団塊の青春と昭和の東京

昭和の名残りを求めて since2007・02・10

チキンラーメン

2008年08月30日 | Weblog

 0255 新旧チキンラーメン (左)が復刻版 

今月25日でチキンラーメン発売50周年とか・・
50年前の昭和33年は、ある意味、最も昭和らしい “ 昭和 ” ではないだろうか?
団塊世代が小学生で、「東京タワー」が完成、「フラフープ」大流行、「西鉄ライオンズ」3連敗4連勝、「月光仮面」登場、「長嶋茂雄」デビュー、「川上哲治」引退、特急「こだま」登場、「スバル360」、「HONDAスーパーカブ」登場、「有楽町で逢いましょう」、「嵐を呼ぶ男」がヒット・・など枚挙に暇がない。
まさにオールウェイズ「3丁目の夕日」の時代だった。

今、50周年記念の復刻版が発売されているが、食ってみると味は現在のものと変わらなかった。 つまり、昔の鶏がらスープの味とは違っていた。 昔はスープに浮く脂肪分がもっと大きくギラギラしていた気がするし、パッケージも黄色のストライプが13本だった気がするが、ボクの記憶違いか・・?
ウラには、『 不意のお客様に 』 や 『 お夜食に 』 とか 『 お酒・ビールのおつまみに 』あげく 『 お子様のおやつに 』 などと書いてあった事を思い出す。
いくらこの時代でも、お客様にチキンラーメンを出した家などあったのだろうか?

東京に出てきた頃、東京で食べるチキンラーメンは味が濃かったのが印象的だった。 この頃すでに東西で味を変えていたのだろうか。
東京では、あまり売っていなかった薄味のエースコック 「ワンタンメン」 が懐かしかったものだ。  
                       images エースコック ワンタンメン
社会人になり大阪転勤時代 ( 昭和48~49年頃 ) にビジネス雑誌の企画で、創業者の安藤百福氏の取材に立ち会ったことがある。
この時は、カップヌードル大成功の波に乗るべくカップライス ( 赤飯・ピラフ・お茶漬・雑炊など ) を展開させたが、“ 米の加工品は成功しない ” というジンクスを実感したのを記憶している。

いずれにしても、インスタントラーメンというカテゴリーを世界中で不動の地位を確立させた故 安藤百福氏の、そして我々消費者の功績は大きい。 コングラチュレーション! Cup Noodle 偉大な昭和の大発明!

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レトロポスター キリンビール②

2008年08月23日 | Weblog

 0254 麒麟麦酒ポスター 昭和元年

たまに行く吉祥寺の居酒屋「千尋」。
カウンターの一番奥に貼ってあるポスターは、最近メーカーが配布したとか・・
各ビールメーカーが昔のポスターを複製しているが、このポスターは他の複製ポスターとは異なり、光沢のない紙に昔の石版印刷のテイストを持たせて作っている。
オリジナルが作られた時代を調べてみたら、大正15年(昭和元年)とあった。
モデルは新橋芸者の、まり千代さん とのこと・・この頃は新橋にも、赤坂にも芸者さんが多く、芸者さんがピンナップモデルとして大人気だったことが窺える。
何しろ、電波メディアが無い時代だから、色彩のある全国メディアは雑誌の表紙かポスターぐらいかと思われる。
           当時の流行か・・陰影を使った独特の絵
新橋も銀座や赤坂、日本橋、京橋、神楽坂などとともに和の街だったので、今ではなくなってしまった江戸から昭和への粋も残っていたのだろう。
銀座も、赤坂、日本橋、京橋、神楽坂もこのところ再開発が進み、昭和が平成にバトンタッチしているが、昨夜の北京オリンピック陸上100×4リレーのように上手くバトンタッチしてもらいたいのだが・・このところの急激な変化は、はたしてこれで良いのだろうか?と心配するのは、杞憂なのか・・

 

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日本映画 お盆興行 昭和30年代

2008年08月16日 | Weblog

 0253 日本映画名画看板 (上野スタームービー)

去年も8月15日は上野界隈を歩いていたが、今年も炎天下の中、カメラ片手に大汗をかきながらセミの声と、高校野球の実況と、正午の黙祷のサイレンを耳にした。
今年はさらにオリンピックの中継音声が何処からともなく聞えてきた。
上野公園界隈では、これにパチンコ屋の音が加わり、その脇には名画座があり、昭和の映画が架かっている。ここまで来ると、昭和の匂いが充満していた。
     
     四大スターのノボリ旗      昭和83年夏の興行映画
上野スタームービー前には、石原裕次郎、赤木圭一郎、三船敏郎、勝新太郎のノボリ旗が立てらている。
このところの昭和ブームもあってか、それとも中高年を意識してか、今は亡き昭和のスターたちに再登場ねがっている。
この映画館は入ったことないが、場所柄、イメージできるのは中は小汚く、椅子が小さく、トイレが匂うような気がするが・・もし、そうなら昭和そのものだろう。

