函館深信 はこだてしんしん-Communication from Hakodate

北海道の自然、そして子どもの育ちと虐待について

昨日は友人が自殺した日でした

2021-06-15 | 友人の自殺と自分のこと
昨日は友人が自殺した日でした。
今更懺悔とかでもないのだけれど、やはり彼のうれしいこととか、楽しいこととか、美味しいこととか、いろいろなことを体験する機会を、周りにいる人間として取り上げてしまったんだなぁと一日考えていました。






















特に最近、自分はしあわせだなぁ…と感じることが増えてきているのでことさらに彼に申し訳ない気持ちになります。

生きていれば、いいことも悪いこともあるけれど、人生を一つの物語として考えると、しあわせだとか、不幸だとかいうこととは別に、ひとつの物語を表せるということそのものが貴重な大切なことなのではないかと思いました。


私の友人の自殺について関心を持たれた方は、このカテゴリーの一番深いところに、『ボクが「こんなふう」なわけ』という記事を書いています。
読んでいただけたら幸いです。

今日は43年前友人が自殺した日でした

2020-05-25 | 友人の自殺と自分のこと
今日は、43年前、私たちが19歳の時に友人が自殺した日でした。


毎年、この日の前から、暗く沈んだり、いろいろ考え込んだり、自分の責任を思い出したりと、低空飛行になるのですが、今年は、目覚めた時に日が差していたのもあって、なんとなく明るい気持ちで起きられました。会社で日報を書く時に、「ああ、妙木(仮名)の命日だったんだ」と思い出しましたが、今年は沈まず。


それでも一日、なにかにつけては思い出し、考えていました。

コロナ禍の今みたいに、誰も経験したことがないと言われる状況の中を生きていると、若くして亡くなった友人達は、こんな不思議な体験もできなかったのだなぁと少し気の毒に思えてくる。「コロナ禍も知らず、悩みも知らず、あいつらはいいよな」なんて言うつもりは全くない。むしろ、彼らにもいろんな経験をしてほしかったと思う。
その機会を奪ってしまったなと思う。

翻って、自分の身を考えると、今が一番幸せ。

仕事が充実している。
出会う人たちに恵まれている。
たまに出くわすイヤな人も気にならない。

悩みも二つしか無い。

お金のことと、家族の中にいる変な人のこと。
でも、それもあまり気にならない。

今の仕事は、配達。
いろんなところに行けて、気に入っている。
今まで生きていて知らなかった道を見つけて通るのが最高に気分がよい。

朝、軽トラックの荷台いっぱいに積んでいた荷物が、配達していくと、一つ減り二つ減り、最後には荷台が空っぽになるのも気持ちがいい。

配達して、「ありがとう!」と言われると、「ああ、お役に立てたんだな」と嬉しくなる。

いろんなことで満たされている。

きっと、私が死んだ時には、「ああ、いろんな道を見つけて楽しかったなぁ!」って確実に言えると思う。

いろんな経験を私にさせてくれたことを、神様に感謝したい。

友人の命日に、人生を考えてみました。


お願い

このカテゴリーの一番古い記事に、友人たちの自殺とその後の私の人生のことを記しています。
もし興味、関心がありましたら、お読み頂けたら嬉しいです。



愛でたい気持ち…60歳になりました

2018-04-20 | 友人の自殺と自分のこと


過日、60歳の誕生日を迎えました。

誕生日の一週間くらい前から、なぜかそれまでにしてきた、失敗や良くないこと、人を傷つけてきた言動などを次々思い出していました。

聖書の中にある、「罪のない人が、石を投げよ」というたとえを思い出しました。

歳をとるということ、生きるということはどれだけ罪深いことなのでしょう。

でも、ここまで生きてきたことに感謝して、またこれからの人生を生きていきます。


4.5年前に紹介した、重い障害をもつ子のお母さんの詩を、最近よく思い出します。

そのお母さんは言うのです。
息子よ、あなたは重たい障害があって、いろいろな医療機材に囲まれて生活している。けれど、だからといって、いつも同じ部屋で、同じ天井ばかりを見て生活しておてよいはずがない。
世界はこんなに輝いているのだから…


