なすがままに

あくせく生きるのはもう沢山、何があってもゆっくり時の流れに身をまかせ、なすがままに生きよう。

あと2時間

2005-12-31 21:48:36 | 昭和
2005年もあと2時間で終わろうとしている。大晦日だけは仕事を早めに強制終了させ家路に着いた。家に帰ってマッサージ機に乗って全身を揉み解したらいつの間にか爆睡していた。この一ヶ月の緊張が解けたのだろう目覚めが実に爽やかだった。それから、正月料理を肴に鹿児島の知人からもらった焼酎をチビリと飲みながら、我が書斎に入室した、年末のテレビは一切見ない、興味がないのである、歌番組とか紅白とかお笑いとかこの数年全く見た記憶がない。一ヶ月無休でハードな仕事をしたこの身にとって正月休みは本当に身体を休める貴重な休みなのだ。とにかく疲れた、眠い。さっき食べた年越しそばで身体が温まって睡魔が襲ってきた。今年の大晦日も除夜の鐘を聞くことはなさそうだ、もう、寝ます。お休みなさい、あっ!その前に僕のブログを覗いていただいた方やコメントをお寄せいただいた方、ありがとうございました!来る年がいい年でありますよう祈願いたします。

日本電電広告

2005-12-24 19:30:19 | 昭和
今日郵便物の中に「日本電電広告」なる会社?から請求書が届いた。全く心あたりがない、「何の請求なのだろう?」といぶかりながら開封した。何と、NTTの職業別電話広告の請求書だった。金額33500円と記入された郵便振込み用紙が一枚入っていた。その紙の裏には広告切り抜きをご丁寧にも貼り付けてあった。発信元の住所を見ると「東京新宿私書箱第282号」となっている。僕は直ぐにピンと来た。広告代金の架空請求だ。確かに電話帳に広告を掲載しているが支払いは毎月の電話料金から引き落としなので第3者から請求書が来る事は絶対にない。以前NTTの人から「このような架空請求が来たときは無視して下さい」と言われていた事を思い出した。さて、どうするか、このまま黙って引き下がれるもんか。僕はその郵便振込み用紙の余白に大きな字で「この 大馬鹿やろう!だれが払うか、このマヌケ詐欺師!」と書いて。封筒に宛名を書いて切手を貼ってポストに投函した。多分月曜日には新宿の「マヌケ詐欺師」のもとに着く事だろう。開封して驚くそいつのマヌケ顔を想像したらおかしくなった。
 ここ数年「オレオレ詐欺」「振り込め詐欺」そして「悪徳リフォーム詐欺」と人の性善説を悪用して詐欺を働く者が増えた。いつも犠牲になるのはお年寄りや善良な市民だ。そんな悪い奴らを僕は絶対に許せない。しかし、モット悪い奴らがいた、そう、強度偽装グループの連中だ、性善説を悪用して善良な市民をだました姉歯、ヒューザー、木村建設の事だ。背後に政治家の影が見える、与党が「ヒューザー小嶋社長」の証人喚問に前向きでないと言う。やっぱり、そうか。橋本元総理の一億円献金の疑惑は解明されないまま闇に葬られようとしている。この世の悪の根源は政治家なのかも知れない。

遅い弁当屋

2005-12-20 15:57:28 | 昭和
従業員の夜食用の弁当を買うため、昨年、則松に出来た弁当屋に行った。昼の忙しい時間帯を避けて1時過ぎに店内に入った。ピークを過ぎて店内はガランとしていた。お目当ての幕の内弁当がなかったので、「4個作ってください」と注文した。そして、待たされる事30分。余りの遅さに僕は内心イライラしていた。弁当に詰める惣菜をただ入れるだけの作業なのだが実にゆっくりと詰めている。客が待っていると言う感覚などない。そして、代金を清算して弁当を受け取る時の従業員の言葉に僕は絶句した。「2個以上ご注文される時は前もって電話で予約して下さい」と言われたのだ。何も豪華仕出し弁当を頼んだわけでもない、ごく普通の弁当なのだ、「何で予約せんといかんのか」と僕は一言言ってやりたかったが僕は返事もせず店を出た。ほ○○ほ○○亭」では考えられない事だ。そして思った「この弁当屋は永くないな」。繁盛している飲食店の条件は二つある「おいしい事、そして早い事」だ。この当たり前の事が通用しない店は自然淘汰されている。過去にぼくがそう思った飲食店や弁当屋は全て今は消滅している。

