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私の宝物6ー今は亡き小林文治翁からの贈り物

2008年01月27日 | 郷土資料館「水廼舎文庫」

                    国歌君が代の「さざれ石」

岐阜県の伊吹山の麓に採れる石で、学名「石灰質角礫(れき)岩」。長年月で溶解した石灰岩が付近の小石を接着し、大きな固まりとなったもので、現在は岐阜県の天然記念物に指定されている。
 このさざれ石は、文部省の中庭にも「さざれ石」として設置され、昭和天皇皇后両陛下、皇太子と皇太子妃殿下(当時)、各宮家、新国技館やぎふ中部未来博覧会会場でも「さざれ石」として紹介され、伊勢神宮の内宮・外宮、熱田神宮、明治神宮、金刀比羅宮、出雲大社、霧島神宮、日枝神社、橿原神宮、乃木神社など、全国四〇以上の有名神社に奉納されている。
県内でも三重県神社庁、多度神社、椿大神社、二見興玉神社そして有り難いことに筆者の鎮守さま・水屋神社でも実物を観ることが出来る。


 この「さざれ石」の名称の起源は「君が代」の歌と共に、少なくとも平安時代にまで遡る。鎌倉時代以降は神事や宴席の祝い歌として一般に広まり、江戸時代には物語、御伽草子、浄瑠璃や謡曲にもなった。

 しかし「国歌・君が代に詠われているさざれ石」は、昭和三六年一月、岐阜県の小林宗一氏によって発見され、特殊な、特定の石であることが判明した。

 岐阜県の春日村には次のような「伝承」がある。平安朝時代、文徳天皇(在位八五〇-八五八年)の皇子惟喬親王に椀生地の司として仕えていた藤原朝臣石位左衛門は、親王の命を受けて良材を求めて椀生地を探し回り、ついに春日谷の奥地一帯を発見し、一族と共にそこへ移り住んだ。小宮地区には現在もその一族九〇余戸が居住している。
石位左衛門は春日村と京を行き来する途上、古屋笹又地区の谷間の、渓流に山積する「さざれ石」を発見、「これは珍しい石、目出度い石である」と、見たまま、感じたままを詠んで奉った。その歌が

わが君は千代に八千代にさざれ石の
いわをとなりて苔のむすまで…

の一首である。
都では「見かけぬめずらしい石であり、かつまた秀歌である」として、「古今集」(巻七賀の歌)にこの歌を採用した。

しかし、当時、石位左衛門は身分が高くなかったので、詠み人知らずと発表された。後に、この歌により位を得た。すなわち、石に関連し、石位左衛門と改名した。
石位左衛門という名は、古来類例のない特異な名前である。この地方の藤原一族の男子元服時には申し渡しの儀式が行われ、長老による先祖由来の申し渡しでは今も「先祖の石位左衛門は歌詠みで、朝廷から歌によって位を賜った」と伝えられるという。

ところで「さざれ石」は海外にも渡っている。そして筆者も「さざれ石」にいささか関わらせていただいた。さざれ石発見者のご子息・故小林文治氏らと共に、台湾高雄に新設の東方国際学院(四年制大学)にさざれ石を寄贈し、また台北の烏来郷・高砂義勇隊慰霊碑への奉納、そしてパラオ共和国ペリリュー神社への奉納もお手伝いさせていただいた。

この床置用の「さざれ石」は小林文治翁から水屋神社に奉納していただいた折、私個人に頂戴したものである。これを眺める度に小林翁の在りし日のお姿が目に浮かぶ。
思うに、私心の無い立派なお方であった。



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