山の恵み里の恵み

キノコ・山菜・野草・野菜の採取記録

ひとり金時

2010-03-09 15:47:27 | その他
 坂田の金時は晩年、都を引き払い、故郷の足柄山に戻って、金太郎時代の幼な友達、熊や鹿や猿などに囲まれ、自由気まま、浮世の義理に縛られることなく、幸せに暮らしましたとさ、めでたし、めでたし。
 仕事があればあるで、無ければないで、家族があればあるで、無ければないで、自由に気ままに生きたいと願っている皆さん、「全国には、宅地がタダ同然の過疎村や廃村が無数にある。”一人金時”がさびしければ、会社人間は会社仲間でまとまって、たとえば鳥取県の山中に移住すればよく、町内人間や同窓会人間は、たとえば奄美諸島の加計呂麻島の海浜に移住すればいい。貯金で十分、ガラスいっぱいのすてきな家がたてられる。ただし、足柄山はだめらしい。すでに不動産資本が入りこんで、金太郎のころとはちがっている。」司馬遼太郎『風塵抄 金太郎の自由』(1989年10月2日)
 「バブル崩壊」の予感におびえたひとびとの一部が、この世のしがらみ(借金・会社・家族)からできれば逃れたいと思いだしたころの文章。あれから20年、こんどはデフレで都会を「食いつめた」ひとびとへの「移住のすすめ」になっている。田舎への移住の勧めは、いつの世でも、どんな世の中になっても、有効だという証しかな。

チリ地震津波の死者はなぜ少なかったのか

2010-03-09 15:35:47 | その他

 安政地震津波(1854)M8.6 犠牲者30,000
 関東大震災(1923)M7.9 犠牲者140,000
 チリ地震津波(1960)M9.5 犠牲者1,743
 アラスカ地震(1964)M9,2 犠牲者150
 ペルー地震(1970)M7.9 犠牲者70,000
 唐山地震(1976)M7.8 犠牲者655,000
 メキシコ地震津波(1985)M8.1 犠牲者35,000
 阪神淡路大震災(1995)M7.3 犠牲者6,437
 インド洋大地震津波(2004)M9.3 犠牲者283,000
 四川大地震(2008)M8.0 犠牲者87,000
 チリ地震津波(2010)M8.8 犠牲者723
 <<G-ma 世界の主な巨大地震>>から抜粋

 上の表を見ると、当然のことながら、犠牲者数はだいたい人口密度に応じている。アラスカはもともと住んでいる人がほとんどいないのだから、いくら大地震が来ても困らない(?)。中国や日本やインドネシアの場合は逆の意味で当然。もうちょっと詳しく見ると、全く無防備だったところを津波に襲われたインドネシアの場合は脇において置くとして、地震の場合、建物の構造が大きく影響していることが分かる。煉瓦造りや手抜き工事の建物におしつぶされたのが中国、瓦葺きの屋根の下敷きになったところを、周りの火事にあぶられて蒸し焼きにされたのが日本。
 それじゃあ、チリの場合はどうか。1960年と先日、地震の規模は巨大、おまけに津波も巨大。影響を受けた地域の人口だって、過密とは言えないまでも、希薄どころじゃなかった。先日の地震の震源に近かった大都市コンセプシオンの人口だけでも20数万、半端な数じゃない。マグニチュードの大きさから考えても、せめて人口の1割ぐらいは犠牲になってくれなくちゃあ、日本や中国が可哀想だ。700人ちょっとなんて、ゼロがふたつ足りないんじゃないかい、なーんてバチあたりなことを言いたくもなる。
 なして、なんで、どうしてチリでは被害が比較的軽微だったのか。言い換えれば、近々大地震大津波に襲われる関東・東海・南海地方のひとびとの命がひとりでも多く助かるためのヒントが見つからないものか。という純粋に人道的見地(声あり「オメーサンが言うといかにも嘘っぽく響く」)から、テレビの中継やら現地報告を見ながら、いくつか思いついたことがあります。
 建物の倒壊が少なかったのは、①耐震構造がしっかりしていたことに加え、②基礎とその下の地盤が強固だったせいに違いない。「砂上の楼閣」が林立する東京・横浜・名古屋・大阪、地震で液状化現象が起き、基礎の下に打ち込まれた杭が途中からボキボキ折れ、高層ビルがズデンドーと倒れる。あーコワ!ロンドン・パリ・ニューヨーク・北京・ローマ・ベルリン、世界の大都市で、砂の上に町を築いてあるなんてところが、日本のほかに何処にあるだろう。
 やれ防潮堤だ、やれ防災無線だ、やれ屋外警報機だ、やれ有線放送だ、などという気安め施設・設備が皆無だったにもかかわらず、津波にさらわれた人が思いのほか少なかったのは、③オカミなんかアテにせず、と言うかオカミなんか信用せず、大部分のひとが自分のカンや経験、そして昔からの言い伝えを信じて、地震即避難で高台に逃げたから。先日の日本では、NHKがあれほどしつこく警告したのに、避難したしたのはほんの一部だけだったそうだけど、あれはどうだったんだろう。なに、あれは「たかをくくって」いただけ、本当に賢明なら、警報が出ようが出まいが、チリの人々と同じ行動を取ったはず。似て非なるものさ。
 それにしても犠牲者が少なかったのは、④人口集中が小さかったせいだろう。適度に分散して暮らしていたから、交通渋滞も起きず、逃げる人々が押し合いへし合いしなくて済んだに違いない。常日頃、狭いところにギューギュー固まって、歩くに歩けない、走るに走れないでいる皆さん、怖くないのか。神戸が燃えている映像を見だあとでさえ、尚も都会から逃げ出さないでいる勇気は見上げた/見下げ果てたど根性と感心すべきなのかな。
 以上、時期尚早なせいか、「専門家」による被害状況分析がネットに載っていないので、お先に愚見を述べさせていただきました。文中不謹慎な言葉遣いが多々あったことをお詫び申し上げます。