私は、この記事で、誰の事を言っているのか、特定しません。だから、これは誰の事を言っている、と誰かが言ったとしても、それはその人の憶測でしかない、と言う事を、まずお断りしておきます。
その上で、さらに個人を特定した物言いをする人がいたとしたら、それはその人の思い入れだ、と言う事を御理解下さい。私が書くのは、あくまでも一般論、なのです。その事を、まず念頭に置いていてください。
最近、人の書き込みを見て、あいつは修羅だ、と決めつけてくる方々がいます。
そんな方々は、自分の気に入らない書き込みに対しては、すべてを修羅だ、というのです。実に修羅の安売りですが、ではご本人の事は、一体どう考えているのか、と言いたくなってしまいます。
御存知のように、人の生命には十のカテゴリーがあって、仏法用語では、それを十界、と言います。だから、人の意見に対して、反対意見を言ったり、その間違いを理を持って指摘して来ると言っても、そこに言論を持っての闘争心があるとしたら、確かに修羅の生命ではあるでしよう。
しかしその修羅にも、実はいくつものレベルがある事を、少し教学をやった人なら解っているはずです。
教学の復習、と言うわけではありませんが、十界論を学んだ時、その十界は、それぞれに十界が互具している、と聞いたはずです。
ということは、地獄の生命にも餓鬼の生命にも、さらには二乗や菩薩の生命にも、修羅の命は存在しているわけで、ただ単に、表面に現れた闘争の命を以って修羅だ、と決めつけるのでは、あまりにもお粗末、としか言いようがない、と思うのです。
もっと言うなら、そう決めつけてくる人の生命は、修羅の境涯を頂点にして、その奥の、基底部の生命は、もっと低い所にある、としか言いようがない、となってしまうのではないでしょうか。
「あなたは修羅の生命にとらわれています。いけませんね、反省しましょう」
などと、まことしやかに忠告をする人がいたとします。ではその人は、修羅と言う表に現れた生命の、その基底部に、考えが及んでいるのでしょうか。
と、ここで私がこのような事を言ったら、たぶんですが、その人の次の書き込みでは、必ず十界互具を持って来て、さらに諭すように言うのでしょう。
「あなたは地獄の修羅です、実生活の不幸を、ネットなどに向けてはいけません。それがあなたの不幸の源です。すぐにネットなどおやめなさい」
相手を修羅だ、と言う人は、案外基底部が修羅だったり、その下の三悪道だったりしますから、表面に、ちら、と覗く二乗の生命の物言いに、知らず酔ってしまっている場合が多いのです。だから、人を諭すような言い方が多くなっとしまって、その人の境涯の低さが、見事にカムフラージュされてしまいます。
これは、本人だけでなく、その周囲の人も騙されやすいパターンです。
しかし、よくその人の文章を読んで行くと、怒りに満ちた生命が発する矛盾や、幼稚な攻撃性や、人を見下してやろう、とする修羅特有の表現に、満ち満ちている事が分かるはずです。
とここまで書いてきましたが、この文章を読んで、腹を立てたり。苦々しく思ったり、いたたまれない思いに突き上げられた人がいたとしたら、そんな人の基底部は、案外三悪道、四悪趣にあるのかもしれません。
ふーん、そうか、と当たり前に納得した人、おかしくて笑ってしまった人の基底部は、人や天でしょうか。
同じものを見ても、その取り方が違うのはなぜか、そこにその人の基底部があるからです。構えていない時に、何かが起きた時、人は必ずと言っていいほど、その基底部の生命で反応してしまうものですから、そんな時、自分の基底部がどこにあるかを確認してみるのも、面白いかもしれません。
でも、重ねて申し上げます。
これは誰かを特定しているのではありません。
これに対して、特別な反応をした人がいたとしたら、もしかしてその人は、この記事で言っている「修羅」の命にはまっている、と言う事になるのでしょうか。
その上で、さらに個人を特定した物言いをする人がいたとしたら、それはその人の思い入れだ、と言う事を御理解下さい。私が書くのは、あくまでも一般論、なのです。その事を、まず念頭に置いていてください。
最近、人の書き込みを見て、あいつは修羅だ、と決めつけてくる方々がいます。
そんな方々は、自分の気に入らない書き込みに対しては、すべてを修羅だ、というのです。実に修羅の安売りですが、ではご本人の事は、一体どう考えているのか、と言いたくなってしまいます。
