ペタンク爺さん

ペタンクで遊ぼうよ!で20年

早春賦と八紘学園

2012年03月31日 14時00分03秒 | ペタンク爺さんの一日
早春賦

春は名のみの 風の寒さや
谷のうぐいす 歌は思えど
時にあらずと 声もたてず
時にあらずと 声もたてず


氷融け去り 葦はつのぐむ
さては時ぞと 思うあやにく
今日も昨日も 雪の空
今日も昨日も 雪の空

春と聞かねば 知らでありしを
聞けばせかるる 胸の思いを
いかにせよと この頃か
いかにせよと この頃

昔から音楽には興味が向いて行かなかったが、小中学生時代はハモニカが全盛時代だった、宮田東峰ハーモニカとトンボハーモニカが競っていた時代だ、その頃のハーモニカはとっくに行方不明にになり忘れ去られていたが、20年前頃、思い出して楽器屋に行きトンボハーモニカを買っていた、不思議なもので子供の頃に吹いていた曲が殆ど忘れずに吹けてしまった、童謡や学校唱歌が中心で、歌謡曲は赤いリンゴ、ハワイ航路、喜びも悲しみも幾年月、などナツメロだった、最近は滅多に吹かないが、少し吹き出すと曲は蘇ってくる。

数年前、オカリナサークルに入ろうと思い、入門用のプラスチック製のオカリナを買ってオカリナ教室に見学に行った、殆ど女性ばかり何だか怖そうなおばさん達に圧倒され、それっきりオカリナサークルは断念した。
それでも、せっかく買ったオカリナ、なので我流で吹き始めた、気が向いたら吹く程度で4年くらいは立っていると思うが、童謡程度なら曲がりなりにも吹いている、決して人前で披露するなどお呼びもないが、もう少し上手になったら瀬戸で出てる本物を手に入れようと思っている。

今時分の季節の歌に「早春賦」があり、ハーモニカや近頃はオカリナでも吹いている、大好きな歌で、歌の二番と三番がわが町つきさっぷにも当てはまる。
先日の続きがあった、残っているサツマイモの焼き芋屋さん、お昼はそれて済ませ、昨日の花工房の続きて種があまりに小さいのでルーペを使って種植えをする。
ルーペは、去年山のゲートのカギを空けるため仕入れたもので、ダイヤル式はこれがないと見えない。
山用の必需品で、この他に熊避けスプレーが常備品となっている。

ルーペも必要品
お昼は焼き芋
ハーモニカとオカリナ
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スポーツよろず相談室

2012年03月30日 15時52分46秒 | ペタンク爺さんの一日
もう30年以上にも前から関わりがあった、一軒の整形外科病院が月寒地域の中にある、藻岩レーシング時代子供たちと怪我はつきもので、怪我のあとの手当てにこの病院を紹介していた、息子たちがスキーで世話になっていたころ、高校の近藤先生が北海道のスキー界の世話役をやっていた、人当たりが良く皆に好かれていた、その実兄が福住地区で整形外科医院を開業していた、私が直接診察を受けることは無かったが、私も月寒地域に住み出してから何回かお世話になっていた、何かどんなことで診察を受けたのか、滅多に行かないので本人も忘れている。

二週間ほど前に、五区公園の雪割り作業を二日ほど強行した、何日か後にその後遺症がで出来た、最初はヘルニアかと思ったが脇腹が痛いのが判り、雪割り作業が原因とわかる、ほっておいても治ると高をくくっていたが、一向に痛みが取れないので、とうとう整形外科医院を思いだし、今朝一番で出かける、受付に時々来る患者さんと告げ診察を受けることにした。

此処の近藤先生も、私とあまり年齢差は無いと思っている、診察は簡単で注射一本、レントゲンにマッサージ、飲み薬と貼り薬、それにコールセットがついて〆て2,110円だった、昔と違いレントゲンはフイルムにすることは無く全部PCの中で、マッサージも人が手を掛けずウォーターマッサージベットに横になりロボット機械がやっている。
先生の他に、受付、看護婦さん、レントゲン技師等、3、4人いた、そろそろ世代交代もあるかと病院経営も大変だなとついしないでもいい心配をする。

