完結させるとノタマッタ。。
戦国時代から江戸時代の裏話が好物なワタシにとって、
講談の世界は家政婦は見た。。だった。



◆西表ヤマネコより少ない講談師…◆


江戸時代は長く続いたが、
度重なる飢饉や質素倹約・藩のお取り潰しなど、
町には読み書きの出来る浪人があふれ出した
講談師はそんな者たちが、
町角に立ち歴史本を読んで聴かせたのが始まりだった。

当時は文字の読めない者も多く、
軍記本を声高に楽しく読んで聴かせる講談師。
三面記事的な部分も大層人気があった。


明治維新以降の教育の普及と共に、講談師の役割は趣味嗜好の文化に移行。
ドンドン人数は減り、今や60数名、、
イリオモテヤマネコは90数匹、、
落語家は600人ほど。。

こんなに面白いのに崖っぷちの講談界。
学校へ講談出張や、レストラン、寄席など、
至る所で古典・現代物などをやっているが、
実は絶滅危惧種に認定されてもおかしくないのが現状らしい。

神田神保町の落語カフェでは講談の日があります。
興味のある方はどうぞお聴きくださいね♪


**ミニ知識**

戦国時代の男子の平均身長は157センチ
徳川家康 159センチ
徳川家光 157センチ

織田信長は170センチくらい
豊臣秀吉は 140センチだって。。


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