盆暮れは日本全国映画キャンペーンで、映画館をハシゴしたのが懐かしい。
我が故郷黒井や柏原(丹波市)の冷房設備のない映画館は蒸し風呂同然で、団扇か扇子は必需品だった。
天井のプロペラ扇は気休めで、タバコの煙の拡散にしか役立たなかったし、館内の売店では、アイスキャンディーやラムネ、瓶入り王冠栓のミルクコーヒーが定番の飲み物だった。 コーラを爆発的に飲むようになる少し前の時代だった。
こんなことを連想させてくれる上野スタームービー・・シルバー料金で一度入ってみるか・・文化豆か、のしイカでも食いながら・・

 

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調布飛行場

2008年08月09日 | Weblog

 0252 調布飛行場

国内線もプロペラ機からジェット機になると同時に空港が整備され、空港ビルも立派になり、ボクらが子どもの頃の羽田空港よりも数段近代化している。

我が家から20分もペダルを踏むと、今でもローカル色豊かな調布の飛行場に着く。
小規模の航空会社がプロペラ機を管理している脇を通り、発着ロビーのある建物の前に駐輪して、中に入ると、どこかの渡し舟の出札口のようで、のどかな風景だ。
アルミ製の引き戸を開けるとガラガラと音を立てそうだ。
夕方、コーヒーを飲みながら滑走路を眺めていると、セスナやボンバル機などが離発着し、その光景は数々の映画のシーンを想い起こしてくれる。
  
これが夜だったら「カサブランカ」で、昼間だったら裕次郎の「紅の翼」だろうか・・いずれも昭和30年代の多感な時代に観たが、これがジェット機だったらイメージぶち壊しだろう。 プロペラ機だからこそ哀愁とロマンがあるのだろう。

そんな事を想いながら帰り際、売店に眼をやっていたらお店のおじさんに呼び止められた。 
何と彼はパイロットでフライトのない時間帯は窓口や売店勤務とのこと。
彼によると、離島に行く時は絶対にプロペラが良いとのこと・・ジェットのように高く飛ばないので、地上の景色を観ながらのフライトが素晴らしいと・・大島へ飛ぶにも調布を飛び立つと鎌倉あたりの上空を通過するので、快適さは200%だそうだ。
確かに「紅の翼」でも、離陸直後は裕次郎扮するパイロットが二谷英明扮するギャングにハイジャックされるまでは、低空を快適にフライトしていた。
この映画は羽田からのフライトだったが、今の調布と同じようなのどかさがあって、羽田よりも調布のイメージに結びつく。
         羽田離れりゃ 男の世界 3031 紅もゆる・・
この飛行場で、小型機を観ていると、佐渡か大島あたりにフライトしてみたくなる。
気分はセスナのパイロットか?

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不忍池 ⑤

2008年08月03日 | Weblog

 0251 不忍池 蓮開花

 上野の不忍池とくると、直感的に桜を連想する。
が・・この時季に訪れてみると、弁天堂を望む蓮池に感激させられる。
 都心のしかも、山手線の中にこれほど大きな池一面に咲き誇る蓮は、見事の一言につきる。
 花など、それほど愛でたことがないボクだが、今回ばかりは驚嘆に値する光景だったので、日曜の朝、早起きした甲斐があった。
 ボクが今まで観たどの蓮池よりも広く豪華に、堂々と咲き誇っている蓮華の座は、まさに極楽の光景を下界に具現させている。
 鳥が飛び、蝉の声が真夏の池之端にしみわたり、蓮の蕾には極楽トンボが羽を休めていた。
  
   左から: 弁天堂 開花した蓮 極楽トンボ 小サギ
 ここの野鳥は人馴れしていて、鳩や鴨、カモメなどはすぐに寄ってくるし、川鵜や小鷺もすぐ傍まで近寄っても逃げない。
 猛暑も忘れてひと時、木陰で極楽の余り風に吹かれることができた。
 ベンチで昼寝でもしようものなら、何処からともなく有り難いお経が聞こえるような気にさせられそうだが、それでは写真を撮ったり、スケッチに励むお年寄り達からにらまれそうで、すぐ現実にもどることとなった。

 明治から昭和まで多くの作家や文化人に愛された池之端界隈を歩きながら、団子でも食って帰ろうと考えるボクも俗っぽく、まだまだ長生きしそうだ・・

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九段会館 ②

2008年08月02日 | Weblog

 0250 九段会館

 九段会館で今週、次男が挙式した。
我が母校、兵庫県立柏原高等学校の同窓会東京支部の総会が毎年ここで開かれる。
昭和初期に建てられた由緒あるこの建物は、2・26事件のとき戒厳司令部がおかれたとか・・また、戦後はGHQに接収されていたらしい。
以前は軍人会館と呼んでいたそうである。
靖国神社や皇居に近いせいであろうか・・何やら激動の昭和に翻弄されてきた建築物と言われると厳粛な気分になる。

 豪華さは感じないが、壁や床、天井など内装は何度となく新しくされていても、歴史の数コマが染み着いているような気にさせられる。
この感覚は、防衛省の市ヶ谷記念館を訪れた時とおなじものだった。
洋式建築の上に青瓦という帝冠様式の建築は最近は少なくなっているようだ。
       
 この九段会館での挙式・披露宴がいっそう厳かな気分に包まれていたと感じたのは確かだった。
激動の昭和を見続けた歴史的建造物・・これからは平成の平和を見届けてほしい。

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