gooブログはじめました!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

人生で悩んだら先ずこれを読みなさい、 第四部

2017-06-16 02:41:00 | 人生の勝利者となる

真の友を作る

 

朋友はいづれの時にも愛す。兄弟は危難の時のために生まる

 

箴言17章17節

 

 真の友はどんな時にも愛しつづけるものであり,苦難のときのために生まれた兄弟である。

 

箴言17章17節

 

 あなたが初めて友達を作ることが出来たのはいつですか。

 人は生まれた時に多くの友に囲まれています。

 両親は勿論のこと多くの親族その友達は皆あなたの誕生を心待ちにしていました。

 先ずその中から真の友を探すことができます。

 幼子となり外の世界との接触が増えることでさらに友を得る事も出来ます。

 この時から友を選ぶ必要があなたに課せられてきます。

 親や親族は選ぶ事の出来ない友です。

 生涯付き合う事の出来る信頼のおける友と言えます。

これからの人生であなたが選ぶ事の出来る友は選ばなければなりません。

 その人は真の友となり得るのかそうでないのかを選ぶべきです。

 ではどのように選ぶことが出来ますか。

 先ず真の友の定義について考えてみましょう。

 真の友はあなたがどんな窮地に立たされた時でも必ずあなたを支え、励ましを与え、その力の及ぶ限りの手助けをしてくれる方です。

 

 あなたが意識的にあるいは無意識にその友に対して行ったことで損失を与えた時にもその間違いを快く許してくれる方です。

 

 太宰治の走れメロスの物語をご存知ですか。

 メロスは王の暗殺に失敗して処刑される前に妹の結婚式に出席させて欲しい、自分が戻ってこなければ友人が身代わりになるといいます。

 王は人の心が信じられないが戻ってこなければ友人を殺して人を信じる事の馬鹿らしさを証明しようと考えます。

 メロスは無事に妹の結婚式を終えて身代わりになっている友人の元へ急ぎますが川の氾濫、山賊の危険と艱難辛苦を経てまさに友人が処刑されようとしているその時、王と約束した三日後の日没までの刻限に間に合う事が出来ました。

 これは人の心を信じられない王に信頼する事の大切さを悟らせる物語となっています。

 この時メロスは帰ってくれば刑柱に架けられ殺されることになっていました。

 帰ってこなければ命は助かるが友は身代わりとして殺されることになっています。

 あなたはこの物語から何を学ぶことが出来ますか。

 先ほど述べた、意識的に・・その友に対して行った事で損失を与えた時とはメロスはこのまま刑場に戻らなければ生きられると考えた事、その友はメロスは本当に帰ってくるだろうかと一時的ではあるが互いに信頼を失った事を指しています。

 真の友は互いに忠節であり、いかなる場合においても友を信頼し自分の命さえも投げ打ちそのわざを助けてくれる方です。

 

 人は時として愚かなことに没頭する事があります。

 それを取り巻く人々が害を受けるのはその愚かなことをしている人が何かしらの権力を有しているときであり権力が大きければ大きいほどその影響力は甚大に及びます。

 その愚かなことをしている人の真の友があなたであればあなたは何を行うべきですか。

 真の友として権力を有している友の悪行に気付いた時には、それを止めさせ友が正しい道を歩む事が出来るように自分の命さえ投げ打つ覚悟で事態をただす覚悟で物事を正さなければなりません。

 その勇気を示す事であなたがその権力を有している友の真の友であることを証明することになります。

 

 あなたが選ぶことになる友は必ずあなたに物事の善し悪しを問わず影響を与えます。

 あなたが真の友を選ぶことが出来るようにと心から真に願います。

 一方であなたが真の友を選ぶことが出来ず、ひたすら悪行を行うものの仲間となるのであればその道は棘の道、人としてあるまじき道をひたすら歩むことになり、いずれ何らかの裁きが下されることになります。

 人として一生友を選ばず一人で歩み続ける事は出来ません。

今真の友を選ぶことを真剣にお考えになられる事をお勧めいたします。

 

 

(子供の皆さんに)

家出                  

家出の原因についていくつか考えてみましょう

 

子たる者よ、すべての事みな両親に順へ。

            コロサイ書3章20節(文)

子供たちよ、すべての事において親に従順でありなさい。

            コロサイ3章20節(新)

冒険

 あなたはいま何歳ですか?