病院は、早々に終わったので先日から予定していた、水で膨らむ種まき土ポットを買いに大曲のジョイフルエーケーに出かけて行く、入荷したばかりの花の苗ビュオラを見つけ10ポット買ってくる。
帰宅後、ベランダは橇工房から花壇花作り工房に早変わりする、今のところ種まきだけだが一週間歩と前に植えた、ペチュニアの芽が出だした、早速プランタンにビュオラを植えるとベランダ温室は、一足早い春の訪れになる。
数日前からベランダの中の気温は日中は20度を超えている。

橇工房から花工房へ
花壇完成
ペチニァ芽を出す
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北海道知事杯ペタンク大会参加に向けて

2012年03月29日 15時50分40秒 | ペタンク・練習
1991年に北海道知事杯ペタンクが誕生した年で、道議の岩本允さんに働きかけ氏の尽力で、この看板大会が生まれて行った。
第1回北海道知事杯ペタンク競技大会は1991年5月26日、 札幌円山公園(自由広場)で開催され

優勝は池田町の田中謙一、林 義人 。
準優勝は森町の柳田昇、長谷川たみさん
三位は札幌の斉藤一、斉藤英子さんと、森町の目黒孝、室野実 さんたった。

その3年後に、現在の会場のツインキャップに移り、今は4月中に開催され北海道のペタンクの幕開戦になっている、北海道でこの季節でペタンクとなると、もう室内でしか出来ない、札幌でもこのドームが一ヶ所で冬期間は色々なスポーツ団体が利用しているので時間割で組まれるとペタンクのスケジュールは少なくなる。
北海道の雪の間の期間は長い、せめて各区に土ドームが一つは欲しい所だ、本当は砂利が入っているくらいのグランドにして欲しいが、他のスポーツと一緒に使うとなると、現在の粘土質の土コートしなない、それゆえ全国を見渡してもこの様なコートはほとんど見られない。
残念だが、ルーレット投球の方が安全で確率が高くなるので、地元の人達はピュットを9〜10Mくらいにして練習を積み重ねているので、たまあ〜にこのコートでやっても、この辺の婆ちゃんにも負けてしまう。
室内で自然光線でないので、ギャップ凹凸が判るまでに予選は終わってしまう。
それにティルールもボールが着地してから弾んでしまう粘土質のコートに悩まされる、砂や砂利混じりだとボールは滑るので、目標ボールを動かす確率は高いが、よほどの力を持ったティルールでないと苦戦する。
後は、ポルテで確実性を考えた方が戦いやすいコートです。
ただ、このコートでペタンクが強くなっても、他流試合では色々な土コートがあるので、基本的にはティールとポルテをしっかり練習しておけば、何処でも通用する選手になってゆくと思います。

そんな訳で、今日も含め大会日までの7日間ツインキャップに通い知事杯参加に向けて特別個人練習をと動き出した、先日の五区公園の練習からティールの狂いが少しずつ修正されてきていて、今日も練習試合に6〜7割の確率で成功していたので、何とかものになると思っている、だだポルテ成功の確率を上げる練習もとお思っている、試合数が多くなる後半は疲れが出てボールが高く上がらなくなるのが気になるところだ。
今から筋力トレでもないので、考えさせられる。

お供に本間氏、帰りは豊平の更科そぱによって今年初めてのもり蕎麦450円(卵、おにぎり付)を戴く、本間氏はかき揚げそばで、かき揚げ食べきれず半分持ち帰りとなった。
近頃、若者の量では多すぎるシニア組です。

豊平の更科蕎麦




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春の芽吹き始まる

2012年03月28日 14時46分41秒 | ペタンク爺さんの一日
冬将軍の後続部隊の後ろ姿が見えている、昨日は冬山で橇滑りだったが一夜明け、今日は朝から暖かった、前日の朝20センチ近くあった雪は見る見るうちに溶けだしていた、いくら頑張っても押し寄せてくる春の気配に、冬軍団は北上せざろうえない、もう4月だものと太陽の暖かさを笠にし胸を張ってもいい頃と思っている。