御存知のように、人の生命には十のカテゴリーがあって、仏法用語では、それを十界、と言います。だから、人の意見に対して、反対意見を言ったり、その間違いを理を持って指摘して来ると言っても、そこに言論を持っての闘争心があるとしたら、確かに修羅の生命ではあるでしよう。
しかしその修羅にも、実はいくつものレベルがある事を、少し教学をやった人なら解っているはずです。
教学の復習、と言うわけではありませんが、十界論を学んだ時、その十界は、それぞれに十界が互具している、と聞いたはずです。
ということは、地獄の生命にも餓鬼の生命にも、さらには二乗や菩薩の生命にも、修羅の命は存在しているわけで、ただ単に、表面に現れた闘争の命を以って修羅だ、と決めつけるのでは、あまりにもお粗末、としか言いようがない、と思うのです。
もっと言うなら、そう決めつけてくる人の生命は、修羅の境涯を頂点にして、その奥の、基底部の生命は、もっと低い所にある、としか言いようがない、となってしまうのではないでしょうか。
「あなたは修羅の生命にとらわれています。いけませんね、反省しましょう」
などと、まことしやかに忠告をする人がいたとします。ではその人は、修羅と言う表に現れた生命の、その基底部に、考えが及んでいるのでしょうか。
と、ここで私がこのような事を言ったら、たぶんですが、その人の次の書き込みでは、必ず十界互具を持って来て、さらに諭すように言うのでしょう。
「あなたは地獄の修羅です、実生活の不幸を、ネットなどに向けてはいけません。それがあなたの不幸の源です。すぐにネットなどおやめなさい」
相手を修羅だ、と言う人は、案外基底部が修羅だったり、その下の三悪道だったりしますから、表面に、ちら、と覗く二乗の生命の物言いに、知らず酔ってしまっている場合が多いのです。だから、人を諭すような言い方が多くなっとしまって、その人の境涯の低さが、見事にカムフラージュされてしまいます。
これは、本人だけでなく、その周囲の人も騙されやすいパターンです。
しかし、よくその人の文章を読んで行くと、怒りに満ちた生命が発する矛盾や、幼稚な攻撃性や、人を見下してやろう、とする修羅特有の表現に、満ち満ちている事が分かるはずです。
とここまで書いてきましたが、この文章を読んで、腹を立てたり。苦々しく思ったり、いたたまれない思いに突き上げられた人がいたとしたら、そんな人の基底部は、案外三悪道、四悪趣にあるのかもしれません。
ふーん、そうか、と当たり前に納得した人、おかしくて笑ってしまった人の基底部は、人や天でしょうか。
同じものを見ても、その取り方が違うのはなぜか、そこにその人の基底部があるからです。構えていない時に、何かが起きた時、人は必ずと言っていいほど、その基底部の生命で反応してしまうものですから、そんな時、自分の基底部がどこにあるかを確認してみるのも、面白いかもしれません。
でも、重ねて申し上げます。
これは誰かを特定しているのではありません。
これに対して、特別な反応をした人がいたとしたら、もしかしてその人は、この記事で言っている「修羅」の命にはまっている、と言う事になるのでしょうか。
この記事を読んで笑ってしまいました。 笑
いやね、 以前に私の所属する地域に、そーいう人がいたから
思わず、思い出して笑ってしまったのです。
その方は、 最後には脱会しましたがね。
やっぱり、 人の注意や指摘を素直に聞けない人は
どこにでもいますが、 結局のところ 最後は、ヘンになってます。
そして、逆恨み・・・・。 パターンですね。
自戒を含めて、 謙虚に信心は学んでいきたいモンですな !
季節の変わり目です。
何かと夏の疲れが出やすい時期ですので、 市丸さんも
体をご自愛ください。
記事投稿を楽しみにしております。
尊敬する市丸様へ。
小学生が言えば可愛げがありますが いい大人が言ったらちょっと。。。(*u_u)ゲンナリです
あっ!これも一般論で誰かを特定したもんじゃないですよ(笑)
河内さんまいどかなえです(笑)!関西の方なら分かりますよね
おひさしぶりです。 笑
あっははははははーーーーーー!!!
鉄斎さん、 ちょっとオモロすぎるやんかー。 爆
お腹痛い・・・・・。
いつもご苦労様です。
さて、関連する話題かどうか・・・徒然に。
犬はよく吼えますよね。郵便屋さんなんかにも吼えますね。
番犬といえば聞こえはいいけど、
家の前を通りかかっただけで吼えることも。
郵便屋さんが届け物を投函し去ったあとも、この犬の心理は
「へへへ、俺が追い払ったぞ!勝ったぞ!」だそうです。
ズレてるんですw
“勝他”のドロドロなイノチ?
