先月18日に「againシャネルファイブ」と題したライブへ行った。高校の同級生3人もメンバーのプロバンドだ。again=“復活”と時の流れを越えてのagainと
そのライブへ同級生が誘い合って応援に行った。サイドギターのU君、パーカッションのN君、もう一人K君がいるはずだが行方が分からず残念だ
STVラジオの喜瀬ひろしアナウンサーが司会進行で楽しい時間をみんなで共有化した
その模様をブログに載せた後、U君から「バンマス(幸斎たけしさん)がライブの記事とか検索していたら、おまえの記事を見つけてなんか絵も字も温かい。一度会いたいって行ってるぞ。機会作るから・・」と
その日が昨夜(9日)地下鉄円山公園駅近く裏参道のイタリアンレストランで実現した
この「むにゅむにゅむにゅ・・」は先月のライブで会ったのが2度目かと?
話したのはこの日初めてだ
あの頃のシャネルファイブってこんな・・・みんな若い
幸斉さんご夫妻、メンバーのえつおさんご夫妻、レッスンを受けているお弟子さんら10人での会食・・・スパゲッティやピザを食べながら、今までU君も一緒にいながら知り得なかった“初公開”話など会は楽しく盛り上がった
ブログの過去記事はこの「むにゅむにゅむにゅ・・」より知っていたことには驚いた
孫と奥尻島で絵日記を描いたことの記事から、幸斉さんの奥尻島青苗を訪ねたこと、知床羅臼のこと。羅臼に“幸斉湾”って場所があるそうだ?? 勝手に命名するほど惚れた場所で何年も続けて訪ねていると。友人もたくさん待っていてくれるしって・・
この「むにゅむにゅむにゅ・・」の古里にも縁があると聞き、急に距離が近くなったことを感じた
少し情報提供
1.幸斉たけし・・原みつる→平田満→幸斉たけし(現在作曲家)
かつて放送禁止だった「484のブルース」は有名(作詞・作曲)
①作品記事紹介②新沼謙二(雪の川)・・他にもたくさん紹介されている
2.原みつるとシャネルファイブ
1971年(昭和46年)「稚内ブルース」でデビュー
N君(先月にもライブで・・)とキーボードのデュオを聴きながらリッチな夕食会だった
U君に「七つ道具忘れるなよ!」って念を押されて・・・しかしデジカメがリュックに入っていない。携帯電話のカメラを代用してのショットに
“マルコメ”に“鼻ひげ”のU君・・こんなイメージだ。みんなで見て大笑い
N君デュオのミニミニライブ、そして“お地蔵さん描き”ミニミニライブ・・と楽しい金曜の夜だった。U君を通して幸斉さんに招待いただきいっぱいご馳走になった
幸斉さんらにあいさつをしてU君と連れ立ってJR札幌駅へ