Seiji Ninomiya (二宮正治)

Let me tell "JAPAN NOW"

二宮正治の短編小説 小学生悲恋物語 太郎のその後 第6回

2010-10-31 02:15:26 | 日記
「それでは、天皇陛下に開会宣言をお願いしましょう」
 ブランデージIOC会長の声がテレビから響き渡った。
やがて昭和天皇の、
「第十八回オリンピックを宣言します」
 という声がテレビから流れた。
太郎はこのテレビ中継を、小学生の同級生達と学校の図書館のテレビで見ていた。
「これはもっとも重要な授業です」
 と言って、見せてくれたのだった。
太郎は自分が大病を患ってそれを克服して、こうやってテレビでオリンピックを見ている喜びと、
「日本が国際社会に復帰した二重の喜びを味わっていた」
 昭和二十八年生まれの太郎が物心ついたときには、
「戦争の傷跡が、それらここらに残っていたからである」
 まだ日本は世界の孤児だったのだ。
「世界の人々と仲良くできる」
 この太郎の言葉に教師も、
「うんうん」
 と頷いて、顔をくしゃくしゃにしていた。
教師は戦争を体験しているだけに、
「この喜びは太郎の比ではなかった」
 気がついたら、太郎のそばにはあの必死で看病してくれた新しい太郎の友達いやガールフレンド夕子がいた。
「おめでとう」
 夕子が太郎にこう言った。
「ありがとう」
 太郎はこの言葉の重みをひしひしと感じていた。 

二宮正治の短編小説 10月30日 小学生悲恋物語 太郎のその後 第5回

2010-10-30 02:57:54 | 日記
 太郎は恐ろしい病気と必死で戦った。医者が、
「信じられない、熱が三十九度から下がった」
 こういった時太郎は、
「病気に勝った」
 と心の中で勝利宣言をしたのである。
「絶対に助かる」
 こう自分に言いきかせた。そして、太郎は生きる望みが出てきたら急にお腹がすいたのだった。
「腹が減ったよ」
 回りの人にこう言うと、いつも可愛がってくれたおばあちゃんが、
「何か食べたい物があるか」
 と太郎に聞いた。太郎が、
「握りずしが食べたい」
 と言うと、
「分かった」
 と言って、呉の町の有名なすし屋から特上のにぎりを取り寄せてくれた。
一気にすしを食べた太郎は今度はウンチに行きたくなった。
「だが、いくら熱が下がったとはいえ、トイレで屈む力はなかった。すぐへたりこんでしまうのである」
 見かねた太郎の叔母が浣腸をしてくれた。そして、ウンチを出す事に成功すると、太郎の状態は一気に快方に向ったのである。
 十日に及ぶ生死をかけた病気との戦いの後、太郎が学校に登校すると同級生が拍手で太郎を迎えてくれた。みんな太郎を心配していたのだ。
「みなさん、ご心配をかけました」
 こう太郎が挨拶をすると、また大きな拍手が沸き起こったのだった。
太郎はにこやかに、
「オリンピックを一緒に見ようね」
 と言うと、
「そうだね」
 と異口同音に声が上がった。
太郎の本当の新しい学校での生活が始まったのである。