昨日、自冶会の総会を会長と相談し12日開催を決め、慌ただしく4月1日に総会準備の五役プラス女性部を含めた役員会開催も決め、今朝担当者にお知らせする。
レールの上に載せたので、月初めに会計監査と後は何時もの通り動き出す。

今日のお昼は、北沢ダンス教室帰りに日量パン工場裏の直売所で蒸しパンを買って来てお昼にする、1個40円で3個食べ終わったら、もうそれ以上入らなかった。
後は、おやつに。
昼食後、30分ほどだったがペタンクの個人練習をこなす、一度すっかり乾いていたコートも殆どが水浸しだった。

ホーマック行くたびに忘れていた、寒暖計を今日は思いだし買ってくる、早速簡易温室にぶら下げる、温度はゆうに20度を超えていた、ひょっとするとベランダ下の花壇、半分以上雪が解けて土が顔を出していたので、水仙くらい芽を出していると思い、表からベランダ下に出て花壇の中を見たが最初は何も出ていないと思っていたら、枯草などを拾っていったら、春の証が現れた。
最初にヒヤヒンス、今年は早いなと思っていたら、アイリスの芽も顔を出していた、そんなら水仙は出ていないはずはないと思いつつ花壇の隅の枯草を剥がしたらザックリと新芽を出しているのを発見する。

花付け一番はヒヤシンス、二番手に水仙が咲きだす、その頃には花壇の中も大分賑やかになるのと、花壇作りが忙しくなっていると思う。

先日手おって来ていた、ネコヤナギ間もなく綿帽子を落とし青葉を出てくるはずだ。

ヒヤシンス
アイリス
水仙
蒸しパン
泥だらけ




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橇滑り、お彼岸過ぎて深雪へ

2012年03月27日 15時49分46秒 | ペタンク爺さんの一日
朝から玄関前の駐車場で除雪車が動いているのか、エンジン音で眠りを妨げられた、大した雪も降ってもいないのに動かしているのかと、カーテンを開けると自家用車の屋根の上にこんもりと雪が積もっているのが見えた、夜半から静かに降った雪で20センチ近いと思った、昨日からの予報で少しは降ると思ってはいたがこれほどまでと、気温も日中でもプラス3度くらいとのこと、今朝になって予定は全部取りやめ橇モードに切り替わる、こんな時期に深雪が滑れるかと11時の始発をめざし藻岩山に向かう、途中お昼の弁当にセイコーマートのカツカレーがよほど美味しく見えて、量が少し多めだったが買ってゆく。
晴天で春休みが始まっているのでファミリーの家族ずれで­賑わっていた、1便はほぼ満員で定員60名のロープウエーの中は隙間がないくらいだった、お天気がいいと気持ちがいい、山頂到着は我々より先に伏見や藻岩スキー場側から登攀してきた登山者が結構いて、登山者小屋の中にも入っていた、丁度お昼時間どきなので、まだ表では寒いので小屋の中での昼食となっている、私も降り専門だが山頂でお昼を食べるのも楽しみにしているので、買っていったカツカレー弁当をあける。
見た目でからも量が多かったが、矢張り全部は食べれなかった、それに若者向きのせいか塩分が多くてシニアには向かない弁当だと云うことが判る。
中間駅の二階でコロッケを売っていたが、今日メニューに少し違うものも売り出したみたいなので、今度は弁当なしで来てみようと思った。
今日は、深雪だったが今までの積雪量が少ないので、いまいちの深雪滑りとなる。動画を橇世界へアップする
4月に入り、春休みが終わるころは藻岩スキー場もクローズする、お天気を見計らってスキー場側のカラマツコースでも滑ろうかと思っている。
登山者小屋
カツカレー弁当
珍しい乗り物
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冬将軍リターンする

2012年03月26日 16時00分52秒 | ペタンク爺さんの一日
三月に入り、春の最前線部隊がが所々に姿を見せ始めていたが、本隊ではないと思う冬将軍の後続部隊が春の気配を消すかごとく、大暴れではないが暴れている感じの日々が続いている、季節の移り変わりは指で計ったようにいないのは、何時もの事だが、今年は特に冬将軍部隊は我がもの顔で威圧している感じだ。
二日三日と晴れの日が続かなかった、日照不足、農家のハウス栽培にも大きな影響を残している、日照不足でハウス内の気温を保つために使われている暖房費は大きな負担に、気温が低くても日中に差し込む太陽の熱で生育される農産物、今年は豪雪でハウスがつぶれた所もあり、日照不足で経費の加算が進んだところと、散々な年と想像している。

