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Milton, ("When I consider how my light is spent")

ジョン・ミルトン (1608-1674)
ソネット XVI
(「わたしの光は使い果たされてしまった、と思うとき」)

わたしの光は使い果たされてしまった、と思うとき--
人生の半ば以前に、この暗い、しかも広い世界の中で、
そしてイエスの話のあの一タラントン、
それを隠しておいた召使いを待っていたのは死という、
それをわたしは無駄にもっていて、そうではなくわたしの魂は

それを使って創り主たる神に仕えたいのに、そして見せたいのに、
貸し与えられたものをわたしが本当はどのように使ってきたかを、
でないと彼が帰ってきたときに怒られてしまう--
神は日々の労働を要求するか? 光が奪われた者から?
愚かにもわたしは問う。が、「忍耐」がそのような

不平のつぶやきをかき消すべく、すぐに答える、神には必要がない、
人間の努力も、また自分が与えたものを人間から返して
もらうことも。もっともしっかり彼の軽いくびきを負う者が、
彼にもっとも奉仕をしている者である。神は

万物の王である。何千もの者が彼の指示により飛び急ぎまわる、
陸や海の上を休みなく。
が、そのような者も神に奉仕しているのだ、ただ立って待つだけの者も。

* * *
John Milton
Sonnet XVI
("When I consider how my light is spent")

When I consider how my light is spent,
E're half my days, in this dark world and wide,
And that one Talent which is death to hide,
Lodg'd with me useless, though my Soul more bent
To serve therewith my Maker, and present
My true account, least he returning chide,
Doth God exact day labour, light deny'd,
I fondly ask; But patience to prevent
That murmur, soon replies, God doth not need
Either man's work or his own gifts, who best
Bear his milde yoak, they serve him best, his State
Is Kingly. Thousands at his bidding speed
And post o're Land and Ocean without rest:
They also serve who only stand and waite.

* * *
日本語訳においては、一行に収まらない行が多いので、
いわゆるペトラルカ式ソネットの枠組み通り
4行+4行+3行+3行というかたちで区切って、
およその内容のまとまり(およびこの形式がいかに
無視されているか)を示している。

このタイプのミルトンのソネットのモデルは、
実際、ペトラルカではなく、形式的により自由な
ジョヴァンニ・デッラ・カーザ(Giovanni della Casa)。
--J. S. Smart, The Sonnets of Milton参照。
http://archive.org/details/sonnetsofmilton00miltuoft

(ミルトンは、ケンブリッジの学生だった頃、1629年に
デッラ・カーザのソネット集を入手していた。が、
1633年頃の手紙の下書きでは、まだソネットのことを
「ペトラルカ風のスタンザ」と呼んでいたりもする。
同じころ、1630年代のはじめに書かれたと思われる
ソネット Iも、ラヴ・ソング風。いろいろ未確認だが、
1630年代後半のイタリア滞在、1640-50年代の宗教/政治
論文執筆、それから『失われた楽園』の初期構想などを
経るなかで、ソネット形式のとらえ方が変わっていったよう。)

ソネットXVIの特に前半、構成や構文が崩れているのは、
視力を失った「わたし」がテンパっていて、
秩序だった思考ができていないことに対応。
しかし全体を通じて脚韻は完璧で、実際のミルトン自身は、
冷静に、緻密にこの作品を書いたことを示している。

(意図的に内容とかたちをあわせたのか、ただデッラ・
カーサ風にゆるくしているだけということなのか。
ミルトンのソネットにおける形式の崩れには、作品によって
程度の差やタイプの違いがあるので、個人的には前者よりの
ように思う。このXVIと、ピエモンテの虐殺を扱うXVが
もっとも崩れている。20110806の記事にあるソネットXIXも参照。)

ちなみに、このような形式の崩れは、16-17世紀のイギリスの
ソネットにおける例外中の例外。

その後、17世紀半ばから18世紀にかけてソネットは衰退。

19世紀、いわゆるロマン派によってソネットが再び
多く書かれるようになったとき、もとは例外だったミルトンの
作品がある種のモデルとされるようになる。
(20120519の記事にあるワーズワースのものなど参照。)

(シェリーの「ラムセス二世」"Ozymandias" などは、
さらに別のかたちで実験的。)

* * *
訳注と解釈例。

全体の骨組みは、以下の通り。

(前半)
When I consider how my light is spent,
I fondly ask, Doth God exact day labour
[from one who is deny'd light]?
視力を失った自分について思いをめぐらし、
こんな状態でも神に奉仕しなくてはいけないのか、と問う。

(後半)
But patience to prevent That murmur, soon replies. . . .
自分のなかで「忍耐」が答えていう・・・・・・。

(その他、次の文章に記したことをかいつまんで
まとめたいと思うが、さしあたり全文のご参照を。)
http://jairo.nii.ac.jp/0279/00000289
http://rplib.ferris.ac.jp/il4/cont/01/G0000005ir/000/000/000000142.pdf

* * *
英文テクストは、Milton, Poems, &c. upon Several Occasions
(1673) (Wing M2161A) より。

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