天気予報大はずれ

2005-12-17 11:13:31 | 昭和
この秋の長期天気予報では12月中旬までは寒波が入り寒いがその後は暖冬だと予報していた。ところがこの寒波は来月中旬まで続くと気象庁が予報を修正した。「12月に入って日本列島は、真冬並みの寒気に包まれ続けている。平年を大幅に下回る気温に加え、記録的大雪にも見舞われた。厳しい寒さは1月前半まで続く見通しで、暖冬を予想していた気象庁は「寒気の南下が想定以上に長期化し、強烈だった」としており、予報の修正を余儀なくされそうだ」・・・・・以上がニュースの貼り付けである。ここ数年気象庁の長期予報はすべて外れている。気象衛星やコンピューターを駆使して行われる気象予報はこの程度のものなのか。漁師や農家の人達のアナログ的な予報の方が正確なのかも知れない。毎朝、起きるとカーテンを開けて外を見る、積雪があるかないか確認するためだ、大雪警報が出ているので、毎朝「雪が降ってない」事を祈りながらカーテンを開ける、昨日も今朝も降雪なし。この繁忙期に降雪で道路事情が悪くなると、商品の発送業務がマヒしてしまうのだ。年末まであと10日余り、雪が降らない事を祈っている流通業者は僕一人だけではないだろう。それにしても寒い、明日の朝の最低気温はマイナス3度の予想だ。

トラトラ その2

2005-12-10 15:40:03 | 昭和
僕が大学2年の夏休み直前のある日、友達のM君から電話が入った。
「おう 今度の夏休みのいいバイトがあるぞ」
「どんなバイトね?」
「うん、今度芦屋で映画の撮影があるんよ、日米合作の戦争映画よ、その映画のエキストラのバイトたい」
「なんね、通行人のバイトか」
「いや ちがう ただのエキストラと違うちゃ」
「じゃどんなバイトね?」
「おう 海軍の制服を着て軍艦の上で演技せないかんとバイ」
「だったらお前それエキストラじゃなく俳優の仕事じゃ」
「そうそう、バイト代もいいし、食事も三食つくし、一緒に応募しようや」
実にいいバイトの話だった、海軍の制服も一人一人採寸して仕立てると言う、何しろ日当が破格の待遇だった、当時アルバイトの日当は一日2千円が相場だった、その映画のエキストラは一日5千円は出ると言う話しだった、食事は芦屋の料亭の仕出し弁当が付くという誠に好条件のバイトだった。金もない、空腹の学生には飛びつきたくなる話だ。しかし、条件が一つだけあった、それは、「坊主頭」に髪の毛を刈らねばならない事だった。「ウーン 海軍の兵隊がビートルズカットでは絶対だめだ」この条件が問題だった。僕達は中学・高校の6年間を坊主刈で過ごして来た、高校を卒業したら絶対に「ビートルズカット」にするぞと願っていた。そして、大学に入って念願のビートルズカットにして我が青春を謳歌していた頃だ。僕は迷いに迷った、映画のバイトも未知の魅力があった、日当もいい。そして、M君に言った「すまん!一晩考えさせてくれ」と言ってひとまず電話を切った。その夜バイトをするかどうか僕の心は揺れ動いた。問題は「坊主頭」になる事だった。折角ここまで立派に成長した「ビートルズカット」を刈る事がどうしても耐えられない事に思えた。アルバイトなら井筒屋八幡店がある、それに、付き合っている売り場の女の子がいる、その彼女に坊主頭をさらすのだけはどうしても出来ないと思った。その翌日M君に電話をした。
「俺、どうしても坊主頭に戻りたくない、バイトは井筒屋に決まっているし、悪いけどお前一人で応募してくれ」
「そうか、分かった お前ビートルズ信者やけしょうがないの」
そして、その夏のアルバイトは僕は前の年に続いて井筒屋の食品売り場で働く事になった。また、M君は「トラトラ」の映画のエキストラとして採用された。夏休みが終わって真っ黒に日焼けしたM君にあったのは学校近くの喫茶店だった。M君の面白い映画撮影話にみんな耳を傾ける事になった。次回へ続く。