今日も朝から淡いい雪が降り続いていた、降りやまなかったので何時の間にやら道路も舗装が隠れ、景色は真冬に後戻りした感じだった、月曜日の午前中は社交ダンスのサークルがあり今日は3月の最終日だった、この日で一区切りし4月から又初心者コースから始めることになっていた、新人が今日も入って来て別室の初心者教室も賑やかさを増した。
私も、途中から入ったサークルなので最近になりようやく皆さんの顔を覚えて来てくらいで、名前までは記憶に残ることは無い、そんなことよりも早く踊れるようになるのに必死で、いまだに踊りに入ると自信消失に陥ってしまう。
そんな思いで通っているが、サークルが終わってしまうとダンスの事など忘れている事が多い、物を覚えるには予習復習をと思うだけで、サークルの当日だけ一生懸命に取り組んでいるペタンク爺さんです。

雪のはれ間をみて、向かいの専用ペタンクコートに出向く、せっかく半乾きになっていた土コートが雪で覆われていた、このコート作りですっかり腰を痛めていたので、もう雪跳ねをしてまでと行かず練習中止にする。

先生の模範ダンス
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俄かスイーツ屋さん

2012年03月25日 13時52分27秒 | ペタンク爺さんの一日
先日JAからサツマイモ一箱を買って来て、その日は焼き芋にして食べていた、芋が大きく半分の量でも一回には食べきれず残したくらいだった、翌日同じ焼き芋では芸がないと思い、サツマイモでポテトチップス作りをした、かぶの千枚漬け作りに使っていたスライス器を取出して始まったが、勢い余って小指の一部をスライスしてしまった。
その場は、ガーゼで抑え包帯でぐるぐる巻きにしておいた、その後さっまいも一本分を油で揚げチップスを作った、市販しているものには多少は劣っていたが立派なスナック菓子が出来上がり、その日のうち完食してしまった。

一箱の半分も残っている、芋を今日は適当な大きさにしてに火を通し裏ごしした、それを団子にして焼き色を付ける、完成し食べてみて分かったが裏ごしのあと黒砂糖を混ぜていたが砂糖が足りなかったこと、少し塩をいるべきだったと、まだまだ菓子職人にはなれないなと思った。
今日のお菓子作りが終わっても、まだ大きなさっまいもは二本も残っていた。
先日、天ぷらでも食べているので何に変るのか、今のところ全く予定はなかった。

朝から湿った雪が降り続いていた、学校が春休みになっている、しばらくは子供たちの賑やかな声が聞こえるはずなのに、静かだった、橇ケースのファスナーが壊れ、近くのイオンに出向く、ここだけは子連れの家族で混雑していた。
もう何年にもなるが、こんなに日照時間の少ない冬は過去にもあまりないと思っている、積雪は30センチを切っていると思うが、間もなく3月も終わり4月に突入する、新一年生が学校に通う日も近づいているので春めいてほしいと思うのは私ばかりではないと思う。

当団地の隣に長いこと空地があった、昨年から建売住宅の建設が始まっていてどちらも4月末には完成することになっている、人口密度が濃くなれば近所も賑やかになるかと期待している。

スイーツの原料
建売住宅
春には完成
こちらはダイワハウス
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隔世の感あり

