場末の雑文置き場

好きなことを、好きなときに、好き勝手に書いている自己満ブログ。

トイレの音消し文化への違和感

2019年02月24日 | その他

トイレで自分の排泄音を聞かれたくないあまりに水を二度(場合によってはそれ以上)流したりする人がいるが、わたしはああいうのが嫌いだ。水は大事な資源なのに、そんなことのために無駄に使うなよ。排泄なんて生理現象で誰でもすることで、本来なら恥ずかしいことでもなんでもない。トイレってそのための場所なんだし、そこで何をしているのかはみんな分かってるしお互い様じゃないか。

音姫がないところで水の二度流しをする奴も嫌いだが、音姫のある場所でも二度流しする奴はもっと嫌いだ。音姫使えよ。音姫の音がしっくりこないからだとかそんな理由なんだろうが、知るか。排泄音よりも自分の環境意識のなさを恥じろ。
蛇口をひねったら常に水が出るような生活をしてるから(自分もしてるけど)水がどれだけ大事なものかわからないんだな。トイレを一回流すのにどれだけの水が使われてると思ってるんだ。ああやって水を無駄遣いする奴らの家の水道がしばらく止まる呪いをかけたくなる。

音消し文化が骨の髄まで浸透している人間からすると、水を無駄にしてでも(そもそも無駄にしているという意識もないのかも)排泄音を消すのがエチケットで常識、やらない奴はマナー違反ということになるらしい。高校生時代、みんなが水を二度流す音消しをやっているのをわかっていても敢えてやらずに用を足していたら(ちなみに当時は音姫なんかなかった)、手洗いスペースにいた女子二人に聞こえよがしに嘲笑されたりもした。もう10年以上昔のことだけど、私は執念深いから今でも覚えている。

こういうのを同調圧力と言うんだよな。自分の排泄音を聞かれるのが恥ずかしいと言うならまだマシだが、他人の排泄音を聞くのが嫌だというのは単なる不寛容。
身近に耳の不自由な人がいて、その人が周りから排除されないように音消しの習慣について教えてあげようかな、なんて言っているツイートも前に見たことがあるんだが、これにもモヤモヤしたな。本人は善意のつもりなんだろうけど。こういうのを見て、なるほど、音消し文化は水の無駄であると同時に耳の不自由な人に優しくない文化でもあるんだな、と思った。

最近、この妙な「音消し文化」が女子トイレばかりでなく男子トイレにまで広がっていきそうな気配を少し感じた。排泄音が嫌いだから男子トイレにも音姫を付けてほしい、って男性のツイートを受けて「男ならトイレの音くらい気にしないのが当たり前だというのは抑圧だ」といったような趣旨のジェンダー的視点からっぽい意見を目にしてしまってちょっとゲンナリ。
私も男性に対する男らしさの押しつけにはいつも疑問を感じているし、「小」のときに丸見えになりそうな男子トイレの構造については変えたほうがいいと思っているけど、これは違うんじゃないか。男はそんなこと気にするな、じゃなくて男だから女だからとか関係なく、排泄音を過剰に気にするなということ。こういう人って自分だけじゃなく他人にまで隠すことを強要するような空気を作り出したりするから。

人は排泄の音を気にするのが当たり前、って考えも別の抑圧になっていることにかれらは気づいていないのかな。多分気づいていないんだろうな、当たり前と思いすぎていて。それに合わせないために嘲笑されたことのある私は身にしみてよくわかっているんだが。
あと、男子トイレに音姫が無いのは音消しのために水を無駄に流す輩が少ないからで、それはむしろいいことじゃないのか。音姫がなぜあるのかというと、エチケットのためではない。水を無駄にするのを阻止するための必要悪だ。私も同調圧力に負けて音姫を使ってしまっているけど、本当はこんなもの必要なくなってほしい。

この「音消し文化」は多分日本独特のものだ。海外に行くとそんな事を気にしない人のほうが多数派のようだし、音姫もない。こういう日本人の過度な「慎み深さ」なんて美徳でもなんでもない。それより頼むから水を大事にしてくれ。そして他人の出す音に寛容になってくれ。


この記事についてブログを書く
« 天皇制という人権侵害装置 | トップ | 「魔法使いと黒猫のウィズ」... »

その他」カテゴリの最新記事