噛み合わない・・・というより、おめでたい。
ああいう発想なら随分と楽ですねwワンワン
私は、自分の知らない歴史を知ることができることに大変感謝するとともに、市丸姉様の慈悲を感じずにはいられません。
歴代会長の指導に弓引く反逆者ならびに己義を構える哀れな者たちに対しては、その謝りを指摘し、間違った命の傾向性を叩き切ることこそが慈悲だと思うからです。
安っぽい同情心で反逆者を擁護などせず、悪というものがどれほど恐ろしいか、これからのためにも是非とも習っておきたいのです。
悪を責めるのが修羅なら、戸田先生も池田先生も、ひいては日蓮大聖人までもが「修羅」になってしまいます。
そんなのは絶対におかしいと思います。
でも、その人達も最後は御本尊様に依って救われるのですね。
『毒鼓の縁』ですよね。
だけど、出来るならば今世で、正法に帰依して欲しい。
批判するということは、すでに縁しているのですから。
風凜さん。お返事おくれました。
市丸さんの個人ブログですので、掲示板のように素早い対応は、あえてしませんでした。
ご了解ください。
2008-08-05 23:49:47
ヅラ系・さん、おこんばんは。
あの板をアク禁になったら本物ですよ。
私は一方的に退散いたしましたがね。
だってわたしゃあ、名もなく貧しく、美しくもなく、世間の評価もありゃしない、しがない未活動の婦人部でござんすからねぇ。
高尚なるあの板には、逆立ちしたって太刀打ちできるわけがない。
ヅラ系。さん、今後ともよろしく。
No.24414 独り言です 投稿者:市丸 投稿日:2008-08-04 22:46:49 ID:e22766a3c
新規 返信
沖浦さんの書き込みを見ていると、確かに夢を語ってカッコいいのだけど、だんだん組織活動を真面目にやるのが嫌になってくる。と言うか、馬鹿らしくなってくる。
誇大妄想でも良いから、何かでっかい事を言って、良い気持ちになって、創価学会員でござい、と言っていれば、それだけで満足しているような。
本当は、それでは絶対に幸せも境涯革命も、人間革命もできないのは分かっているのだけど、楽やって信心して行って、それで良いんだ、自分さえ満足していれば、みたいな。
もともと活動が嫌いな人には、もってこいの理屈でしょう。
社会に打って出て宿命転換ができるなら、こんな楽はないですからね。
でも、世法では、絶対にできないことがある、と言うことを、沖浦さんは教えてくれない。
つまり、一生成仏。
学会の理想を語り、個人に閉じこもって、願うは一生成仏、人間革命、と言うのでは、何か無理がありすぎるのではないのか。
決して師匠は、そんな事は言っていないはず。
貴殿は、自身のブログで【活動の婦人部】とかいておる。
そして富士宮ボーイでは、学会活動なくして宿命転換できないと書いておる。
貴殿の発言は矛盾している。
この矛盾について貴殿から明確な説明を願いたい。
市丸さんの過去ブログを見れば女子部時代中堅幹部として相当に活躍されたようです。
その経験値から「学会活動なくば人間革命は………」の発言が出てもおかしくはないでしょう
いまは事情で動けない人でも学会活動の素晴らしさを知る人はいて当然です。
市丸さまは自身の立場への謙譲心を知る方なんですね。どなたかと違って
ワシな、ちょっとアヤシイおっさんでっけど、
よろしゅ~にたのんますワ。
あっ、河内平野はん、鉄斎はん、
ここにいはったんでっか?
あんじょうしたはりましたか?
ネットサーフィンしてたら、ここにたどり着いて
そしたら、懐かしい名前があったし、書かせてもらいました。
「修羅」で思い出すのは俗に言う「クレーマー」も修羅界やね。
とにかくイチャモンをつけな生きて行かれへんというアホもいますなぁ。
ワシが思うに、修羅は寂しがり屋で、自己顕示欲が強いので、
ゼニカネよりも世間様から注目されたいとかエエカッコしたい
とか思うんやろうね~。
だから、世間様の目が留まるような「騒ぎ」を突然起こすアホもいますな。
アキバの事件などはその代表かもしれまへんな。
HPの書き込みにも、しょ~もないイチャモンをつけにくるアホの
クレーマーがいてると聞いたことがあるワ。
まぁ、ここは、特定の人物を攻撃してるワケでもないので
大丈夫やろうけど、それでも勘違いのアホがクレーマーとなる
かもしれんし、気をつけなはれ。
【クレーマーの例】
(ムカシ見た映画の中で、クレームをつけにきたアホ)
文明堂のCMで
♪カステラ一番、電話は2番、三時のおやつは文明堂~♪
クレーマー
「ホナ、ナニかい!ワシは一番とチャウというんか!オウ!
ワシはカステラより下というんか?すぐにCMを撮り直せや!」
こうしてイチャモンをつけて気晴らししたり、
自己顕示欲を満たそうとする例でした。
アラ探ししてでもイチャモンを付けようとするのがクレーマ。
修羅の典型やね。(鬼笑)