安政地震津波(1854)M8.6 犠牲者30,000
関東大震災(1923)M7.9 犠牲者140,000
チリ地震津波(1960)M9.5 犠牲者1,743
アラスカ地震(1964)M9,2 犠牲者150
ペルー地震(1970)M7.9 犠牲者70,000
唐山地震(1976)M7.8 犠牲者655,000
メキシコ地震津波(1985)M8.1 犠牲者35,000
阪神淡路大震災(1995)M7.3 犠牲者6,437
インド洋大地震津波(2004)M9.3 犠牲者283,000
四川大地震(2008)M8.0 犠牲者87,000
チリ地震津波(2010)M8.8 犠牲者723
<<G-ma 世界の主な巨大地震>>から抜粋
上の表を見ると、当然のことながら、犠牲者数はだいたい人口密度に応じている。アラスカはもともと住んでいる人がほとんどいないのだから、いくら大地震が来ても困らない(?)。中国や日本やインドネシアの場合は逆の意味で当然。もうちょっと詳しく見ると、全く無防備だったところを津波に襲われたインドネシアの場合は脇において置くとして、地震の場合、建物の構造が大きく影響していることが分かる。煉瓦造りや手抜き工事の建物におしつぶされたのが中国、瓦葺きの屋根の下敷きになったところを、周りの火事にあぶられて蒸し焼きにされたのが日本。
それじゃあ、チリの場合はどうか。1960年と先日、地震の規模は巨大、おまけに津波も巨大。影響を受けた地域の人口だって、過密とは言えないまでも、希薄どころじゃなかった。先日の地震の震源に近かった大都市コンセプシオンの人口だけでも20数万、半端な数じゃない。マグニチュードの大きさから考えても、せめて人口の1割ぐらいは犠牲になってくれなくちゃあ、日本や中国が可哀想だ。700人ちょっとなんて、ゼロがふたつ足りないんじゃないかい、なーんてバチあたりなことを言いたくもなる。
なして、なんで、どうしてチリでは被害が比較的軽微だったのか。言い換えれば、近々大地震大津波に襲われる関東・東海・南海地方のひとびとの命がひとりでも多く助かるためのヒントが見つからないものか。という純粋に人道的見地(声あり「オメーサンが言うといかにも嘘っぽく響く」)から、テレビの中継やら現地報告を見ながら、いくつか思いついたことがあります。
建物の倒壊が少なかったのは、①耐震構造がしっかりしていたことに加え、②基礎とその下の地盤が強固だったせいに違いない。「砂上の楼閣」が林立する東京・横浜・名古屋・大阪、地震で液状化現象が起き、基礎の下に打ち込まれた杭が途中からボキボキ折れ、高層ビルがズデンドーと倒れる。あーコワ!ロンドン・パリ・ニューヨーク・北京・ローマ・ベルリン、世界の大都市で、砂の上に町を築いてあるなんてところが、日本のほかに何処にあるだろう。
やれ防潮堤だ、やれ防災無線だ、やれ屋外警報機だ、やれ有線放送だ、などという気安め施設・設備が皆無だったにもかかわらず、津波にさらわれた人が思いのほか少なかったのは、③オカミなんかアテにせず、と言うかオカミなんか信用せず、大部分のひとが自分のカンや経験、そして昔からの言い伝えを信じて、地震即避難で高台に逃げたから。先日の日本では、NHKがあれほどしつこく警告したのに、避難したしたのはほんの一部だけだったそうだけど、あれはどうだったんだろう。なに、あれは「たかをくくって」いただけ、本当に賢明なら、警報が出ようが出まいが、チリの人々と同じ行動を取ったはず。似て非なるものさ。
それにしても犠牲者が少なかったのは、④人口集中が小さかったせいだろう。適度に分散して暮らしていたから、交通渋滞も起きず、逃げる人々が押し合いへし合いしなくて済んだに違いない。常日頃、狭いところにギューギュー固まって、歩くに歩けない、走るに走れないでいる皆さん、怖くないのか。神戸が燃えている映像を見だあとでさえ、尚も都会から逃げ出さないでいる勇気は見上げた/見下げ果てたど根性と感心すべきなのかな。
以上、時期尚早なせいか、「専門家」による被害状況分析がネットに載っていないので、お先に愚見を述べさせていただきました。文中不謹慎な言葉遣いが多々あったことをお詫び申し上げます。