前回と同じBlogから「同格辞の処理」について。
付け加えて何か書く必要の無いほど、完璧な解説なのだが。
「同格辞の処理}
思えば長い間予備校で「英文読解」のクラスを担当してきた。
読解のポイントやらは、箇条書きに出来るほど、整理して教えることが出来るし、どんな問題でも、何に着眼すれば容易に解けるかを、教えることも出来る。一見難解な文章ほど、どこが狙われ出題されるかは、ある程度限定されているからだ。
しかし、この文章は英文読解では有り得ない。
Gourmand, j’ai été sobre ; aimant et la marche et les voyages maritimes, désirant visiter plusieurs pays, trouvant encore du plaisir à faire, comme un enfant, ricocher les cailloux sur l’eau, je suis resté constamment assis, une plume à la main; bavard, j’allais écouter en silence les professeurs aux cours publics de la Bibliothèque et du Muséum ; j’ai dormi sur mon grabat solitaire comme un religieux de l’ordre de Saint-Benoît, et la femme était cependant ma seule chimère, une chimère que je caressais et qui me fuyait toujours ! Enfin ma vie a été une cruelle antithèse, un perpétuel mensonge. (La femme sans cœur)
「[元来]食いしんぼうだったのに、飲食を節し、旅行や船旅が好きで、外国をいくつも訪ねたいと思ったり、また、小石で水切りをして喜ぶといった子供みたいなところがあったのに、いつもペンを手に机に坐っているのだった。[かつては]おしゃべりだったのが、国立図書館や博物館の公開講座に出席して、教授の講演に静かに耳を傾けた。まるで聖ブノワ会の修道士のように、粗末なベッドの上にひとりで寝ていた。だがぼくの空想の中にあるのは、やはり女だけだった。とらえようとすればいつも逃げていく女の幻を抱き続けるのだった!要するにぼくの生活は、一つの残酷な矛盾であり、つねにみずからを偽るものであった。」(つれなき女)
ここに着目ですよ、とマーカーで線を引かせるのは、Gourmandとbavardだが、英語にはこういう形容詞の働きは無い。
Gourmandと対峙するのは、j’ai été sobreではあるが、その対峙を別の角度から説明したのが、aimant et la marche et les voyages maritimes, désirant visiter plusieurs pays, trouvant encore du plaisir à faire, comme un enfant, ricocher les cailloux sur l’eau と je suis resté constamment assis, une plume à la mainの対比だろう。bavardに関して言えば、これ一語で、j’allais écouter en silence les professeurs aux cours publics de la Bibliothèque et du Muséum ; j’ai dormi sur mon grabat solitaire comme un religieux de l’ordre de Saint-Benoîtと対峙させている、なんという荒業なんだろう!et la femme 以下me fuyait toujours !までの文章にはcependantという対峙語があるので、また接続詞のetもあるので、Gourmandやbavardのフランス語の形容詞の作用は及んでいない、と見てよいと思う。英語でもYoung as he isからas he isを省略する用法が無いわけではないが、後続の文章がこう長々と続くことは有り得ない。力学的にも視覚的にも形容詞一語が、長々とした語群と均等でありえるわけが無い、いかにもバランスが悪い。先ほど荒業、と書いたのはそのためだ。つまり、フランス語の授業では、Gourmandとbavardにマーカーで印をつけて、徹底的にこの用法をマスターさせる必要があるだろう。蛇足的に言って置くと最後のEnfin ma vie a été une cruelle antithèse, un perpétuel mensonge.は結論部で、速読の内容理解のためならば、ここだけ読めばいいということになる。
もうひとつ言うと元の朝比奈先生の文章には「その上で、訳者はその対立が同時並行するはずがないことを考えて、枠で示したように、過去の自分と現在の自分との対立であることを強調しようとした。」とある。ここまで来ると学生の仏文読解の範疇を超えている、まさに翻訳者のレベルの実力技である。対立や対峙にはこのように隠れた軸のようなものが常にあって、(たとえば、この場合の「過去の自分」と「現在の自分」のような)そこを炙り出して日本語の文章の中で明快にするのが、まさにプロの読解技なのだと思う。
余計なことを書いて馬脚を現すだけかもしれないが、このような形容詞の用法は、(同格)で説明するよりも(強調、倒置、省略)あたりで文法的解説をするほうが、本来の王道ではないかと思う。少なくとも、学習者にとっては、はるかにマスターしやすいように思う。