 あなたの頭の中にはたくさんの楽しい物語が詰まっているのでしょうね。

 その一つをとりだすだけでとても楽しく人生はバラ色に思えてくるかも知れません。

 冒険!

 この言葉を聞いただけで心が弾み今すぐに飛び出したい気持ちで一杯になっているかも知れません。

 未知の世界、まだ見ていない素晴らしい世界が僕を、私を待っている!

 あなたの胸はときめき、まっしぐらにその世界に飛び込んでいきたい衝動をとても抑えることが出来ません。

 では、そのことをまず両親に話してみてください。

あなたが誰にも知られず、こっそり家出を計画し実行すると・・

 あなたのお父さんとお母さんはあなたが本当に大好きです。

 ほんの少しでもあなたが何所にいるか分からないと心配で、心配で、誘拐されたのではないか、山のどこかで迷っているのではないか、増水した川で遊んでいて流されたのではないかと気も狂わんばかりに歩きまわり走り回ってあなたを探し始めますよ。

 お父さんとお母さんにあなたの思いを話して御覧なさい。

 もしその冒険に出るのを待つように言われたとしても、今は黙って両親の言葉に従ってください。

 あなたが計画した冒険をしても良い年齢に達したと判断されたときにはきっと御両親は喜んであなたが冒険を完成させるために必要な費用、装備、全行程の計画などあらゆる準備をあなたと共に話し合ってあなたを送り出して下さいます。

 決して黙って家出をすることのないようにして下さい。

学校でのいじめ

 いじめの問題は人類史を通していつの時代にも見られるものです。

 しかし昨今見られる事件の陰湿さや執念深さ、嗜虐性にかけては異常としかいい表わす事の出来ないものが多々見受けられます。

 新聞やラジオ、テレビのニュース欄では毎日のように報道されています。

 あなたはそのようないじめを受けた時、このまま誰にも知られないところに行くために家出をしようと考えますか。

 そうすれば楽になれますか。

 お父さんとお母さんにあなたの胸の内を打ち明けてください。

 一番の真の友はだれですか?それはあなたのお父さんとお母さんです。

 あなたをいじめている子はどうしていじめっ子になったのでしょうか。

 その子も誰かからいじめられているのかも知れません。

 もしかすると本当に愛して欲しいと願っているその子の家族からのいじめが原因となっているのかも知れません。

 現代社会は人間本来の家族愛を忘れ去ってしまうほど複雑になっています。

 ほんの数か月から二歳、三歳の子供が実の親から、あるいは再婚や同棲による複雑な家族構成によって異父あるいは異母によって虐待を受ける時代となっています。

 そのような家庭環境で育ったゆえに自分より弱い人をいじめるのは正しいことだと勘違いしている人もおられるようです。

 あなたのご両親はどうですか。

 あなたが本当にお父さんとお母さんを愛しているのであれば家を出ようと決意するのではなくご両親と話し合って解決される事を願います。

 そうしないとそれこそ抜け出すことのできない蟻地獄に足を踏み入れるようなことになります。

 最近のニュースの多くはいじめられた子がだれにも相談することなく、一番先に相談しなければならない親にも相談せず自殺していることです。

 その一部分かも知れませんがその子はインターネットや学校で複数の人に訴えているようですが、そこに真の友がいない限りあなたが相談した事によって更なるいじめ、からかい、嘲笑が多発する事になります。

 彼らはただ単に面白がるだけの軽薄な群集、結果を考えることなくその場その場を楽しくただ面白く過ごすだけの餓鬼と化しているのです。

 そこに知性を感じる事はありません。

 あなたがほんとうに相談しなければならないのは、第一にあなたのお父さんとお母さんです。

 ただなんとなく

 あなたは今どんな目的を持っておられますか。

 家を出る事ですか?

