市丸の雑記帳

創価学会婦人部、市丸の個人ブログです。記事本文、コメント共に、無断転載・引用お断り。誹謗、中傷は即削除します。

二乗作仏

2007-05-26 08:22:59 | Weblog
 爾前二種の失の一つが二乗の不作仏ですが、なぜこれがそんなにも重要なのでしょうか。

 それは法華経方便品で『諸法実相』と言う法門が説かれ、十界互具が明らかになり、十界が互具している、と言う事が初めて説かれることにあります。
 簡単なことです。すべての人に二乗の生命が存在し、その二乗が成仏しないのなら、一切の人が成仏と言う最高の幸福境涯へたどり着くことは不可能、と言うことになってしまうのです。

 それまでの教えで、釈迦は、二乗に対して、散々な事を言います。
 二乗を供養する者は地獄に堕ちる。二乗は仏種を炒失した者である。炒った種からは永久に芽が出ない様に、二乗の生命に仏種は永遠に生まれない。修行自体が無意味である。
 声聞達よ、諸君は成仏しようと思って修行しているのかもしれないが、無駄だ無駄だ、やめちまえ、と師匠に言われた舎利弗は悲しみのあまり手にした鉢を落して呆然としてしまった、とあるぐらいです。他の声聞も同じです。師匠にそれまでの一切の修行が無駄だといわれて、号泣しました。
 
 絶対に救われない、と絶望の底にいた二乗に対して、釈迦は『十如是』を説き、一切の衆生の生命には、本来仏界と言う生命が備わっているから、例え二乗であろうと、地獄の衆生であろうと、全員、成仏の可能性を持っているのだ、と説くのです。
 そしてここで始めて、女性や悪人の成仏も説かれるのです。
 爾前経では、実は女性の成仏も説かれていなかったのです。
 
 爾前経、所謂権教を依経としている宗教の一切には、女性の成仏は説かれていません。この権教を依経としている宗教は、数多くあります。
 繰り返します、その全てに、女性の成仏は説かれていないのです。
 悪人も成仏できません。
 そして頭の良い代表である二乗も。

 一体爾前経では、誰が成仏出来ると言うのでしょう。こんなに成仏できない衆生がいたのでは、誰も成仏なんかできっこないではありませんか。
 そうなのです、爾前経では、誰も成仏は出来ないのです。

 『諸法実相 所謂諸法 如是相 如是性 如是体 如是力 如是作 如是因 如是縁 如是果 如是報 如是本末究竟等』

 これを聞いて、釈迦の言葉を疑うことなく信じた智慧第一の舎利弗は、即座に自らが成仏出来る可能性を持っていることを悟ります。
 他の声聞たちは、さらにその後に説かれる喩話や因縁話などを聞くことにより、全員が悟りを得て、今度は喜びのあまりに号泣するのです。


 『此等の経経に二つの失あり、一には行布を存するが故に仍お未だ権を開せずとて迹門の一念三千をかくせり、二には始成を言うが故に尚未だ迹を発せずとて本門の久遠をかくせり、此等の二つの大法は一代の綱骨一切経の心髄なり、迹門方便品は一念三千二乗作仏を説いて爾前二種の失一つを脱れたり。 (開目抄 197頁)』

時に叶った信心

2007-05-19 22:05:45 | Weblog
 信仰上でよく言われる言葉に「師匠と呼吸を合わせろ」と言うことがあります。
 アンチは学会の団結を揶揄する意味でか、良くこの言葉を、皮肉たっぷりに使います。
 
 アンチさんたちが、「池田先生と呼吸があっていない」と言った時のニュアンスとしては、悪い事が起きた、功徳が出なかった、それは云々、と言うものであるようです。少し学会員が使う意味と、違っているように感じてなりません。

 確かに学会員も、この言葉を使うことはあります。
 しかしそれは、今現在、何を為すべきか、と言うことを明確にするためのものであって、決して悪い現象が起きたからとか、はっきりした形の功徳が出なかったからとかで、使う事はありません。

 「師匠と呼吸を合わせる」
 それは言い換えると、「時に叶った信心をする」と言うことになるのです。

 例えば、春、田圃に種を蒔きます。
 夏の日差しと雨の中で、植物はぐんぐん育ちます。実りの為には種々の条件が揃わないといけませんが、その中に積算温度と言うものがあって、育成期間の温度が足りないと、結実できないから、この時期を選んで種まきをするのです。
 温度が下がってきた秋、人間にとっては実りの季節を迎えます。本当は植物にとっては、これから迎える冬の準備として、栄養を種子に移して、来年の蓄えにしているのです。この時を外すと、植物は種としての存在が出来なくなってしまうから、必死なのです。
 物言わぬ植物でさえも、時を知って成長し、時を知って実を結びます。

