◆更年期世代のアラカルト。。◆
去年から同級生や知人の闘病生活を耳にするようになり、
自分たちは、、もうそういう年代なんだと思わざる得なかった…
親の介護と自分たちに降りかかる病気のダブルヘッダー。
我が家も夫婦共々低空飛行ではあるが、大病には至らず、、
その代わり、ワタシの母をサポートする日々。。
母親のアルツハイマーは、今年に入り小康状態に。
今年は、サルサ仲間の友人たちに会いたい!!
そう思えるようになっていた。
職種も年齢も違う友人たちは、一般的には更年期世代。
だが誰一人、闘病もなく、フットワークも軽妙。
どんなに遠い場所を指定しても、ひょいひょいやってくる。
そして男女とも、更年期障害に悩まされずにココまできた。
フランスのマダム達のようにホルモン充填法もエステもしてない。
浮気をしてるわけでもない。
心がとても健全で身体も若い。。
更年期障害って、なんだろう?と思った。
だって
昔、見たり、聞いたりした更年期障害は壮絶だったからだ。。
◆更年期障害の北風。。◆
多分10年くらい前迄は、更年期は女性特有の症状と見られていた。
それがある有名人のカミングアウトと本で、
男性の更年期障害がクローズアップされた。
漫画家のはら たいら氏だった。
10年前
よう言えば、はら たいら氏をしばらく見ないなぁ、、と思った時。
突然の訃報が、、、63歳だった。。
こんなに長く大変な闘病生活のキッカケは、更年期だった。
大橋巨泉さんの「クイズダービー」で15年間レギュラーで活躍。
その知識と教養の深さと完全無欠さは、揺るぎない自信に溢れていた。
だが「クイズダービー」終了の49歳の時、更年期障害に襲われる。
眩暈や集中力の低下で闘病生活に入る。
その後
男の更年期の本を出版し復帰するも、今度はうつ病が襲う。
奥さまの乳がんの発症と闘病も重なり、長期入院生活。
お酒を断つことなく、持病の肝硬変を悪化させ、末期がんに、、
49歳から14年間の長い闘病生活は閉じられた。
はら たいら氏の更年期障害は荒れ狂う北風。
だが、はら氏のケースは特殊ではない。
俳優/故竹脇無我さん 女優/生田悦子さんらも
更年期により役者を断念せざる得ない状況に。
まさに更年期は男女共に、避けられない関所のようなもの。
ワタシは
もうすぐ来るであろう更年期に不安を抱いていた。
乗り越えられる自信もパワーも、
自分の中に持ち合わせていなかったからだ、、
◆更年期の太陽♪◆
8年前のワタシは
大きな怪我から自信喪失、、ヘンテコな鬱に入りかけていた。
筋トレや有酸素運で、なんとか持ち直すも、
心はいつまでも湿度100%・・・
そんな時に出会ったのがラテンダンスのサルサだった。
最初に出くわした友人は絵を描く人で、
二十代を中米を歩き回る元バックパッカー。
彼女は高校生の時から、サルサを知っていた。
日本を代表するイラストレーター河村要助氏が主宰の
「サルサ天国」で踊っていたという。
当時の日本で踊る人は数えるほどしかおらず、
キューバ人の男の子やオタク系の日本人男子など。
その十数年後、ようやくサルサが日本に広まり始めた。
友人は日本で最初にサルサを踊った女子高生。
当時、恵比寿にあったキューバ料理「ボテギータ」にも出入し、
中南米を歩き回りたいと思うキッカケになった。
だが当時、中米の名も知られてない国は歩けても、
ブラジルの治安の悪さや
キューバはたとえ行けたとしても、食糧が配給制のため、
何日間も食べれない可能性が高い、、
特に、若い女の一人旅は危険過ぎる!と
中米の人達に忠告され南米は断念。
ならばと
中米の行く先々で面白い品物を買い、
それを他の国で売ったり交換したり。
その国のサルサを踊ったり。
藁しべ長者のようにしながら歩き回ったツワモノだった。
そんなツワモノの友人も母親を看とり、
父親の介護に毎日施設に行く。
ツワモノの不思議チャンだった友人と
何時間も夢中で話した奇妙なサルサレッスンやバックパッカーの日々。
突然、友人が
介護オンリーで駆け抜けた三年間に、光が射したと言った。
無我夢中で過ぎた三年間で忘れていた
有り余るエネルギーと楽しさと解放感を思い出した。
生気を取り戻した彼女の口から
「今度、昔のビデオを観に来て♪
サルサ天国のがあるのよぉ~
コレを見たくてベーターの器械を取ってあったの。。
これはサルサ界のお宝よ!」
踊るサルサは楽しい。。
それよりも
サルサへのパッションや蓄積した思い出が光になることがある。
またサルサに助けられた不思議な話しだった。
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