 あなたを心から愛しておられるご両親はあなたが突然いなくなればどうされますか。

 きっと隣近所、学校や警察にも相談に駆けつけられます。

 あるお父さんは子供さんの写真付きで行方不明のわが子を探してほしいと懸賞金まで出しておられます。

 ニュース報道が大きくなりあなたは出るに出られなくなるかも知れません。

 あるいは誘拐されたけれど犯人のすきを見て脱出してきたようにつくりばなしをしなければならなくなるかもしれません。

 いずれにしてもあなたはもう一度お父さんとお母さんの元に戻ることになります。

 このことを真剣に考えてほしいのですがあなたが大人になって子供のころを振り返った時に自分は何ら恥ずべきことはしていないと声を大きくして話す事が出来るように今の自分の歩みを制することは知恵の道だと言えます。

 

 

親のしつけ

 子を懲らす事を爲ざるなかれ、鞭をもて彼を打とも死ることあらじ。

      箴言23章13節 (文)

 ほんの少年から懲らしめを差し控えてはならない。あなたがむち棒でこれを打ちたたくなら,彼は死なないであろう。

箴言23章13節 (新)

 「むち棒」という語は,ヘブライ語のシェーベトを訳したものです。ヘブライ人にとってシェーベトとは,羊飼いが用いるような棒または杖を意味していました。(w出版洞察)

 親のしつけはどこまでがしつけでどこから虐待となりますか。

 多くの両親はこの点で健全な判断のもとに子供を育てておられます。

 親はどんな時にしつけをしなければなりませんか。

 何か子供がとても悪い事をしたとか言った時には毅然として子供のしつけを行わなければなりません。

 ほんの少年から懲らしめを差し控えてはならない、あなたがむち棒でこれを打ちたたくなら、彼は死なないと述べてあります。

 しかし一部の親に見られる昨今の事情は幾分変化に富みすぎていると思わざるを得ません。

 そういう最近のニュースで頻繁に出てくる子供への暴力問題で逮捕された親は子供のしつけをしていただけだと述べる事が多くなっています。

 しかし今日多くみられるのは生後数日から数カ月の赤ちゃんが泣きやまないのでしつけのために布団を何枚もかぶせた、熱いお風呂の中に入れて頭からお湯の中に押し付けたなど子供を真に愛している親としてとても考える事の出来ない事件が多発しています。

