山の恵み里の恵み

キノコ・山菜・野草・野菜の採取記録

しょうゆ豆

2009-04-27 15:03:26 | 里の恵み
 昔は味噌も醤油も自家製だった。ご近所数軒の共同作業。味噌の場合、茹でた大豆を円筒状に丸めて数日間乾燥させる。乾き始めた「味噌玉」の周囲を削って、七輪で焼いたり、煎餅状にして油で揚げたり、芋粥ばかり食べていた頃には大の御馳走だった。大豆のかたまりだから、栄養的にもすぐれていたんじゃないかな。醤油は作るのが面倒で、お向かいの家一軒だけでしか作っていなかったけれど、熟成したモロミを搾る日には、手伝うふりをしながら、搾る前のモロミをくすねては口に頬張る。物凄くしょっぱかったけれど、麹の甘味にうっとり、忘れられない美味だったなあ。
 還暦を過ぎて以来、物事に対する好みがどんどん昔に帰る。ことばも学校で習ったようなものより、子供の頃使っていた方言や訛りのほうが先に浮かぶ。タガメ・ゲンゴロウ・ミズスマシ・アメンボウ、懐かしいねえ。60年前に覚えたことばは即座に浮かぶけれど、10年前のものはほとんど忘れた。成人して以後覚えた知識なんか、所詮は付け焼刃か厚化粧のようなもの、日を追ってボロボロ剥げ落ちていく。外国語や学術用語、ひとや動植物の名前が特にひどい。よほど脳味噌をしぼらないと浮かんでこない。いくらしぼっても思い出せないものも多い、たぶん永久に失われたのだろう。
 食べ物に対する好みの変化(退化?)なぞ、我ながら驚くほど昔に帰った。子供の頃うまいと思ったものがしきりに食べたい。2年前から春先の味噌玉を求めて『すや亀』に通うようになったし、今日は評判の醤油豆を聞きつけ、妻科(つまなし)の『井上醸造』まで、自転車で往復1時間かけて買いに行った。昔の味、本物の味、大感激。考えてみれば、『すや亀』も『井上醸造』も、生家から15分も歩けば行けるところにある老舗。このデンでいくと、「日本一の蕎麦屋」も、歩いて5分もかからないところにある『山屋』さんってことになるかも。ひとは土から生まれ、土に還える。どうやらこの身も、産土(うぶつち/うぶすな)に向って、暗黒星雲に吸い寄せられる星々のように、渦を巻きつつ近づいているのだろう。

西山のリップヴァンウィンクル

2009-04-16 10:18:19 | その他

 「篠ノ井へはこの道を行けばいいのかや」路上で突然問いかけられた。70半ば過ぎ、どこの田舎にもいる、朴訥そうなじっちゃん。一瞬の驚きからすぐに立ち直って聞き返す「えっ、篠ノ井まで歩いて行くのかい」。「うん、どのくれえかかるかなあ」。「確かにこの道をずっと進めば篠ノ井まで行けるけど、1時間じゃあきかない、1時間半はかかる。ちょっと無理じゃないかな、少し先からは歩道も付いていないし。バスを待っていたほうがいいよ」。「そのバス、1時間もしなけりゃ来ないらしいんだ」。
 ぼそぼそ話すのを聞いているうちに、少しずつ事情が判明。どうやら長野駅で乗るバスを間違えたらしい。途中で気がつき、運転手に話したら、篠ノ井方面への分岐点『丹波島橋南』で降ろされちゃった。バス停の時刻表を見ると、篠ノ井行きは出てしまった直後。次は1時間後。さあ大変、どうすりゃいいのさ。不案内の土地。通勤時間帯を過ぎているため、人通り無し。10時前なので、店もまだ閉まったまま(実はすぐそばの郵便局は開いているが、目に入らない)。知人の助けを求めようにも、電話ボックスが見当たらない、もちろんケータイなんて知らない。日頃バスや汽車とは無縁の暮らしをしているから、こういう状況での対処法が分からない。歩くことしか頭に浮かばない。1時間待ってでも、次のバスで行くほうが早く着く、なんて計算は(パニクっているため)
できない。
 ここで出合ったのが、天の助けか、このあたりの交通事情に関してはこれ以上はいないと自負する人物。とっさに浮かぶいくつものオプション。①すぐ近くに別の篠ノ井行きバス停があるじゃないか。さっそく案内する。ところがなんとなんと、バスがない。つい先日までは確かに走っていたのに!いつの間にかこの路線、今はやりのリストラにあってしまったらしい。「断りもなく廃止しやがって」などと怒ってみても埒が明かない。それじゃあ②、同じ歩くにしても、川中島駅なら30分ちょっとで着く、そこから汽車に乗ればいい。しかし「どうやって行けばいいんだい?」と聞かれてハタと困る。道順を教えるのは至難のワザ。この案はあきらめよう。③バスで長野駅に戻るなら15分もかからない。汽車なら篠ノ井まで10分そこそこ。しかし何故か「戻る」ことにはだいぶ抵抗感があるらしい。
 何が何でも、急いで篠ノ井に行く必要があるらしい。どうやらこの御仁、日赤に用があって、朝早く出かけたら、保険証を出せと言われた。ところがその保険証、「市役所」から受け取って来るのを忘れていた。実は(何故か)保険証が無く、日赤に行くにつけて、役所に相談したら、作っておくから今日窓口まで取りに来るように言われていたのに、病院と「市役所」へ行く順序を間違え、病院のほうへ先に行ってしまったため、今の事態を招いてしまった。だから急いで「市役所」に戻らなけりゃならないんだ。バスを間違え、行く順序を間違え、まさにダブルミス。しかし同情するねえ、こういうお年寄り、田舎でのんびり暮らしていて、保険証とも無縁、バスとも汽車とも無縁、よそへ行くときは歩けばなんでも用が足せてきた、不自由なんて感じたこともなかった。共感!
 「病院の受付で事情を説明して、保険証は後で届けるからと断ればよかったのに」。「いやだめだ、(恐らく受付の)女衆(おんなしゅ)がこわくて」。「市役所なら長野駅からすぐじゃないの、どうして篠ノ井まで戻る必要があるんだい」。「保険証を頼んだのは篠ノ井市役所なんだ」。ここで気がつく。このおっちゃんにとって、「市役所」とは「篠ノ井市役所」のことなんだ。篠の井市が長野市に併合されてかれこれ40年、しかしこのひとにとっては、市役所と言えばここしかない。素晴らしい!いいねえ、こういう御仁!バスがなけりゃあ歩けばいい、って考えも素晴らしい!そうさ、歩くのが一番さ。でもねえ、いまどき、「歩ける道」を知らないで、闇雲に歩こうとするのは危険だよ。
 とどのつまり、それほど急ぐならと近くのタクシー会社に案内して強引にケリをつける。自分なら決して使わないテだけど、この際はやむをえない、ということにしておこう。こちらだってこれから、善光寺近くまで1時間かけて歩いて行かなくちゃならない(ってわけでもないけれど、そう決めて出かけてきた)んだ。 