トラトラ

2005-12-09 15:41:50 | 昭和
1939年9月1日、山本五十六中将(山村聡)の連合艦隊司令長官の就任式が、瀬戸内海に停泊中の、「長門」艦上でおこなわれた。それから1週間とたたないうちに、時の首相近衛公爵(千田是也)が閣議を開き、アメリカの日本に対する経済封鎖を討議し、それに対して陸相東条英機(内田朝雄)は、アメリカへの攻撃を進言。41年1月24日、ワシントンの海軍情報部は日本の暗号無電を解読し、事態の容易ならないことを察知した。そして、ルーズベルト大統領は新たにキンメル提督(マーティン・バルサム)を太平洋艦隊司令長官に任命、日本の動勢に備えようとした。41年2月、山本長官は第1航空隊の大西参謀(安部徹)から真珠湾攻撃の参考意見を聞き、空母「赤城」の名パイロット源田中佐(三橋達也)の名を知った。そのころ真珠湾では、航空隊のベリンジャー中将(エドモン・ライアン)が、キンメルに日本の真珠湾攻撃の可能性を説いていた。41年4月24日、野村駐米大使(島田正吾)はハル国務長官(ジョージ・マクレディ)と、緊迫した両国の関係を打開しようとしたが、ハルゼイ中将(ジェームズ・ウィットモア)等、海軍側の強硬意見にあい、実を結ばなかった。やがて両国間の通商条約は破棄され、スターク海軍作戦部長(エドワード・アンドリュース)は、ハワイを非常時態勢下においた。そのハワイでは、日本のスパイ吉川猛夫(マコ)が、情報収集のため暗躍していた。41年10月、東条英機が陸相兼首相となり、軍部の権力は頂点に達した。一方、アメリカ側の情報部は、真珠湾攻撃の決行日を想定し、スチムソン陸軍長官(ジョセフ・コットン)は大統領にそれを伝えることを約し、またマーシャル大将(キース・アンデス)もハワイのショート将軍(ジェイソン・ロバーズ)やキンメル提督に、警告を発していた。12月2日、ハワイへ向け進航中の、南雲司令官(東野英治郎)の第一航空艦隊は、山本長官から「ニイタカヤマノボレ」という暗号を電受した。いよいよ真珠湾攻撃の時が来た。12月7日、東郷外相(野々村潔)は駐日大使の天皇拝謁を助け、局面打開を求めたが、道はすでにふさがれていた。翌12月8日未明、遂に南雲中将の率いる機動部隊は、オアフ島北方から真珠湾に迫り、午前7時57分、淵田少佐(田村高広)を先頭とする戦隊が、空から敵地へ突っこんで行った。真珠湾攻撃は見事な成功をおさめ、「赤城」からは、作戦成功を伝える暗号が打電されていた。「トラ・トラ・トラ!」。(20世紀フォックス配給*2時間30分)
 日本軍の真珠湾攻撃の映画である。僕が大学2年生の頃の映画だ。この映画の艦上ロケは遠賀郡の芦屋町の海岸で行われた。海岸に実物大の軍艦を作り当時としては巨額なお金を投じて作られている。この映画にまつわる僕の学生時代の思い出を次回のブログのネタにしたい。
 





ちゃんぽん

2005-12-06 12:23:22 | 昭和
昨日から真冬並みの寒さになった。普通12月は秋の延長であまり寒くなる事はなかったので驚いている。暑いのも苦手だが寒いのはもっと苦手だ。これだけ寒くなると鍋ものが恋しくなる。一昨日はキムチ鍋、そのつぎの日は牡蠣鍋を食べた。身体が芯から温かくなる瞬間に幸せさえ覚える。今一番食べたいものそれは、戸畑のこおふく亭のちゃんぽんだ。同じようなちゃんぽんはどこでもあるのだが、何故かこおふく亭のちゃんぽんは再び食べたくなる味だ。これだけ寒くなったら、今頃は行列ができているかもしれないと思いながら。昭和の面影を残す店の雰囲気を思い出した。この「こおふく亭のちゃんぽん」は折尾や高須にある「おおむら亭」が前身らしい、だから味が似ている。おおむら亭なら職場から車で5分とかからないが、ちゃんぽんだけは戸畑の「こおふく亭」に行って食べたい。その理由は僕が子供の頃に遊んだ町並みがそのままに残っているからだ、昭和30年代の食堂で食べるちゃんぽんはどこのちゃんぽんよりも美味しい。多分、昭和の思い出が旨味の中に入っているのかも知れない。