2012年03月24日 14時47分22秒 | ペタンク爺さんの一日
第1回ペタンク日本選手権大会の貴重なビデオテープが残っている、協会も創成期で村瀬さん、山崎さん、が中心になり普及活動を盛んにしていたころで、テープを貸出ししてもらいダビングしたもので、私たちも大いに参考にさせてもらっていた、同時期に第29回から32回までの世界選手権大会のビデオテープも貸出ししてもらいダビングして、貴重な資料として保管していた。
その頃ようやくビデオカメラからテープに記録され、すごい物が出来てきたと思っていたのもこのころだった、ペタンク選手にはプロはいないと聞いていたが、他のスポーツと違って選手寿命が長いことが良くわかる、その頃に選手として活躍していた人達がいまだ第一線のトップクラスで活躍している。
今年の世界選手権は第46回になるはずだ、15年以上トップグループが変わっていないのがペタンクの驚きと、恐ろしさと思っている、あの頃トップに君臨していた人などは今でも出ているが、今はそのすぐ下あたりで頑張っていた人達が輝いているのが良くわかる、矢張りペタンク年齢は40歳から50歳くらいがピークを迎えていると実感できる世界だ。

ペタンクも性別年齢別もあるが、若い20歳や30歳では決勝リーグに残るまでには到達できないのかと、昔も今も変わらないと、ペタンクの奥の深さを知らされる。

つい最近は、You Tubeでペタンクの最新の動画が流されるようになった、タイムも15分以上の動画も流されていて少し昔のDVDにしたものを買わなくても見られるようになった、ペタンクの普及には尤もなことと思う。
此処一、二年の間にテレビの買え替えがあり、パソコンもウインドーズ7になった、前のテレビ時代にビデオデッキで時々見ていたテープ、ここ一年以上全く見ることも無くなり、部屋の隅に追いやられていた、貴重な映像もあり出来ればカメラの動画のようにパソコンに取り込みたいのだが、私の想像するところでは、結構面倒な操作が必要になると思い手お付けないでいる、そのうち簡単な方法で出来ることが判れば整理し保存したいと思っている。

今も活躍中の若い時代の画像を載せる。



このレィンボーユニホームは前年度優勝チームだけが着れる。
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旧友と再会

2012年03月23日 19時17分40秒 | ペタンク爺さんの一日
十年以上年賀状だけの付き合いになっていた、古い友達、タクシードランバー時代からの付き合いだった、魚釣り趣味だったので円山で釣具店を開いていたので付き合いは自然な成り行きで、仕事を終えると寝る暇を惜しんで海の磯釣りに車を仕立てて走っていた。
私より5歳ほど若く、スポーツマンでスキーでも一緒、春の山菜取りや秋のキノコ採り、私がオートバイのヤマハトライアルを手に入れると同じようなオートバイを買って一緒に近郊の山々の林道を走破していた。

私が、釣具店を店じまいし円山地区から山鼻23条にあった炭鉱長屋みたい古い民家に入ると、開いていた隣に引っ越してきた、それほど親密にしていたような友達で、その頃は私も50才代の年齢で、また親しい友人の誘いでドライバーからスポーツイベント会社創設に参加し、会社役員になった10年近くはその会社で過ごしたのも、山鼻地区だった。

息子たちが、適齢期になり巣出す時期に夫婦二人だけの終の棲家と現在の月寒の市営団地に落ち着いた、とうとう自分の家は持てなかった、好きなことをやっていたように思う、子供の頃は親の家、途中は全部借家、最後は市営団地で上がりになっている、双六模様。
亡妻と同じに、この団地の部屋から旅立ことを願っている。

古い友達が何時の間にやら、旅立っていってる、昔の事を話し合える友達が急に懐かしく思い、突然旧友を訪ねる10年近く隣同士で暮らしていた友達の田野濱氏で、初めて訪ねる家だったが、今はネットの写真地図で玄関先まで見えてしまうので個人情報と云っても、隠せない時代に、便利さと恐ろしさも同居している時代だと思っている。

玄関先から、生きてるかいと声をかけた、奥さんが元気な顔を見せ、二人とも元気の返事が返ってきた。
昼食もご馳走になり、懐かしい昔話に花が咲いた。

この後、藻岩山橇滑りに向かう。

藻岩山お尻滑りを終えて

雪質が悪く、出来が悪かったが動画を橇世界に貼り付ける。
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雨が降るベランダ工房開く

