ペタンク爺さん

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終戦記念日

2011年08月15日 16時51分49秒 | ペタンク爺さんの一日
8月15日の終戦日は、親と離れて子供だけで暮らしていた、17歳の長女(房子)を頭に私が小学校の5年生と直ぐ下の妹の小学生の3年生が、増毛町の親戚の雑貨商の屋敷の裏にある納屋の二階で生活していた。
学校へ通学途中に、腰に木刀を差して通っていた事を記憶している、終戦の15日は朝から暑い日だったと記憶している、私は何処かの畠で害虫と言われていたテントウムシを取ってビンに入れていた、子供ながらお国のためと鳥に替わって害虫採りをしていた、家に帰る途中大人達がなにやらラジオから聞こえてくる、玉音放送を聴いていたと思う、なんとも異様な風景を思い出す、後から日本が戦争に負けて降伏したと知った。

そのあとだと思うが、バケツで砂糖が配給になり毎日砂糖をなめていた事を覚えている、それに最大の我が家のニュースだったと思うが、子供三人だけで住んでいたので、地元の若者の恋の的になっていた姉の所に毎晩のように、若い男人が現れていた。
増毛の小さな町、住民に変化が有れば町中に広まっていたと思う。

若者の標的の的となった姉は、まだ17歳だった、戦争が終わり故郷の室蘭から親達が迎に来たが、其の姉は毎晩のように通ってきていた若者の一人と一緒になると、其の疎開先の増毛の人になってしまった、結局疎開先から故郷に帰ることなく嫁いでしまったのだ。
今考えても、高校も卒業していない年齢でと運命的な出来事と今でも思っている。

私の上に、7歳上の兄と5歳上の姉がいたが、親達が新潟の古里を出るときは上の二人を親の所に預けて北海道に渡ってきている、室蘭に落ち着き4年後二人を引き取っているので、兄と特に姉とは数年の付き合いだった、それゆえ私には姉の記憶は余りない、後になって気が付いたが姉の写真が一枚も無いのに、少し驚いている。
嫁いだ其の姉は、何年も経たないうちに盲腸をこじらせてあっけなくこの世を去って行った、終戦記念日には薄倖な運命を辿った姉の房子さんを思い出している。

兄貴も、私が高校生時代に他界している、北海道の遠藤家は長男、長女は短命だった。

今日は、五区連合町内の最大イベントの盆踊り終了後の反省会があった、残念ながら今年は13日の1日だけで、翌日の14日は雨で中止、一日だけの盆踊りに終った。
朝9時から、櫓の解体は1時間くらいで終ってしまった、組み立ては4時間もかかったのに壊すときは早かった、12時から始まった反省会は順延、順延と午後4時近くまで伸びてしまった、反省会での意見の中に来年は大人の盆踊り(北海盆踊り)を復活してはとの話が出て、ほぼ出席者全員の賛意が表された。
・・・・・これなら私も間違いなく躍れると思った。

反省会




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