 事件・そうですこれは明らかに何もできない、抵抗さえ出来ない幼子に対する故意の殺人事件なのです。

 子供のしつけでは死なないと述べていますから死ぬほどのしつけはあり得ません。

 ではどんな親がこのような殺人事件を犯していますか。

 私の個人的な偏見かもしれませんが大抵は異父によるものであると考えています。

 残念なことですがその圧力に屈して実の母親が加担している場合もあります。

 再婚あるいは同棲相手の男性に嫌われたくないのが大きな原因かも知れません。

 そこには真の家族愛に満ちた関係はほんのひとかけらも見る事が出来ません。

 単に倒錯した男女間の愛におぼれている悲しい姿しか見る事が出来ません。

 あえて申し上げるとすればただ一時的にしてもその場限りでも単なる遊びであったとしても子供を身ごもることが出来たことを喜びその責任を果たすべきではありませんか。

 立場を置き換えて考えてみましょう。

 その虐待された幼子がまだ生まれて間もないあなただったらと・・一生を虐待されたときの怖さ、恐怖、恐れ、慄きで涙の乾く事の無い人生を送らなければならないのです。

 もしも殺されていたならば、あなたは存在していません。

 今までのあなたの人生で一度だけでも楽しい思い出を振り返ることが出来るのであれば、ころされた幼子であるあなたはそうした経験もできなかったのです。

 あなたが子供を身ごもることが出来た事はどうしても喜ぶことが必要なのです。

 世の中には赤ちゃんが欲しくて欲しくてどうしようもなく悩みや苦しみを経験している夫婦、特に女性はたくさんおられます。

 あなたは赤ちゃんを無事に出産する事が出来ました。

 元気な赤ちゃんです。

 お腹がすいているのを大声であなたに知らせる事が出来ます。

 おむつがぬれてとても気持ちが悪い事をあなたに知らせるために大声で泣き叫ぶことができます。

 はいはいが出来るようになればとてもかわいい笑顔でこんなに成長したよと知らせてくれます。

 少し歩けるようになって冒険しているときにひっくり返ってびっくり泣き出す時もお母さん、私を守ってとあなたに大声で知らせてくれます。

 可愛いではありませんか、赤ちゃんがその時その時に大人になるための道を歩み始めているのです。

 その時にうるさいなどと叫んでしつけと言って赤ちゃんを殺すような鬼畜生にも等しい男のどこがいいのですか。

 あなたと性欲を満たすだけの男のどこがいいのですか。

 その男との間にもう一度赤ちゃんが出来ればその赤ちゃんを可愛がってくれますか。

 その男が・・あなたがお腹を痛めて産んだ子供に対する虐待を少年少女に成長するまで続けていくのであれば、この親の元で暮らす限り必ず不幸に見舞われるとの思いがつのっていき、とうとう家出をしなければいつか殺されるとの恐れで満ちた日々が続いていきます。

 そしていよいよ家出を決行することになるでしょう。

 するとそのような少年少女を手ぐすね引いて待ちうけている犯罪者の餌食となりやがて彼らの手先となってしまうかも知れません。

 その事が次に載せている大英百科辞典に書かれています。

 大英百科事典」は次のように述べています。「家庭における懲らしめの方針が手ぬる過ぎるか,厳し過ぎるか,あるいはひどく一貫性を欠いているかしているかもしれない。米国が行なった調査によると,犯罪者の約七割は理に合わない懲らしめと関係があるようだ」。W出版転載

 

   両親の離婚(子供の立場)

 お父さんとお母さんが毎日毎日喧嘩ばかりしてあなたは悲しみ、苦しみ、そして悩んでおられますか。

 部屋の中に空飛ぶ円盤のように自由にお皿や茶碗が飛び交っていますか。

お父さんが怒ってちゃぶ台をひっくり返しますか。

 夫婦げんかでそのような光景が出て笑えるのは喜劇などの娯楽番組だけと言えます。

 現実に直面するならば一言で言えば悲惨そのものとしか表現することが出来ません。

 そんな家庭での暮らしに嫌気がさしてしまい、とうとうあなたも家を出る決意をしたのだと思います。

 受動的という言葉をどのように受け止めておられますか。

 あなたのご両親の喧嘩の原因はどこにありますか。

 今日多くみられる原因の一つに生活苦を上げる事ができます。

 お父さんが一生懸命働いても人並みの生活をしてゆくのがやっとかも知れません。

 あるいは夫婦での共稼ぎが原因でお父さんとお母さんは時間的にすれ違いの生活が重なり意思の疎通が出来ていないのかも知れません。

 受動的の言葉をここで少し考えてみましょう。

 ご両親のけんかの原因で子供のあなたが今まで関与できなかった部分もあると思いますが離婚問題が絡んでくるとあなたも受け身だけで済ますことはできないのです。

 それは家族の崩壊を意味しているからです。

 あなたも積極的にこの問題に取り組む必要があります。

 子供たちが家出をする理由

 家出をする者の大半はしばらくすると空腹と寂しさを感じ,数日後に戻って来ます。

 しかし,学校の問題,親のアルコール中毒,身体的また性的虐待,両親の結婚生活の崩壊など。

 家出の危険を少なくするため,この記事は親のために次のような一連の提案を挙げています。

 『温かく,愛ある家庭環境を作り出す。過度の放任と過度の干渉という両極端を避けてバランスを保つ。子供たちに自主性と責任を与える。効果的に意思を通わせる技術,特に聴く能力を磨く。公正で一貫した懲らしめを与える』

