最高の自分を引き出す-『意志力』
今回のブログでは、“スタンフォードの奇跡の教室”で有名なケリー・マクゴニガル(心理学者)が教えている“意志力”について、想いを巡らせてみたいと想います。
ケリー・マクゴニガルの『最高の自分を引き出す法[DVDブック]』を参考にしながら、“イエス-道”の視点からも人の“意志力”というものを今回は観ていきたいと考えているわけです。彼女の科学的な分析も加えての心理学的アプローチで行き着いた結論と、“イエス-道”が説いている教えとの類似点も見えてくるので、とても興味深いものがあります。
“最高の自分を引き出す”ためには、自分の“意志力”というものを上手に活用していかなければならないようなのです。
今回のテーマは、聖書の中でも取り扱われている重要なテーマでもあります。特にローマ人への手紙7章で、使徒パウロが“意志”の問題そのものに真剣に取り組んでいる様子が見受けられます。
「わたしの内に、すなわち、わたしの肉の内には、善なるものが宿っていないことを、わたしは知っている。なぜなら、善をしようとする意志は、自分にあるが、それをする力がないからである。すなわち、わたしの欲している善はしないで、欲していない悪は、これを行っている。もし、欲しないことをしているとすれば、それをしているのは、もはやわたしではなく、わたしの内に宿っている罪である。そこで、善をしようと欲しているわたしに、悪がはいり込んでいるという法則があるのを見る。すなわち、わたしは、内なる人としては神の律法を喜んでいるが、わたしの肢体には別の律法があって、わたしの心の法則に対して戦いをいどみ、そして、肢体に存在する罪の法則の中に、わたしをとりこにしているのを見る。わたしは、なんというみじめな人間なのだろう。だれが、この死のからだから、わたしを救ってくれるだろうか。」(ローマ人への手紙7章18節~24節)
これから分かるように、意志の問題というのは、自分の意志が望んでいる善をしないで、逆に、自分の意志が望んでいない悪を行ってしまうという問題にいかに対処していくかということ、また、心の法則に罪の法則が熾烈な戦いを挑んでくるという問題をどうやって納めていくか、その答えを見つけていくこと。言い換えれば、意志力というものを窮めていこうとすることは、救いがどこにあるのかということを探究することでもあります。人の意志力というものを真正面から取り組むことをせずに、素通りしてしまうと、真の救いというものも見えてこないのではないか・・・と、私は想うわけです。
人の意志力がキチンと働いていない時には、その人の信仰は“依存的な信仰”になってしまうのが落ちで、“成熟した信仰”へと発展していかなくなってしまうのではないだろうか・・・と、私は危惧するのです。また、意志力が正常に作動していない状態で、がむしゃらな信仰生活を送っていこうとしている人の心の中では、絶えず葛藤や欲求不満や不平不満などが渦巻くことになります。意志力と信仰が、共に一体となって働くことこそが重要なのです。
人間が抱えているそのような“重大な問題”に、私たちはこれから挑もうとしているわけです。この問題に対する答えは一体どこにあるのか・・・それを見い出そうとしているわけです。今回のブログで書こうとしていることは、意志力を作動させていくためのコツは、一体、どこにあるのかということについてです。
中島美嘉が歌う『WILL』
ところで、中島美嘉が歌う『WILL』というナンバーがあります。皆さんもご存知かと想います。この歌詞の中で、3回繰り返されるフレーズがあります。それは、
“運命の支配ではなくて 決めていたのは 僕の「WILL」”
という箇所です。私はこのフレーズを以前から注目していました。
運命に支配されて生きていく人生は、むなしいもの。それは、自由を生きているというよりは、何かに流されて生きているということ。何かに囚われて生きているということ。喜びも生まれてこないかも。生き甲斐というものもない・・・と想うのです。
運命に翻弄されて人生を生きるのではなく、むしろ、自らの意志(=WILL)で自分の将来の人生を動かしていく、人生を決めていく、人生を切り開いていく、人生を創造していく・・・そのことのために、実は、人生というものが与えられている・・・・・私は、そのような気がします。
ケリー・マクゴニガルは、「意志力というのは、もっている人ともっていない人がいるというような性質でもなければ、美徳でもなく、脳と体で起こる現象である」(『最高の自分を引き出す法[DVDブック]』の29ページ)と述べています。
従って、自分の意志の力を発揮できる状態とできない状態の違いを知っておく必要があるわけです。そして、ケリー・マクゴニガルによると、心拍数数や呼吸などの数値を測定していった結果、前者が『休止・計画反応』の状態であり、後者が『闘争・逃走反応(=ストレス反応)』の状態であることであることが突き止められているというのです。従って、意図的に心拍数を下げ、呼吸を遅くするような体の状態にもっていくこと、睡眠を取って脳を十分に休めておくこと、血糖値を一定レベルに高めておくことは、意志力を発揮することにおいて役立つというのです。
