反逆者シリーズです。
今回はA。
草創期の幹部で、一時期九州に派遣されて来ていました。
私の兄嫁の親戚に、Aに指導を受けた人がいます。この話は、その指導を受けた人の身内の人から聞きました。つまり、私にとっては、かなり近しい人からの証言なのです。
「その事を、みんなに言っても良いですか?」
「いいよ、どんどん言って。本当の事だから、隠す必要なんてないし」
そういきさつがありますので、反逆者が、まだ学会の中で幹部をしていた時、どんなだったかを紹介したい、と思います。
Aは、本質的にそうなのか、九州と言う地方に来たからそうなったのか、まず威張っているように見えた、と言います。
ある質問会にその人は参加しました。
草創期の人で、悩みを抱えていない人なんていません。東京から幹部が派遣されて来て、九州で指揮をとっている。その幹部の質問会があるから、参加しませんか、と言われたら、誰だって喜んで参加したでしょう。その人も、そんな一人だったのです。
「質問のある方」と言われ、その人は進んで手をあげました。そして質問しました。私はその人には会った事もあるし、どう言う人か知っています。決して愚痴を言う人ではありません。戦争も経験してありますから、腹は据わっています。本気で指導を受ける覚悟がなくて、質問するような人ではないのです。
ところがAの返事は、「そんな事も分からないのか。自分で考えろ」だったそうです。まるでその人が、いい加減な気持ちで質問したかの如く、Aは怒った、と言うのです。
その人は、ひたすら謝って、質問を取り下げるしかなかったそうです。
その後、その人は、その事を長く黙っていました。
わざわざ東京から、戸田先生の命によって派遣されて来た幹部が怒ったのだから、自分はよほど場違いな発言をしたのだろう。申し訳なかった。自分がどんなに嫌な思いをしたとしても、愚痴ったり、幹部を責めてはいけない。自分だけの胸一つに収めて、我慢すればそれで良いのだ。
その人は、その事を絶対に忘れられないまま、二度と口にする事はありませんでした。
本当に、何事もなければ、この事実が、表に出る事はなかったでしょう。一生黙っているつもりだったのです。
しかし、状況は変わりました。
事もあろうに、Aは学会に反逆して、攻撃側に回ってしまったのです。
なぜ反逆者の道を選んだのか、本人でないので、その理由は分かりようがありません。
一つ思い当たる事があるとすれば、我こそは第三代会長だ、と思っていた目論見が外れたこと、ぐらいでしょうか。
そして今でも、第三代会長はAだったはずだ、と言っている人たちがいるぐらいです。ただ、そう言っている人たちが、すでに創価学会とは、何の関係もなくなっている、と言う事はありますが。
しかしAの幹部時代を知っている人は言います。
「第三代会長が、池田先生でよかった。池田先生以外、私たちの事を分かってくれる人は、いなかった」と。
今回はA。
草創期の幹部で、一時期九州に派遣されて来ていました。
私の兄嫁の親戚に、Aに指導を受けた人がいます。この話は、その指導を受けた人の身内の人から聞きました。つまり、私にとっては、かなり近しい人からの証言なのです。
「その事を、みんなに言っても良いですか?」
「いいよ、どんどん言って。本当の事だから、隠す必要なんてないし」
そういきさつがありますので、反逆者が、まだ学会の中で幹部をしていた時、どんなだったかを紹介したい、と思います。
Aは、本質的にそうなのか、九州と言う地方に来たからそうなったのか、まず威張っているように見えた、と言います。
ある質問会にその人は参加しました。
草創期の人で、悩みを抱えていない人なんていません。東京から幹部が派遣されて来て、九州で指揮をとっている。その幹部の質問会があるから、参加しませんか、と言われたら、誰だって喜んで参加したでしょう。その人も、そんな一人だったのです。
「質問のある方」と言われ、その人は進んで手をあげました。そして質問しました。私はその人には会った事もあるし、どう言う人か知っています。決して愚痴を言う人ではありません。戦争も経験してありますから、腹は据わっています。本気で指導を受ける覚悟がなくて、質問するような人ではないのです。
ところがAの返事は、「そんな事も分からないのか。自分で考えろ」だったそうです。まるでその人が、いい加減な気持ちで質問したかの如く、Aは怒った、と言うのです。
その人は、ひたすら謝って、質問を取り下げるしかなかったそうです。
その後、その人は、その事を長く黙っていました。
わざわざ東京から、戸田先生の命によって派遣されて来た幹部が怒ったのだから、自分はよほど場違いな発言をしたのだろう。申し訳なかった。自分がどんなに嫌な思いをしたとしても、愚痴ったり、幹部を責めてはいけない。自分だけの胸一つに収めて、我慢すればそれで良いのだ。
その人は、その事を絶対に忘れられないまま、二度と口にする事はありませんでした。
本当に、何事もなければ、この事実が、表に出る事はなかったでしょう。一生黙っているつもりだったのです。
しかし、状況は変わりました。
事もあろうに、Aは学会に反逆して、攻撃側に回ってしまったのです。
なぜ反逆者の道を選んだのか、本人でないので、その理由は分かりようがありません。
一つ思い当たる事があるとすれば、我こそは第三代会長だ、と思っていた目論見が外れたこと、ぐらいでしょうか。
そして今でも、第三代会長はAだったはずだ、と言っている人たちがいるぐらいです。ただ、そう言っている人たちが、すでに創価学会とは、何の関係もなくなっている、と言う事はありますが。
しかしAの幹部時代を知っている人は言います。
「第三代会長が、池田先生でよかった。池田先生以外、私たちの事を分かってくれる人は、いなかった」と。