2012年03月22日 14時02分23秒 | ペタンク爺さんの一日
朝から空模様が怪しくなっていた、時々太陽も顔を見せていたが午後にはとうとう細雨が降り出していた、家の中に閉じ込められた感じで朝食を終えると、ベランダに山積みしていた橇の修理に取り掛かった、札幌のすぐ隣の町では滅多にない豪雪で雪の始末に苦労していた年だが、札幌に限りむしろ例年より少ない雪の積もり方と感じていた、近郊のスキー場も何とか営業には差支えなかったと思う、残り少ないスキーシーズンだが、私が利用している藻岩山の北斜面も何時ものとより雪が少なく、ブッシュが隠れないで雪の上に出ている方が多く、林間コースの橇滑りでのコースにもブッシュの上を滑る場面も多く、ビニールでしか出来ていない滑走面を傷めてしまっていた。
雪の上だけなら、薄いビニールの滑走面でも破れることは無いのだが、木の枝や障害物が雪の中に隠れていて、その上を通過するときに傷をつけてしまう、私の作った橇の欠陥だが。

それを補って、スタイロホームにガラスウールを張り樹脂を塗るとサフィンボードの様な丈夫な橇が出来るが、子供の遊びの延長線上のこの橇は、万が一橇を流して人にぶっかってもスタイロホームが表面なので大怪我には繋がることは無い、これがこの軽い橇の特徴と長所である。
取りあえず、手作り橇なので簡単にビニールの張り替えも出来てしまう。
最初10台ほど作った橇は、2年くらい新しく材料を買って作っていない、せいぜい滑走面のビニール張り替えで再製され橇の世界を楽しんでいる、間もなく藻岩山のロープウエーの冬の営業も終わりになる、4月に入ると手稲山のスキー場もクローズする、今度は山登りが半分に、ロープウエー乗り場から山頂までは、私の足では1時間30分はかかる、1日一本が限度で、お天気さえ良ければ手稲山通いが始まる。

修理完了の橇
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時々焼き芋屋さん

2012年03月21日 16時12分37秒 | ペタンク爺さんの一日
数日振りに太陽が朝から顔を出していた、気温も日中はプラス温度になっていた、春は自然のサイクルが教えてくれるが、それに反して人工的にそんな季節の移り目を教えてくれている事がある。
選抜高校野球やプロ野球のオープン戦が始まると、春の到来と体でも感じる、その他にも近頃はサッカーのJリーグが開幕し、スポーツがウインタースポーツからこれらに代わって行く季節でもある、北海道にもプロの野球チームやサッカーのチームも誕生し日本の中で一画を占めるようになった。
他県から見ると、人口密度は極端に広くなるが、不利な所もあるが良い所も沢山あると思っている、とどまるところを知らない人口増加も日本の場合は、ストップし減少傾向が始まっているらしい。
働く世代は、20歳代から60歳の40年間くらいで終わりになるのがいいなと、私の経験学上思えてならない。

60歳を過ぎても、まだまだ元気に仕事は続けられる、しかしそこで今までやってきた仕事から一切終わらせることにする。
国民は60歳で全員勇退させる法律を作ってしまう。
若い世代に、道を譲る、乱暴だがこれしか社会を活性化する方法がないと思える。

60歳を過ぎても、仕事と云う人たちに役職なしでパート程度の収入で、今までの経験も活かし仕事のお手伝いに、何処かの理事長などの閑職にはボランティアの役職にしてしまう。
他のほとんどの退職者は、そこから今まで出来なかったことややりたいと思っていたことに、残りの20年間を少ない年金と社会に関わりパート程度の収入で生き甲斐のある生活を全うして行けたらと夢物語を描いている。

人口減少で働く人の人口が少なくなる日本は、一人一人が効率よい仕事を作り出し世界と肩を並べて行かねばならないと思う。

久しぶりに、焼き芋屋さんをやる、今頃の北海道の食料は何もかにも高くなる、本州で気象条件に左右される野菜なども今年の寒さが影響していると思う、先日からスパーなどでサッマイモを見ていたが高くて買えなかった、滅多に足を運ばないJAに顔を出したら練馬大根ほどのさっまいもがひと箱650円で売っていた、お昼には間に合わなかったが早速ダッチオーブンをベランダに出し、焼き芋屋さんをやる、太かったので縦に二つ割する、甘くておいしいさっまいもだった。