先ほど引用した使徒パウロの言葉に、「善をしようとする意志は、自分にあるが、それをする力がないからである。・・・」とありましたが、人に与えられたその“意志力(=Will Power)”の重要性をキチンと認めて、それを発揮させていくということが自らの人生を生きていくにあたって必要なのではないか。信仰を強調するあまり、意志力の重要性が見失われてはならない・・・、ただ信じればいいんだということではない・・・と、私は想うわけです。
意志力における3つの力
ケリー・マクゴニガル(スタンフォード大学の心理学者)は、意志力には3つの力があると述べています。
(1). ‘I Will’ power (やる力)・・・大きな視野で物事を見て、長期的な目標を見失わずに、たとえ困難であっても、こうしてよかった、とあとから思えるようなことをするための力。脳の前頭前皮質の左側の部分が、このような『困難なことを行なう力』を司っているというのです。この脳の部分が働くと、私たちはやる気を起こし、難しくてもやってやろう、という気になるというのです。
(2). ‘I Won't’ power(やらない力)・・・一方、脳の前頭前皮質の右側の部分は、誘惑に抵抗するという重要な役割を持っているという。たとえ体じゅうが誘惑に負けて目の前の快楽に走ること望んでも「イエス」と言おうとしても、脳のこの部分はきっぱりと「ノー」というのだそうです。自分自身がよくない方向に傾き、自己破壊的な行動に走りそうになった時に、「ノー」という力なわけです。
(3). ‘I Want’ power(望む力)・・・これは、気が散ったり、誘惑に出会ったりしても、自分が本当に望んでいることを忘れない、「望む力」というわけです。この力は、常に自分にとって大事な目標を忘れず、こういう人生にしたい、というビジョンをはっきりと思い続ける力であって、「やる力」や「やらない力」と勝るとも劣らない重要なスキルであり、力であると、ケリー・マクゴニガル博士は述べています。
そして、彼女は“意志力の科学”というスタンフォード大学の講座で、「最高の自分」を引き出すために知っておくべき“5つの考え方”を紹介しているというのです。その具体的な内容に関しては、直接『最高の自分を引き出す法[DVDブック]』などを読むことをお勧めします。この本を読んだり、付属のDVDを観たりすると、科学的な裏付けのある幾つかの貴重な情報に触れることができます。
では、これから、ケリー・マクゴニガルが述べていることの中で、特に私が注目している点について取り上げて、そこに想いを巡らせていきましょう。それは、『イエス-道』における核心部分とオーバーラップする点、あるいは、共鳴する点でもあるのです。
自分に思いやりをもつ
ケリー・マクゴニガルは、「自分を批判したり恥に思ったり、罪悪感を抱いたりするよりも、自分に対して思いやりをもったほうが、はるかに自己コントロールを発揮することができる・・・。実際、罪悪感や恥の意識や自己批判のせいで自己コントロールが弱くなることはあっても、強くなることはありません。自分を許し、自分の抱えているストレスや苦しみ、そして自分の弱ささえも受け入れることで、私たちは強くなれるのです。」(『最高の自分を引き出す法[DVDブック]の75~76ページ)と述べて、喫煙に関する“拷問テスト”についての実験結果を紹介しています。実に興味深い内容です。
ケリー・マクゴニガルは、80~83ページの中で、次のように述べています。それは、意志力を強化する方法の一つは、自分に思いやりをもつようにすることだというのです。つらいことがあったら、自分への思いやりをもってじっと見つめる。自分に対する思いやりをもちながら、自分の感じている欲求や苦しみにじっと注意を払っていく。自分の欲求を素直に受けとめてじっと見つめながらも、思いやりをもつ。
このように、ストレスに対して、自分に対する思いやりをもって対処していくと、ストレスや欲求に関連する領域の活動が鈍くなり、さらに重要なことに、ストレスや欲求に関わる脳の領域と、欲求に反応して行動を起こさせる脳の領域との連絡が、途絶えることがわかったというのです。このようなことが、科学的に検証されたというのです。
また、自分に思いやりをもった時に、意志力が深く関係している前頭前皮質が働くようになるとも述べています(88~89ページを参照)。自分の失敗を恥じたり、罪悪感を抱いたりすると、意志力が奪われてしまう。しかし、自分に思いやりをもてば、それと逆のことが起こるというのです。
このように、自分に思いやりをもつことが、意志力を強化することに繋がることを科学的にも裏づけつつケリー・マクゴニガルは述べているわけですが、『自分に思いやりを持つ』ということはとても大事なことではないか・・・と、私も想います。
『自分に思いやりをもつこと』(これは、英語では“self compassion”となっていますが)は、ケリー・マクゴニガルが述べているノウハウの中で最も重要なものであり、注目に値すべき点ではないか・・・と、私は観ているのです。
この『自分に思いやりをもつこと』ということは、表現を換えて言うと、どういうことなのでしょうか?