二宮正治の短編小説 小学生悲恋物語 太郎のその後 第4回

2010-10-29 02:41:06 | 日記
 太郎は薄れ行く自分の記憶を必死で失うまいと努力した。
だが、
「氷枕が三十分もしないうちに、湯のようになる」
 この状態が一週間も続いたのだった。
そうしているうちに、太郎の枕元に、
「メロンとバナナ」
 が並んだ。
太郎は直感した。
「これは死が近いのだ。こんな高価な物が枕元に並ぶとは死が迫っている以外の何物でもない」
 当時、このメロンとバナナは非常に高価な果物で庶民の食べる物ではなかった。
「十一歳を前にこの世を去らねばならないとは、何と情けない人生だろうか。東京オリンピックも見れないのか」
 太郎はあまりの情けなさに涙も出なかった。
もうろうとしていたら、女の子の声が聞こえた。
「昔のことは忘れてください。大好きだった女の子と辛い別れが尾を引いているから、こんなになるのよ。辛い時には私の事だけ考えて」
 新しい学校の新しいガールフレンドが絶叫したのである。
「ありがとう」
 太郎はかすれた声で答えた。
その夜、太郎は人生選択に迷った。
「お医者さんのたとへ生きながらえても障害が残ると言う声が聞こえた。障害が残るくらいなら、いっそ楽になろうか」
 その夜、太郎は熱のせいもあったが、一睡もできなかった。朝もうろうとしていると、
「オリンピック一緒に見ようね」
 と新しいガールフレンドが見舞いに来てくれたのだった。
太郎はこの言葉に、嘘のように気が楽になり、
「どうせならオリンピックを見てあの世に行こう」
 と決めたのである。
そう思ったら、嘘のように熱が下がり始めた。 

二宮正治の短編小説 小学生悲恋物語 太郎のその後 第3回

2010-10-28 02:33:01 | 日記
「脳膜炎だ危ない」
 校医は太郎を見て思わず呟いた。
昭和三十九年当時は、現在の髄膜炎をこう呼んでいたのだ。現在でいうところの、
「髄膜炎から脳炎を発症していたのである」
 熱は三十九度を越していた。
「大丈夫」
 太郎の新しい同級生の女の子が心配して声をかけた。
「ありがとう、ぼくはもう死んでもいいんだ」
 太郎は力なく答えた。
女の子は、
「死んじゃだめ」
 と泣きじゃくった。そして、
「オリンピックがもうすぐじゃない」
 と言ったのだった。
太郎は、
「そうだ、由紀ちゃんと一緒にオリンピックを見ると約束したんだった。ここで死んだらあの子が悲しむ」
 太郎は心の底でこう思った。
「そうだ、オリンピックを見ないと」
 と新しい同級生の女の子にこう言ったのである。
「そうよ、一緒に見ましょ」
 女の子の顔に笑みがこぼれた。
だが、太郎の状態は一向に良くならなかった。それどころか益々悪くなっていったのである。
  

二宮正治の短編小説 小学生悲恋物語 太郎のその後第2回

2010-10-27 02:58:06 | 日記
 太郎は自分の生まれ故郷の広島県呉市の宮原小学校に転校して、下級生には、
「ハーモニカの浦島太郎ちゃん」
 として有名になり、慕われるようになった。
だが同級生の女の子には、
「別れた恋人を偲んで西の空を見上げてハーモニカを吹く浦島太郎」
 として有名になっていたのだ。
放課後になれば、呉の町を見下ろして西の空を見上げてハーモニカを吹いていればどうしてもそうなる。
「今頃由紀はどうしているだろうか、オリンピックを一緒に見たかった」
 いつもこの思いが太郎を支配していた。
東京オリンピックが近づいたある日の放課後、一人の女の子が太郎に近づいてきてこう言った。
「私にハーモニカを聞かせて」
 この言葉に太郎は、
「いいよ、何の曲がいい」
 と言葉を返した。
「赤とんぼ」
 太郎はこの女の子のために、赤とんぼを吹いた。吹き終わった後、太郎は今まで体験した事の無い激しいめまいに襲われた。
 女の子はすぐ異変に気づき手を太郎の額に当てたのだった。
「凄い熱、すぐお医者さんにいかないと。学校のそばに校医の医院があるよ」
 女の子が太郎に言った。
「いいんだ、僕は死んでもいいんだ。もう僕の人生は終わってるんだ」
 太郎は本音を言った。
「あなたが、別れた恋人の事が忘れられないからこんなになるのよ。もう昔の事は忘れてください。辛い時には私の事だけ考えて。とにかくお医者さんに見せないと・・・・」
 女の子は太郎の手を引いて校医である医院に太郎を連れて行ってくれたのだった。