ダッチオーブン
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山鼻屯田湯と三丁目の夕日

2012年03月20日 18時06分31秒 | ペタンク爺さんの一日
三丁目の夕日と同じ時代に、私もふる里で青春を謳歌していた20歳で衣料品店の店を開業店の真ん前が銭湯だった、無論入浴は目の前の銭湯で子供のころから通い続け、私の長男も親父に抱きかかえられて毎日のように通っていた。
小さな田舎町の小さな銭湯で、賑わっていたのとその銭湯の前で大道香具師が半ば如何わしいものも売っていたことを覚えている。町の面通りで銀座通り的に界隈になっていた。
やくざやチンピラもいて、昔の映画悪名に出てくるような風景も自然に生活の中に焼き付いていた。
そんな町を30歳を目の前にして、出奔した、それからずう〜と札幌の人になってしまった、古希を迎え40年ぶりにふる里に戻りペタンクの講習会を開催している。
浦島太郎だったが、家の前にあった銭湯は建物だけは残っていた、親戚に逢ったように思っていた。

何か月ぶりに山鼻温泉屯田湯に出かける、連日冬将軍の居座りに屋外での行事が全て不可能になりこんな時は温泉に限ると、午後から出かける裏の駐車場が満杯だったのでさぞや混んでいるかと思いきや、中はがらんととしていた、10台くらいで満車なので一台一人で来ていると思った。

前から気に入っていた風呂屋の台秤で写真を撮る、いまどきこんな秤を使っているところはと思うと共に、昔の銭湯の風景そのものに哀愁を感じてしまう、相変わらず常連客の顔が覗き、他の銭湯ではもう見られなくなって来ている刺青入りの人が普通に入ってきている、前には親分らしい人に数人の若い衆が世話を焼いていた姿も見ている。
山鼻屯田地域の様子が、色濃く出ている所もいまだに見られるところだ。

姿は銭湯そのものなのだが、お湯は温泉そのもので41度の源泉がでている、今日も感じた所だが温泉の色が薄くなってきている、それに湯花が見えなくなっているのが少し気がかりだ。

街中の温泉、山鼻温泉屯田湯420円(南9条8丁目)頑張って続けてほしい施設です。

銭湯の台秤
ペチニァの種をまく

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札幌の雪対策は?

2012年03月19日 16時52分10秒 | ペタンク爺さんの一日
雪なし県から見ると、札幌市は一冬にかかる雪の対策費用は総額で150億円もかかっている、大変な金額でそれだけで膨大な必要経費をかけて、市民生活をしている。
住めば都の例えありで、人間は環境の動物で慣れてしまえば其処が都となってしまう。
三月も半ばになり道路の舗装は隠れることも少なくなっている、道路の縁に山積みしてあった雪もあらかた排雪され、歩道からも道路まで遮る雪は消えて行った、自然に雪解けを待っていたのでは4月半ば近くになると思う、それを雪の降り始めからせっせと計画的に雪対策をして来ている、車道除雪費22億円、歩道除雪費4億円、運搬排雪費37億円、雪たい積管理費16億円と、これだけの費用が道路関係の費用に使われている。

わが町、月寒には月寒ドームがあり隣接している八紘学園の牧草地が札幌市の雪たい積場になっている、町の中心部にこれだけの雪捨て場があるが、ここは限られた関係者だけの雪捨て場で、殆どは此処より7,8K奥地の白旗山競技場付近に限られていて、見事な雪山が何か所も作られているのを見ている。
春の山菜取りなどで通過することがあるが、6月末でもその雪山の雪の名残が残っている。

目と鼻の先の、月寒ドーム横の牧草地真平だった平地が何時の間にやら盛り上がりドームの屋根の高さほどになっていた、今日通りかかったら今度は雪割りの作業を始めていた、雪山に溝をつけ太陽と風の通りを良くし、融雪を促す作業で最早春の風物詩にもなっている。

日に日に、太陽の直射日光は暖かく感じられるようになってきた、そろそろサカのタネ屋さんに頼んでいたペチニァの種が届く筈と、種まきに使う断熱材の発泡スチロール製の箱をダイソーで揃える、一個100円の小作りなので数を増やせばと嵩張った買い物になる。
種は、土ポットを使うので汚れることがなく、便利なものを使いだしている。