 かように『時』を知る、とは大事な事なのです。
 いわんや一生成仏を目指す者にとって、「時」に叶った信心と言うものが、どれほど重要な事か、いわずもがなの事でしょう。
 
 『夫れ仏法を学せん法は必ず先づ時をならうべし。 (撰時抄 256頁)』
 
 御書十大部の一つ『撰時抄』の、有名な冒頭の文です。
 「満月城 岡山 ネット御書検索」で調べると、何と「時」と言う文字だけだと、1368個もヒットするのです。御書全体で約1600ページですから、その数の多さが分ります。
 さらに仏も『時』を選んで出現するのです。

 「時に叶った信心」は、最も成長できる事の異名です。
 学会にいたけど、何も良い事はなかった、と言う人の多くが、この「時」と言うものが分らなかったのかも知れません。「時」を外してもがいていたのかもしれません。
 それはご本人のみぞ知る、と言うところです。

 ただ、これだけは断言しておきましょう。
 「時に叶った信心」は時として、信じられないような功徳をもたらす、と。
 その醍醐味を知ったら、学会を辞めるなどと、とんでもない事と知るでしょう。

青年時代の訓練

2007-05-16 16:45:33 | Weblog
 先日、店長会議に出席する機会があった。
 まず支社長から現状の説明があり、今後店長として取り組んで行ってもらいたいことなど、種々話しがあった。

 その中で、私たちが当たり前に行っている事が、実は社運を左右するほど重要な事だったのだとちょっと驚いた。決して特別な事ではない、社員同士の声かけ、お客様への挨拶、お礼の言葉、コミニュケーション、といったことだけなのだ。
 もっと付け加えるなら、毎日の基本の確認、マンネリ打破、迅速な報(報告)・連(連絡)・相(相談)の徹底。これだけなのである。
 
 みんな仕事が忙しくて、自分の周囲以外には目が行かないのかもしれないが、そこにお客さんがいるのなら、挨拶するのは当たり前だろう、と言うのだ。品物を買ってもらったら、御礼の言葉をかけるのは、当たり前だろう、と支社長は言うのだ。

 私たちは今の職場にきた時、仕事の第一歩として、まず挨拶の徹底から始めた。
「お早うございます」
「お疲れ様でした」
「ありがとうございます」
 この三つの言葉が、慣れない環境の中での武器であり、切り札だった。少々嫌な事も顔には出さず、笑顔で挨拶をすることで、知り合いを増やし、仕事の全ての足がかりにして行ったのだ。

 しかしそれは決して特別な事ではなかった。創価学会青年部を経験したものとしては、体に染み付いたことだった。それが自分達の仕事環境を整えてくれている、と言う自覚もないほど自然だった。
 マンネリもなかった。この職場を訪れる人達と挨拶を交わすことで、日々新たな思いが湧き、同じ事をしていても、同じことの繰り返しと言う慣れはなかった。

 若い頃、種々の会合で、種々の役員をやってきた。
 やらされた、と思う人もいただろう。やらせていただいている、と思う人もいただろう。
 実際、行動としては何の変りもない。自発的に行おうと、言われた事を嫌々やっていようとも、そこに来た人には分らないし、表面的な違いもない。だがそれが年を追っていくほどに、大きな差となってくる事を思い知らされるのだ。
 例えば、仕事で車の誘導をする時、会社のトップが突然職場にやってきた時、こんな突発的な時にこそ、訓練は生きてくるのだ。全く自然体で、無理なく全てに対応している自分がそこにいることに気づく。

 青年部時代、楽しい事もあったかもしれない。しかし本当は苦しい事の方がはるかに多かった。しかし一念の持ちようで、楽しくなることを学んだ。長の一念で、すべての人を楽しく出来る事を学んだ。
 もがきながら、うめきながら、指導に付いて行った時もあった。

