言語エネルギー論

言語について考えていることを発信していきたいと思っています。共感と励ましのカキコをお待ちしています。

死について考えること、ありますか?

2014年11月17日 11時15分49秒 | フランス語

全く久々にBlogに戻ってきて最初に書くタイトルがこれ
「死について考えること、ありますか?」

今年の春先から末期がん患者と認定されたのだから仕方が無い。
今回の内容も、どうと言うことではなく、単に私の言語感覚が抗がん剤にやられてしまっただけのことかもしれない。訳には納得なのだが、どうもピンとこない。

死について考えること、ありますか

 La mort est plus aisée à supporter sans y penser que la pensée de  la mort sans péril.
 It is easier to bear death when one is not thinking about it than the idea of death when there is no danger.(A.J.Krailsheimer訳)
「死というものは、それについて考えないで、それをうけるほうが、その危険なしにそれを考えるよりも、容易である。」(前田陽一、由木康訳)

まずわかりにくいのは「それ」「それ」「それ」が多いからだろう。「死」とするほうが文意は明解になる。それと対比を明確にしたい。
そのまえに、一番気になったのは「それを受ける」の日本語だろう。死を受け入れる、の意味なのだろうが、これが「死の恐怖に耐える」を意味するのか「泰然と死ぬ」のか、わかりにくい。「耐える」と「死ぬ」では結果が違う。わたしが、ぼんやりあたまに一瞬なってしまったのは、多分この辺に原因がある。
 
まず上のほうはplus queがあるので、比較の対象を掴めば簡単なはずだ。
○supporter la mort sans y penser
死を考えないで、死の恐怖に耐える、ことは不可能なので、私なら「死の恐怖に怯えないで、泰然と死ぬ」と訳したい。
○supporter la pensee de la mort sans peril
「目の前に死が迫っていないときに、死について考察すること」
どちらが困難かというと、(予想に反して)後者のほうが困難(可能性や頻度が少ない)である、ということだと思うのだが。

下のほうもeasier thanがあるのでこれも比較の対象を掴むことを試みる。構造的には比較の対象はこちらの方がよりはっきりしている。
○bear death (when one is not thinking about it)
意訳になるが「死の恐怖に怯えないで、泰然と死ぬ」
about itのitを死としないで、死の恐怖としたところが、意訳なのだが。
○bear the idea of death ( when there is no danger)
意訳になるが「目の前に死が迫っていないときに、死について考察すること」

結論から言うと「死の恐怖に怯えないで、泰然と死ぬ」ことはなかなか困難のように一般的には思われているが、本当は「目の前に死が迫っていないときに、死について考察すること」が人間によってなされることのほうが、はるかに稀である、と言うような意味ではないかと思う。

死の恐怖は、この世から離れることにある、ように思う。離れて未知のどこかに、消え去っていくこと、自分の人生の強制的消滅にあるような気がする。死ぬに泰然もへったくれもない、これは人知を超えているからだ。「それどころではない現状があり」「あきらめ」もまたある。それに比べれば、「目の前に死が迫っていないときに、死について考察すること」は人間には滅多に出来ないことなのかもしれない。


最初の訳にもどるが「それをうける」と「その危険なしに」のあたりに、訳出上の多少の不完全さがあるように思う。

どう思われますか? 元気な者には
「目の前に死が迫っていないときに、死について考察すること」
はできないし、そんな暇も無いって? 確かに、ごもっとも。



最新の画像もっと見る

post a comment

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。