碧川 企救男・かた のこと

二人の生涯から  

明治の山陰の文学巨星 「杉谷代水」 (44)

2016年11月03日 14時10分42秒 | 杉谷代水

 ebatopeko


 

    明治の山陰の文学巨星 「杉谷代水」 (44)


 

 今や忘れられつつある、鳥取の明治文学巨星「杉谷代水」について思い起こしてみたい。参考にしたのは、杉谷恵美子編『杉谷代水選集』冨山房、昭和十年(1935.11.12)、山下清三著『鳥取の文学山脈』(1980.11.15)、鳥取市人物誌『きらめく120人』(2010.1.1)などである。直接図書館などでのご覧をお勧めします。 

          

  杉谷代水愛嬢佐々木恵美子 『妻の文箱(ふばこ)』 
 

 

  (前回まで)


 平成12年(2,000)六月、杉谷代水の愛嬢佐々木恵美子は、ペンと筆によって「妻の文箱(ふばこ)」をまとめた。

 これは、杉谷代水が妻の壽賀などに宛てた手紙、葉書の保存されたもので、母壽賀が大事にしていたのを平成12年(2,000)に愛嬢の恵美子がまとめたものである。


   杉谷代水は明治四十四年(1911)十二月、宮田脩氏の媒酌により粟田壽賀子を迎へ逗子に新家庭を作り長女恵美子をあげた。父母はこの初孫をよろこばれたという。

 しかし、結婚生活もわずか三年に満たない短さで、病は篤く覚悟をしていた彼は家族を枕頭に集め、遺言をなし、静かに合掌しつつ永遠の眠りに入ったのであった。

 

 生前、杉谷代水は妻の壽賀などに対して宛てた手紙や葉書などをマメに送った。 
 
 このペンと筆による「妻の文箱」が、本という形を取っていないが、愛嬢によってまとめられていた。杉谷代水の生誕の地、境市立図書館にあることを知り、閲覧した。残念ながら印刷されていず「禁帯出」である。

 それを貴重なものであるので、次に紹介したいと思います。


 愛嬢の佐々木恵美子はあまり知られていないが、戦後まもない昭和26年(1951)から昭和39年まで13年間つづいた長寿ラジオドラマで、ラジオ東京の開局ドラマ「茶刈夫人と宇刈夫人」の原作者の一人であった。

 ドラマの内容は、茶刈夫人と宇刈夫人そして両家をめぐる町内会の動きが、「横山エンタツ」、「柳家金語楼」、「清川虹子」、「森繁久彌」らを交えた交流が実に楽しいものであったという。


 映画化もされ、新東宝から翌年に渡辺邦男監督のもとで「チャッカリ夫人とウッカリ夫人」の題名で製作された。俳優陣は、久慈あさみ・田崎潤・折原啓子・田中春男などであった。

  テレビドラマとしては、「チャッカリ夫人とウッカリ夫人」として1965年から一年間放映された。出演は佐伯徹・姫ゆり子・藤田圭子などであった。
                      


 この文も、明治7年生まれの代水の文も、難しい言葉を使っておられるので、( )に読みと意味を記した。

 

        < まえがき >

 旅先からとどく良人(おっと、主人のこと、妻のことを指す場合もある)の手紙、妻にとってはとてもうれしいものと思います。

 父は筆まめに絵葉書や手紙を出したようで、母の唯一の宝物。九十五才の天寿を全うすまで、遺品の中に大切にしまわれておりました。

 父は又、母の実家へも事につけ音信し、即ち義父(私の母方の祖父)も亦(また)これを大切に保存してくれましたので、母は自分のと両方束ねておりました。

 絵葉書はかって見せてもらった記憶がありますが、手紙ははじめて読みました。

 義父宛は丁重な候文(そうろうぶん、注:日本語のうち中世から近代にかけて用いられた文語の文体のひとつ。文末に丁寧の助動詞「候」を記した文である。歴史的仮名遣いでは「さふらふ」と記す。意味は文末にくる「ます」の意)

 妻宛はくだけた口語体の使いわけも興味深く感じました。

 本来私信は公開しにくい場合もありましょうが、内容は家族、身内の祝い事、招待、礼状など、さしつかえないものばかり、父と永別した時、私は満二才に満たず、何の記憶もなく、この手紙で、両親揃った温いわが家を彷彿(ほうふつ、注:ありありと思い出すこと。はっきり脳裏に浮かぶこと。またそのさま)としのぶことができました。


  (以下今回)


 古いものはいつかは散逸するもの。一冊にまとめて、身内・知己(ちき、知り合い)にくばり、どこかで持っていただけたらと幸いと思います。

 父のあまりにも早い他界、文筆の仕事も、家族のことも、さぞ心残りだったでしょう。

 その後母は実家に身を寄せ、生計の為種々仕事を求め、社会事業に働き、私も長じて就職。

(父が勤めた冨山房書肆(ふざんぼうしょし、冨山房は明治十九年に設立された大手出版会社である。杉谷代水は生前この会社につとめ、死後20年を経て『杉谷代水選集』を出版した。書肆とは書店、本屋のこと。昔は書店をこういった。肆とは横に並べて見せ物にすることをいう)。

 二人とも働き蜂になってしまいました。その傍(かたわ)ら私も文筆に志し、女がそんなことをすると縁遠くなると言われた時代です。

 幸いにも理解ある人に結ばれ、父にはおよびもつきませんが、其の道に進み、あの世の父は、ハラハラしたりホッとしたりの連続でしたでしょう。



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