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新しい年が明けました。
今年はまたどんなことが待っているのだろう。
昨年を振り返ってみると、単身赴任生活を終えて、多重人格で気分のムラがある連れ合いとまたうまくやっていけるだろうかと半信半疑、自信はほとんどなかった同居再開だった。しかし、連れ合いもいろいろなことで苦労して成長著しく、大きなトラブルもなく(「大きなケンカもなく」とは書けないけれど)、無事大晦日も乗り切った。特に、不思議なことにいつもいつも決まって大晦日に大ゲンカをする”ならわし”だった我が家だが、昨日は互いに「今日はケンカしないでおこうね。」と何度も何度も確認し合い、遂にケンカをせずに0時を迎えた。無事年が変わった時には硬い握手までしてしまった。
今まで、大晦日ごとに大ゲンカをしていたというのは、それなりにわけがあることなんだと思う。
たぶん、推測でしかないのだけれど、私、連れ合い、それぞれの育った家庭が安心できるものでなかったことに由来するのだと思う。
私はと言えば、この歳になっても父親の前に出ると、父親のイライラする様子にハラハラするくせが抜けない。ある人は、「もう力関係が逆転しているのだから、ぎゃふんと言わせてみたら。」と言うが、そんな気も起きないほど、父親には緊張しか感じないようになっている。
連れ合いは、毎度書いているように、身体的、性的虐待をする父親と精神的虐待とネグレクトを巧みに使い分ける母親の元で育っているから、その大晦日もだいたい想像がつこうというものだ。
そんなんで、結婚以来すてきな大晦日を迎えようとすればするほど、大ゲンカしていた。そんなスパイラルから昨年は抜け出た感がある。
また、連れ合いは、とにかく家の家事をするのが嫌いなうつ嫁状態が10年ほど続いていたが、昨年はわりと料理を作ってくれることが多かった。連れ合いは、さすが崩壊家庭で小2から弟のごはんを作っていたというだけあって、一旦作り始めると手際がいいし上手だし、おいしい料理を作ってくれる。そんなこともあり、感謝することが多くあった。
家庭が少しずつ変わり始めた要因の一つに、娘のまー☆さんの自立ということがある。
「子は鎹(かすがい)」とはよく言ったもので、父、母、互いの主張を譲らずに大ゲンカする度に間に入り調整役をしてくれていた娘が、家から離れることになった。
以前から、「自分の進みたい仕事につくのならあの大学。」と決めていたところにみごと合格。中学の3年間ほとんど不登校で、進学できる高校も選択の余地がなかったという立場からの合格だったから、わが子ながらあっぱれであった。
その進路が決まり、家から離れて進学することが決まったことで、父も母も「あ!まー☆さんいなくなったら、二人きりだわ。。。」と思い、互いに二人で問題を解決しようとする気が芽生えてきたように思う。もし本当にそうなら、なんと娘にイゾンしていた父・母だったのだろう。大反省。
そんなこともあり、我が家はもっか、娘の大きな目標を果たすべく、三人で同じ目標を見つめ始めている。そのために、経済的にも時間的にも万難を排して向き合っている。
そのことは、窮屈でもありながらも、とても充実した気持ちを与えてくれる。
今までに我が家に起こってきたことも、今にして思えば、「その時に起きてよかった」と思える。
今年は、我が家の再スタートの年。
だから、というわけではないが、パソコンも再セットアップ、再スタート。
「すべてに 時がある」
ほんとだなあと思える。