碧川 企救男・かた のこと

二人の生涯から  

米子生まれの名優 乙羽信子 ⑫

2011年08月31日 13時36分32秒 | 乙羽信子

 ebatopeko

  

 

       米子生まれの名優 乙羽信子 ⑫

 

    (女の園の嫉妬)
    
  (はじめに)

 映画俳優「乙羽信子」は、あまり知られていないが鳥取県米子生まれである。乙羽信子は言わずと知れた昭和の名優で、映画監督新藤兼人の妻であった。

 彼女の生涯を『どろんこ半生記』(「人間の記録38、日本図書センター」江森陽弘による聞き書き。底本は、『どろんこ半生記』昭和56年、朝日新聞社)をたどってみる。

 新藤兼人『愛妻記』(岩波書店、1995.12)、新藤兼人『ながい二人の道』(東京新聞出版局、1996.8)も参考にした。

 

  (以下今回)

 その人が訪れたころ、乙羽信子は舞台稽古できりきり舞いであった。宝塚の二階が衣装部屋であった。三階が大部屋で、そこには向かい合って並ぶ化粧台が何列もあった。化粧台には白粉、口紅、とのこ、粉白粉、ぼたん刷毛、大小の板刷毛、頬紅、紅筆、眉筆、水入れなどが雑然と置いてあった。

 乙羽信子が舞台を踏んだころは、男役はとのこをきかせ、女役は白粉を主に使っていた。脱衣篭があって、着物や袴をきちんとたたんで入れた。これが乱れたりすると上級生に叱られた。

 乙羽信子らはもちろん大部屋の住人であった。狭い化粧台の列の間を、体をはすかいにいながら、せわしく往き来した。この大部屋の奥に、組長や最上級生の別室が二つほどあった。ここで、春日八千代さんたち幹部が、悠然と化粧していた。

 宝塚というところはおかしな世界で、仮に下級生の中から、どんなスターが出ても、また上級生の中に、端役しかもらえない人がいても、部屋は「年功序列」であった。

 越路吹雪さん、月丘夢路さん、そして乙羽信子も同級生の中では比較的早くラインダンスに加わらせてもらったが、部屋は他の同期生とまったく同じであった。

 「ラインダンス」は、今でこそ新人の群像という感じだが、あのころは下級生でラインダンスの一員になるというのは大変な抜擢であった。「加治君、ラインダンスに入って!」といわれたときは、胸がときめいたものであった。

 この胸のときめきも、一瞬、クラスの人たちの冷水のような視線で消された。宝塚は美しい「女の園」であったが、「妬心のるつぼ」でもあった。そねみ、ねたみ、ひがみが陰湿にくすぶっている世界であった。

 女役のくせに妙に男っぽい性格の乙羽信子は、気にしない方であった。それでも眠れない日もあった。「なによ、ひょろひょろした青びょうたんのくせに、役をもらって」とか、「先生らの生徒を見る目、おかしいのとちゃうやろか」などと陰口をたたかれた。

 ラインダンスは、全員が列をなして同じ踊りをする。しかし、群舞というのは、一ヶ月くらいやっていると、少しずつズレてしまうことがある。振り付けの先生が「ここで回りましょう」といったところで、上級生が間違って半テンポ早く回ったことがあった。

 乙羽信子は、先生に教えられた通り、テンポを狂わさずに踊った。しかし、他の人たちは、その間違った上級生に合わせて半テンポ早く早く回るから、乙羽信子だけが間違ったように見えた。

 「オカジって、融通がきかないんだから」と、上級生にいわれたものである。

 このような小さいことが「女の園」を駆けめぐると、とんでもないほどの大きな話になり、「乙羽信子がミスをした」となって返ってきた。

 東京公演などに行ったときなど、男性ファンとどこかに行ったとか、高価なものを送られたとか、たわいのないウワサを流された。ノイローゼになって、演技に身が入らないこともあった。

 乙羽信子に男性ファンがいたのは事実であったと自ら認めている。喫茶店でお茶を飲んだこともある。しかし、そんなときはいつも東郷晴子さんを誘った。

 上級生に取り入っていると言われたこともある。先生にヒイキされていると誹謗されたことも数限りない。

 中傷に神経質になったのは一時期であった。中傷や誹謗には「沈黙」が最良の対策だと乙羽信子は気づいた。黙々と演技の勉強をすること以外にないと思った。

 これらはすべて「女の嫉妬」にほかならない。女同士の嫉妬は、それを伝え歩く者が絡まったりして、人間関係をいっそう複雑にする。しかし、「女の嫉妬」が一つの刺激になって演技を磨いていくのであろうと彼女は思った。

 中傷におさまらず、もっと酷いことをする人もいた。

 あるとき、舞台が開いたそのとき、「私のシューズ!」と、同級生の一人が血相変えて大声で探し回っていた。その人のトウシューズがなくなっていた。トウシューズというのは、本人のものでないと絶対と言っていいほど使いものにならなかった。

 結局、その人はシューズがないため舞台に出られなかった。この事件を知った先生や上級生は、犯人探しにやっきとなったが、ついにわからずじまいだった。盗まれた人は成績優秀であったため、他の同級生から妬まれたのであろう。

 こんな事件は一年に何回かあった。

 何日かしてから、盗まれたトウシューズが出てきた。トイレの汲み取りに来たオジサンが汚物の中から、変色してよれよれになったトウシューズを発見したのであった。 



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