 親の皆さん、あなたの子供と共に幸せな家庭を築いてください。

 

不義の富をもって友を作る

  われ汝らに告ぐ、不義の富をもて、己がために友をつくれ、然らば富の失する時、その友なんぢらを永遠の住居に迎へん。

ルカ16章9節(文)

また、わたしはあなた方に言いますが、不義の富によって自分のために友を作り、そうしたものが尽きたとき、彼らがあなた方を永遠の住みかに迎え入れてくれるようにしなさい。

ルカ16章9節(新)

 なたが今置かれている環境がどのようなものであるにせよ、あなたは多くの不義の富を所有しておられます。

 その不義の富を今、そうです今から十分に活用して真の友を得るための努力を始めてください。

 不義の富とはなんですかと疑問に思われる方もおられる事でしょう。

 不義の富とはあなたが今までに築き上げた財産凡てを意味しています。

 勿論これは金銭的な財産だけを指しているのではありません。

 あなたの人生で築き上げたもの凡てを含んでいます。

 人は動物と違い、たぐいまれな能力を所有しています。

 あなたはどんな特技をお持ちですか、友達をすぐ作ることが出来る。

 動植物に限りなく深い愛情を注ぐことが出来、幾千、幾万もの種別、その名を覚えている。

 他人に同情心を持って接することが出来る。

 国語や多言語に於ける読解力に優れている。

 数学では今すぐにでも教師として教壇に立つことが出来、実際に代理教員を務めることさえ出来た経験を持っている。

 体育系に関しては将来オリンピックの選手として有望視されている。

 その他にも人はその能力を際限なく発揮できる力を有しています。

 その財産を使えるうちにそれを必要としている人に有効に用いてください。

 きっと真の友を得ることが出来ます。

 その友の中にはあなたが求めているのであれば永遠の命を得ることが出来るように援助してくれる方もおられる事でしょう。

 

進学 幼児から大学生

勉学  (親に)

今日わが汝に命ずる是らの言は汝これをその心にあらしめ、勤て汝の子等に教え家に座する時も路を歩む時も寝る時も興る時もこれを語るべし。                    

申命記六章六、七節。(文)

そして、わたしが今日命じているこれらの言葉をあなたの心に置かねばならない。あなたはそれを自分の子に教え込み、家で座る時も、道を歩く時も、寝る時も、起きる時もそれについて話さねばならない。

申命記6章6,7節。(新)

 いかがですか、

 この命令が人々に出されたのは西暦前1473年の事であり日本の歴史では縄文時代前期の時代です。

 古代イスラエルでこの命令が出され、人々がそれを守っている限り平安、祝福は限りなく続きました。

 この事から何を学ぶ事が出来ますか。

 親として真っ先に満たさなければならない条件として、子供の誕生の可能性を知らされたその日から、もっと早く言えば結婚したその日から子供の養育の費用を計算して置かなければなりません。

 そして、教育の基礎をも備えて行くべきです。

 この事は単に学歴志向の子供を育てる事とは異なり人間として、大人への成長段階に於いて、その都度における親の責務と考えるべきです。

 子供はなぜ?どうして?と矢継ぎ早に質問してきます。

 あなたも子供時代にきっとそのような質問を親に繰り返し訊ねていたのを思い出す事でしょう。

 あなたの親がその時どのように答えたかによってあなたの子育てに多少の影響を及ぼすに違いありません。

 もしあなたの親が商売でもしていて一日中手を離せず(あとでね、うるさいわね)などの返事がいつも返ってきただけであれば、あなたの大切な質問はすべて答えの得られないまま大人へと成長し、子供の質問は取るに足りないものだとの間違った印象を育ててしまう事にもなります。