 それがあったから今がある。
 学会は、人生の道場だった。

 学会員で良かった。
 日々の生活の中で、そう思わないことは、ただの一つもない。

法華経説法の準備

2007-05-13 11:54:49 | Weblog
 釈迦は十九歳で出家し、三十歳までの約十年間、その当時の修行者がやっていたと同じように、苦行をやります。しかしその後、苦行の中に何の意味も見出せなかったのか、それを放棄し、女の子の差し出した山羊の乳を飲んで力を得ると、菩提樹の下で瞑想に入るのです。
 これは私の憶測ですが、釈迦が瞑想に入ったわけは、自分の過去世の修行によって覚った法を、如何なる形で説法すれば良いのか、その確認作業ではなかったかと考えます。

 『浄飯王と申しける大王の太子十九の年位をすてさせ給いて檀どく山と申す山に入り御出家三十にして仏とならせ給い身は金色と変じ神は三世をかがみさせ給う  (千日尼御前御返事  1309頁)』

 このように御書にもある通り、悟った後に三世を考えたとなっています。つまり釈迦にとっての瞑想とは、説法の手段の思索だったのではないか、と言うのが、私の考えです。

 釈迦が悟った法は、壮大なものでした。それが現実の生活の中に理解されるには、並みの説法では駄目だと思ったのかもしれません。
 さらに、自分が仏を開く事になった根本の法に人を導くには、それなりの準備が必要な事もあったでしょう。
 とりあえず釈迦は鹿野園というところで、かつての修行仲間(一説にはそこにいた鹿)を相手に、悟りの一部を説きます。
 しかしそれは難しすぎたのか、誰も理解できませんでした。釈迦にとっては、想定の範囲内だったでしょう、さらに噛み砕いて、分りやすく分りやすく、順序を追って説いて行きます。
 釈迦が、衆生の機根が整ったとして、自らの悟りの究極を説くまでに、実に四十二年もかかってしまうのです。

 釈迦は七十二歳になったある日、突然それまでの自分の説いたものを、仮の教えだから信じてはいけない、と言うのです。
 『正直に方便を捨て』『余経の一掲をも授てはならない』
 つまりこれから説く法華経こそが、真に説きたかったもので、それまでの教えは全て仮の教え、権経である、と言うのです。
 それを聞いた中の五千人もの人達が、怒って法座を立っていきます。釈迦の二枚舌は信用ならない、と言うことでしょう。

 それほどに釈迦は、極端な事を説いたかと言うと、とても簡単なことなのです。
 それまでの教えの中では、絶対に成仏できないとされていた二乗、女人、悪人も、正しい法によって成仏できる可能性がある、と言っただけなのです。
 つまり、権経と言って、法華経以前の教えでは、二乗と女性と悪人は、悟りを開くどころか、門前払い、絶対に現世でも未来世においても、成仏と言う最高の幸福境涯にはたどり着かない、と言う事をひっくり返して、それらの人達も、成仏できますよ、と言っただけなのです。
 なのに五千人もの人達が、疑いを起して釈迦の元を去って行ったのです。

 釈迦は、その五千人を見送って言います。
 『本当に信ずる人だけが残ったのだ。これから心置きなく最高の法を解ける。疑いを決して持たず、ただひたすら信ずる事だけが、これから説く法門を理解するただ一つの方法である』
 そして法華経迹門を説いたのですが、それはまだその先に説く本門からすれば、大きな失を残した教えだったのです。

罰について

2007-05-08 12:45:08 | Weblog
 『彼等にはただ一えんにおもい切れよからんは不思議わるからんは一定とをもへ、ひだるしとをもわば餓鬼道ををしへよ、さむしといわば八かん地獄ををしへよ、をそろししといわばたかにあへるきじねこにあえるねずみを他人とをもう事なかれ。 (聖人御難事 1190頁)』

 彼等、熱原の農民信徒には、潔く腹をくくれと教えて行きなさい。良い事の方が不思議で、悪い事の方が当たり前なのです。腹が減ってひだるいと言うならば、餓鬼道を教えなさい。寒いと言うなら八寒地獄を教えなさい。恐ろしいと言うのなら、鷹に捕まれる雉を、猫ににらまれたネズミを他人と思わな様に教えなさい。
 
 なんとも理不尽だ、と思われるかもしれませんが、人生とはこんなものかもしれません。良い事のほうが不思議で、悪い事がたて続けに襲ってくる事のほうが、案外当たり前かもしれないのです。
 それほど人の生命の中には、過去遠々劫からの悪事が詰まっていて、どんなに努力をしても、信念を持っていても、それらを吹き飛ばしてしまうほどに、悪い結果しか出ないのかもしれません。