実は、これは当ブログでこれまでずーっと一貫して述べてきた『自分をさばかないこと』と内容は全く同じことなのです。『さばかないということ』は、『寛容の愛を持って自分をあるがまま認めて、優しく包み込むようにして受け入れていくこと』です。
ところで、この『さばかないこと』を実践していくことは、簡単なように想えますが、実際は結構難しいことかも知れません。これまで、あまりにも“さばくこと”に人は慣れ過ぎてしまっているからです。
人が“さばく”生き方から『さばかない』生き方を移行していくためには、まず、“さばくというプロセス”の実体、正体、メカニズムをよく知っておく必要があります。では、それはどういうことなのでしょうか?
ケリー・マクゴニガルは「意志力の科学」の講座で、以下のように述べていることは、とても興味深いことです。
「科学者になったつもりで考えることです。科学者は実際に起きている現象を、偏見をもたずに好奇心をもって観察します。物事がどのような仕組みで働くかにとても興味があり、自分自身でさえその興味の対象になります。みなさんも科学者になったつもりで自分自身をじっと観察し、どういう仕組みになっているかを解き明かしてみましょう。理解を深めるにつれ、その仕組みをうまく利用できえうようになります。自分自身を対象に意志力の実験を行っていると考えれば、新しい考え方や行動のしかたを色々試し、その結果を観察することができます。」(95~96ページ)
「また、私がいつもお勧めしているのは、自分のさまざまな側面を知ることです。・・・・私自身の経験からも言えることですが、あまり感心できないようなことをしようとする自分も含め、色々な自分を理解するうちに、もっとほかにどんな側面があるのか知りたくなります。そうやって自覚を深めるほど、どんな自分になるかを選択できるようになるわけです。」(96~97ページ)
今、引用した内容というのは、まさにイエスが山上の説教の中で説いた「さばくな」という教えの核心を突いている・・・と言えます。自分自身を“さばかない”ということは、『善悪という固定観念』で自分を批判したり、非難したり、レッテルを貼ったりせずに、むしろ自分の様々な側面を知ろうとすること、あるがままの自分を観察していくこと、認めていくこと、理解していくこと、包み込むように受け入れていくことを意味しているのです。そのようなことをやっていくにつれて、自分の目にある“梁”が取り除かれていって、現に起きている物事や現象の背後にある道理や仕組みがハッキリと観えるようになり、自ずと解き明かされていくようになります。そして、意志力というものがフルに発揮されていって、自らしかるべき選択をして、自ら答えを見つけていくようになります。これが、“依存”と“意識の退化”とは真逆の“自立”と“意識進化”へとシフトしていく道と言えるのです。
このために、当ブログでは“さばくこと”と“さばかないこと”のメカニズムや仕組み、プロセスというのはどういうことなのかについて様々な角度から光を当てて、解明しようとしているのであり、そして、解ったことを皆さんにもぜひお伝えしたい、あるいは、シェアーしたいと想っているわけです。
(2月23日〈火〉22:50更新)、(2月24日〈水〉21:20 補足して更新)(2月27日〈土〉20:15更新、2月28日〈日〉23:09 補足更新)(3月1日〈火〉0:07 補足更新)(3月3日〈木〉22:47更新)(3月6日〈日〉6:03 補足し改訂更新)
・・・・・・“最高の自分を引き出すー『意志力』(その2)”に続いています・・・・・・
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