私も最近、そう思います。
いろいろなもの、いろいろな仕事、出会う人たち。
いろいろなものが、愛おしい気持ちです。

この世を去るまで、輝いているこの世界を目にいっぱい焼き付けておきましょう。








あなたの40年目の命日に思う

2017-06-14 | 友人の自殺と自分のこと


今日はよいお天気です。

私は元気にしています。

私は懸命に働いています。

身近な方を亡くした人たちのお役に立てるかもしれない仕事をようやく見つけました。

いろんな人たちに出会って、いろんな景色を見て、それからそちらに向かいます。









私は元気に働いています。



40年経って気付いたこと

2017-06-13 | 友人の自殺と自分のこと


今日の函館は大変よい天気と強い日差しの1日でした。

40年経って、井下くんはこんなに暖かな日もあるこんな陽の長い季節に、自ら命を絶ったのだなぁと、改めてその深い絶望を知り、すぐそばに居た者としての責任を感じ、申し訳ない気持ちになりました。

しかし、明日はまた新たな気持ちで、その命日を迎えようと決意しています。




友人たちの死への経過は、このカテゴリーの一番奥に記しています。
興味を持たれた方は、どうぞお読みになってください。そして、ご自分の人生を振り返る一助としてくださったら、公開している身として、望外の喜びです。

新たな出発の日に- 友の自死から40年

2017-05-25 | 友人の自殺と自分のこと



友の自死から、40年になります。
今年の函館は、あの日を彷彿とさせる霧もなく、晴れ上がっていて、私もやっとトラウマから解放されるのかなぁという希望的な予兆を抱いています。
私だけでなく、ご家族、お付き合いのあった方、親しかった学友たち、多くの人たちが、今日を覚えて生きておられるのだろうと思います。

私は、今年の命日を記念日に書き換えられるようがんばって生きたいと思います。

自由と責任と。。。。退職しました

2017-04-06 | 友人の自殺と自分のこと

3月末をもって、今までの仕事から退職しました。

今後は初心に戻って生きていきたいと思います。

とりあえず自由になった。

責任は自己責任。

経済も自己責任っと。

体、健康も、自己管理。

で、とりあえずあちこちと歩き回って健康増進と。。。

ブログはこれからもどうぞよろしく


今日は井下の日

2016-06-14 | 友人の自殺と自分のこと
今日は井下くんの命日です。

彼は本当にピュアな人でした。

生きていて、家族とか持っていたら、やっぱりいろいろ悩んだのだろう。

一方の生きている私は、薄汚れ、加齢臭いっぱいで、体調悪かったり、喘息に悩まされたりしながらも生きています。
39年も経ちました。
人が死ぬということ、人が生きていくということは、こういうことなんですね。



今年の5月25日は明るく

2016-05-25 | 友人の自殺と自分のこと
今日は、若き日に友人が連絡船から身を投げた日です。
でももう39年過ぎました。だから落ち込まずに明るく1日を過ごそうと思います。
今年は、「まだなんとか生きているよ。悔いを残さないようにやっているよ。」と言えそうです。

だから、港の夕景を。




































今日は井下を思い出す日でした

2015-06-14 | 友人の自殺と自分のこと


今日は、井下くん(仮名)を、思い出す日です。
いつもは、妙木くんの命日から井下くんの命日までは精神的に苦しいことが多いのだけれど、今年はその期間いつもより明るく過ごすことができたと思う。
今日のライブやいろんなことが私を救ってくれたし、いろんな人たち、子どもたちが、私を明るくしてくれた。
そして、函館山や函館の海や船も、私を癒してくれました。今日はいつもにないくらいの凪いだ静かな港を見ることができました。

感謝です。

38年、二人を思い出すことができて、二人を大切にする生き方が、かろうじてできたことにも、感謝です。

みんな、ありがとう。