今年知り合ったT美さんは半分中国人だ。3歳から20歳まで、毛沢東支配下の中国で育っている。
初めて日本に帰ってきて仕事をした時、社長のことを「おっちゃん」と呼んだそうだ。
当然社長と言う概念は資本主義社会のものだろう。
ずっと中国語の通訳をし、最近は時々株もしている。すっかり資本主義社会になじんでいる。
竹中平蔵の「経済とはそういうことだったのか」という本を先日プレゼントした。
昨日あったら、その日本語について質問が来た。
「アメリカをアメリカたらしめるもの」という表現の意味を求められた。
英訳したら「the things which have made what you call America America」というあたりでmakeを使う。日本語で言うと「アメリカをアメリカらしく特徴づけているもの」と言ったら「使役が入っているのね」と返事がきた。
「アメリカをアメリカたらしめるもの」
「アメリカをアメリカならしめるもの」
「アメリカをアメリカたらしむるもの」
「アメリカをアメリカならしむるもの」
ちょっと日本語の電子辞典を持参していたので「なる」「たる」を押してみた。近いのは「足る」「成る」・・・でも何か引っかかる。
元日本語教師として、意味だけでなく文法説明をしたくなった。その結果を以下に記す。
(1)アメリカ/ (2)たら/(3)しめる/(4)もの
角川古語辞典の登場となった。
(2)「たら」は体言接続する断定の助動詞「たり」の未然形
(3)「しむる」は未然形接続する使役の助動詞「しむ」の連体形「しむる」
しむ: 助動詞(下2段活用):「す」「さす」に先行する奈良時代の使役の助動詞、とある。あまりに古いので、他の組み合わせも検討したが、これに間違いはない。古くからの用法が特別長く現代にまで生き残ったものだ。
角川国語辞典によると
古語の「しむ」は現代では下1段活用の助動詞「しめる」と変身していて、同じく未然形接続する使役の助動詞、と紹介されている。
「しめる」はこの場合連体形である。
これですっきりした。連体形・体言に接続する断定の助動詞「なり」も「たり」とほとんど同じ役割をすることを付け加えておく。
追記:
「たり」にはもうひとつ連用形に接続するラ変活用の完了の「たり」がある。
そういえば大昔、日本の和歌を助動詞を中心に時間の概念を用いて分析した文章を書いたことがあった。そのときの記憶なのだが、現在の、過去の助動詞「た」は古語の完了の助動詞「たり」からきている、それだけでなく古語の過去・完了の助動詞は(「き」「けり」「つ」「ぬ」「り」など)全部この「た」に収束された、ということだった、のを今思い出した。
現代語で「た」が酷使されていること、とか時間表記が少なくなったこととか、これから書いていく上で重要なことを思い出させていただきました。