 そもそも罰とは一体何なのでしょうか。
 御本尊の中にも罰は厳然とあります。『若脳乱者頭破七分』右の肩にある罰の文証です。左の肩には功徳を示す『有供養者福過十号』としたためてあります。
 御本尊が生命の図式である限り、知る知らないに関わらず、すべての人の生命に、この二つは備わっていると言わざるを得ないでしょう。

 外から与えられる物であるのなら、備わっているとは言いません。
 備わっていない物は、御本尊の中に、したためられる事もないでしょう。

 御本尊と言う対鏡に縁することの無くなった人達が、非常に怒りっぽくなったり、投げやりになったり、ふてくされたり、ネガティブな考えになったりする事があります。これはその人の本来の生命が、直接表面に現れてしまったためなのではないか、と私は考えています。
 これを罰の現証と言うのなら、罰は誰が与えたものでもなく、自分の内面から湧き上がった事なのです。
 つまり、ここは絶対に間違えてはいけない事なのですが、罰は当たるものではなく、出るものなのです。

 罰が出た。

 これが正しい言い方なのです。
 罰は、自身の生命に内在する、マイナス現証の表れなのです。

 仏は慈悲の存在です。慈悲とは抜苦与楽と言って、人を幸せにする事のみを常に考えていく生命の事です。
 仏には、罰を与える生命はないのです。
 罰と思える現証も、全て自信の業によるものなのです。

 私たちは日々、自身の生命の中のマイナス現証を消す戦いをし、それに勝利する事によって、功徳と言える現証を得ているのです。

 これが信心のあり方ではないか、と私は解釈しています。

言論問題

2007-05-04 14:05:48 | Weblog
 いつこの問題が出てきて、いつこんなに大きくなったのか、現場にいても分からない事だらけだった。
 ただ、これがその後に続く創価学会に対する弾圧の走りだったように思う。

 藤原某の著書「創価学会を斬る」は、正直読んでいない。だから何が書いてあったのかも、具体的には知らないが、その後の学会に対する様々な流言飛語から、想像する事は出来る。多分、その想像をもはるかに越した出鱈目だったのだろうという事も想像できるが。

 昭和五年に創価学会が創立されて、戦中の治外法権によって壊滅的ダメージを受けた事は、『人間革命』で知っている。
 戸田先生が中心となって学会の再建をされたことも、その陣列に池田先生が加わって、大発展の基礎が出来た事も、書籍によって知ることができる。
 そして、当然蓮祖の戦いがそうであったように、権力をも巻き込んだ、大弾圧が襲ってくるのも、予測は出来た。その大弾圧の走りが「言論問題」だったのだ。

 権力とジャーナリストと、一般の人達。 
 三者一体となった迫害が、それから現在に至るまで、切れることなく続いていると言っても良いのかもしれない。

 少し長くなるが、御書の文証の一部を引用しておく。


 教機時国抄 441頁

 『仏誡めて云く「悪象に値うとも悪知識に値わざれ」等と云云。
 法華経の勧持品に後の五百歳二千余年に当つて法華経の敵人、三類有る可しと記し置きたまえり、当世は後五百歳に当れり。
 日蓮仏語の実否を勘うるに三類の敵人之有り、之を隠さば法華経の行者に非ず、之を顕さば身命定めて喪わんか。
 法華経第四に云く「而も此の経は如来の現在にすら猶怨嫉多し況や滅度の後をや」等と云云。
 同じく第五に云く「一切世間怨多くして信じ難し」と。
 又云く、「我身命を愛せず但無上道を惜む」と。
 同第六に云く「自ら身命を惜まず」と云云。
 涅槃経第九に云く「譬えば王使の善能談論し方便に巧みなる、命を他国に奉け寧ろ身命を喪うとも終に王の所説の言教を匿さざるが如し。智者も亦爾なり凡夫の中に於て身命を惜まずして要必大乗方等を宣説すべし」と云云。
 章安大師釈して云く「寧喪身命不匿教とは、身は軽く法は重し、身を死して法を弘めよ」等と云云。
 此等の本文を見れば、三類の敵人を顕さずんば法華経の行者に非ず、之を顕すは法華経の行者なり、而れども必ず身命を喪わんか。例せば師子尊者、提婆菩薩等の如くならん云云。』
             (読みやすくするために、句読点、改行を加えた)

正しい法を保つ者への迫害は、あって当たり前、と腹をくくった方が、賢明かもしれない。