本物の歩ける道

2009-04-09 14:53:56 | その他
 名勝に見るべきものなし、なんてことわざがあったかなかったか。「名勝」気比(けひ)の松原もご他聞にもれず、つまらないところでした。『青春18きっぷ』の残り2回分を使って「歩ける道」を探す旅。白砂青松の浜辺を歩くのもオツかな。
 直江津→富山→金沢→福井と鈍行を4回も乗り換え、はるばる着いた敦賀の町。案内所で訊ねたら、1時間に2本のバスがもうすぐ出るところだとか。こりゃあ幸先いいぞ、と思ったのはここまで。ちょっとした松原の先に砂浜が1キロぐらい。海の眺めは素晴らしい。しかしまあ、何としたことか、貴重な松原を大きく削って、大駐車場が浜辺に突き出している。おまけにソフトボールができる程度のグランドまで出来ている。やんぬるかな。
 桜が植えられていないためと、平日の午後ということもあって、観光バスの姿なし、団体さんなし、演歌を流すスピーカーなし、なのは悪くない。砂浜を15分ほど歩いて終わり。敦賀はそれだけでした。ホテルを探すのに「歩けない道」を1時間も歩き回ったのが、本日唯一の運動、というお粗末。案内所でもらった地図が分かりにくく、途中でひとに教えられるまで30分も逆方向に向っていたりして、いやはやさんざんな目にあったわい。
 帰りも同じルート。敦賀の「口直し」に、突如思い立って、親不知の手前、越中宮崎で降り、隣の市振(いちぶり)の駅まで歩いてみたら、これが大当たり。正に探し求めていた「歩ける道」。駅裏がもう海岸。高い堤防が築いてあって、小石ばかりの浜、そして渚。堤防と平行に「自然歩道」、そして線路、その向こうがケモノ道。百メートルほど離れているので騒音もない。
 波打ち際で遊ぶ幼い子がふたりと両親、釣りをしている男がひとり、石を拾い集めているらしい人(性別不明)がひとり、ただぶらぶらしている中年男ひとり、そして毎度お馴染み、堤防の上でコッペパンをかじっている浮浪者風浮浪者がひとり。海はベタ凪。浜辺近くを走る小さな漁船が1隻。500メートルほど沖合いを作業船らしい船がタグボートに曳かれてゆっくり移動している。その先は海が濃い靄に溶け込んでいる。のどかなのどかな昼下がりの春の海。はるか向こうまで続く松原。いいねえ。あの「名勝」とは雲泥の差。これぞホンモノの名勝。日本も捨てたものじゃない。しかし今では貴重な風景ですよ。駅は片田舎の無人駅。人が来ないから食堂もない、売店もない。理想の海辺。
 時刻表によれば、宮崎から市振までは1里ちょっと(4.7キロ)。我が「歩ける道」は線路と平行に伸びているから、道のりはほぼ同じ。昼飯を食べ、ゆっくり休んで景色を楽しんでも、2時間あれば足りるはず。宮崎に降りたのが11時ちょっと過ぎ、次の汽車は1時ちょっと過ぎ。ゆっくりのんびり歩いてもじゅうぶん間に合うはずだったのが、最後の1.5キロぐらいのところで時計を見たら、残りが30分。ちょっと不安になり、通りがかりの人に訊ねたら、「駅はまだずーっと先ですよ。30分じゃきついんじゃないかねえ。よほど急がないといけんよ」だってさ。ピッチを上げて歩いたら20分で着いたけどね。