雪たい積場


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冬の中の春

2012年03月18日 16時08分04秒 | ペタンク爺さんの一日
今日の日曜日は、朝から粒の小さい小雪が横殴りに降っていた、気温が低ければ粉雪で雪山での遊びには最適なのだが、舗装道路のアスファルトを隠すほどの力はない、道路は舗装が出たままで三月も半ばとなれば何時もこんなものと思っている。
着ているものが濡れてしまう様な、雪山の橇滑りには向いていないと今日は橇滑りも、屋外ペタンクも中止せざろぅえなかった、ここの所10日ほどスパーでのまとめ買いはしていなかった、何時もの卸売スパーの他久しぶりに大槻商店(冷凍食品が多い)に出向く、トマトが端境期で今一年で一番高い時期と思うが、少しまともな大きさのトマトは150円から200円もしている、こんな高いトマトでピューレーは作れないと、今日は大槻商店のイタリア製のとまとジュースを仕入れた、2500gもあるかんずめで、使うのは初めてだ、生のトマトとだけで作りたいのだがこれを利用し水増しするつもりでいる、どんなものになるのか、作ってみないと判らない。

買い物の帰り道、小雪がふり続くなか豊平の緑のセンターに立ち寄る、お天気のせいか日曜日にもかかわらず殆ど人はいなかった、温室に入ると世界は一変した、もう春満開でこの時期の花の代表のアザレアがここぞとばかり咲き誇っていた。
ガラス越しに外は雪景色、ここのセンター内だけは春たけなわの様子を見せていた。
札幌の桜は5月の初め、まだまだひと月以上経たないと春本番はやってこない、そんな季節に一足早い春を感じさせてくれる本当に有り難い嬉しい施設が近くにある。

4月にもなれば、花の小鉢も買って帰るのだが、室内は狭い、夜でもマイナス気温にならないほどになればとじっと我慢している。

アザレア咲き誇る
温室全景
とまとの缶詰イタリア製

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ひな祭り 参加出来ずに ねこやなぎ

2012年03月17日 15時10分40秒 | ペタンク爺さんの一日
その年によって違うが、三月のひな祭りにねこやなぎが芽吹いていて、手折って来て飾る年もあつた、数週間に一回は有明名水を汲みに出かけているが途中小川のほとりに立ち並ぶ柳のこずえの芽吹きをいつも気にしていた、今年は一気に気温が高くなる日が少なかった、ひな祭りはとうに過ぎ彼岸が近づいてきていた、もう芽吹いていると思い同じ方向にある有明名水を汲みに出かける、帰りは滝野公園の近くの河原の柳の見に行った、街中から大分山奥になるのか芽吹きの進行はなく梢は固く閉ざされていた。
それではと、折り返し白旗山入口付近の小川の縁にようやく芽吹いてきたねこやなぎを発見する、ここも毎年ターゲットにしている場所で、最近は低い所で手折れるところか無くなり、見上げると10M以上もある高い梢に白い芽吹きが見えていた。
ようやく、低木のねこやなぎを見つけ数本戴いて帰ってくる。

ねこやなぎ採りは、晴天の日に限る。
真っ青な空をバックに真っ白なねこやなぎを下から覗き、はっきりと春の到来を確認しているようなひと時だった。

今年は、簡易温室がありそれを利用して花の種まきをしようと、ペチニァの種をネットで注文する、ペチニァは苗で買っているので種まきから始まるのは初めての経験になる、成功して苗が出来ると今年はそこら中ペチニァだらけになる、もう一つ夏菊10種10本の苗も注文する、宿根なのでこれも成功すれば株が増えて賑やかになると思っている。
今月中には、種まきが出来るはずとそろそろ下準備を始めるつもりだ。

午後から雨の予報が入っていた、数日ボールを握っていなかったので短時間だったがティール練習をする。
グランドは八分ほどの乾燥で練習には十分機能していた。

練習も欠かさず
花壇も雪解けは始まる







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