 同じ思いをあなたの子供が持つ事のない為にはどんなに小さな、ほんとになんでもないような質問でも親切に一人の人間として答えてあげましょう。

 これらの言葉を・・これは西暦前1473年に古代イスラエル人に対し律法契約が与えられた時に出された命令です。

 現代的に解釈する事に致しましょう。

 あなたは子供たちにどんな事を教えておられますか。

 交通量の多い横断歩道を渡るときには必ず信号が青になり、右と左を見て安全である事を確認した上で手を上げて渡る様に注意しておられると思います。

 同じように子供の成長に従いその年代に応じて法律に従う事の大切さを教え、その結果平和に生活できる事を納得出来るように説明しなければなりません。

 家で座る時にも・・家で座る時にどのように子供を教える事ができますか。

 今日多くの家庭ではテレビが主役となり、家族の会話はほとんど途切れているかと思われます。

 しかし、この文明の利器を通して教育する事も出来るのです。

 勿論単なる娯楽番組やスポーツ観戦で大声を出して応援するだけであれば核家族のそしりをまぬかれる事はできません。

 それで、番組を選ぶ事が大切です。

 子供の発育に応じて音楽や体操など子供を夢中にさせるものが次々と放映されているので注意深く選びましょう。

 情操教育に役立つものが沢山あります。

 歴史探訪など、より高等な学力、幅広い知識を充足させる番組も毎週のように放映されています。

 それらを通して家で教える事が出来ます。

 しかし、お父さんであれば大工仕事、ちょっとしたプラモデル製作など子供と一緒に楽しむ事も出来ます。

 お母さんであれば毎日の家事を楽しく教え、子供が大きくなると料理の先生になりたくなるように興味深く扱う事が出来ます。

 一寸した裁縫などもできるように教える事が出来ます。

 又、お友達を連れてきてお菓子作りに挑戦するのもきっと楽しい思い出を作る事になります。

 家で教える事はまだまだ沢山あります。

 道を歩く時にも・・これは大切なことです今日通勤や通学にはマイカーを利用してとても時間短縮が出来ています。

 わたしの幼少時代には自家用車など見た事もありません。

 街中を走る車はトラックかバスやタクシー位でした。

 そのバスやタクシーも木炭車で煙を吐き出し、坂道になるとお客さんが車から降りてみんなでバスやタクシーの後ろから押してあげなければなりませんでした。

 そのような時代には家族みんなでバス停や鉄道の駅までかなり長く歩き、道々で父や母が草花の種類で食用になるもの、薬草になるものなどを教えてくれました。

 ホタル狩りを一緒に楽しんでいるときには点滅していない明りは蛇がいるので近寄ってはならないと注意された事もあります。

 今の時代にはあまり見ることのできない情景かもしれませんが、これこそ、子供を教えるとても良い機会である事を認識する必要があります。

 これと同じ事は今でも公園を散歩する時に、又少し遠くの山や海に家族でレクレェーションを楽しむ時に行う事が出来ます。

 それは子供達にとって大切な思い出となります。

勉学  (子供に)

 勉。私の経験ですが、クラスの担任が小学卒業記念として一人一人に色紙を書いて下さりました。

 最初先生は私達が希望する言葉を書いてあげると言う事でしたので私は七転び八起きで人生どんなに失敗があろうと何度でも起き上がる事が出来るようにとの思いでこの言葉を希望しました。

 しかし、先生は私の素質をもっと伸ばす為に次の言葉がふさわしいと考えられたのでしょう。

 (勤勉)

 この言葉が色紙に書かれているのを見た時、十二歳の私の心は揺れ動きました。

 クラスの仲間達はそれぞれ自分の希望する言葉が書かれていたのでとても喜んでいます。

 その友達が私の色紙を覗き込み、検便と発音したので何も知らない同級生達は一斉にはやし立てる事になりました。

 その事はそれで恥ずかしい思いもありましたが一番私が裏切られた気持ちを持ったのは先生です。

 どうして、最初から生徒一人一人にふさわしい言葉を贈りますといって下さらなかったかという事です。

 また、どうしてもわたしの為に勤勉がふさわしいと思われたのであれば事前の説明をして欲しかったと言う事です。

 このような事態にあなたはどのように対処する事が出来ますか。

 次の言葉が助けとなります。


コメントを投稿