ただ今修行中!言いたい放題ブログ!

30歳で転職を決意し、やりたいことが見つかり、遅まきながら起業を志ざす。目下IT企業で修行中!

「大食漢」・・・のようだ!

2006-11-30 22:26:09 | Weblog

少し自慢!「大食漢」・・・のようだ。本日は誕生日前日ということで、昼食を私の大好きな先輩2人(トップ営業マンの人と、私の直属の先輩)にたかる。「当然おごってくれるんですよねー。」連れて行かれた店が、豚の角煮がうまいボリュームたっぷりの店。私は普段から昼食は3杯飯で(私と一緒に食べに行ってくれる先輩や同僚は気を使っていつもお代わりが自由な店に連れて行ってくれる。)、よく食べるとうわさ・・・。(飲むと食べる量は一気に減るのだが。)本日はお代わり自由な店ではないが、定食が大きなお皿に盛られてる。(記念に写真を撮れば良かった。)先輩達が「このお皿2杯挑戦しろよ。そしたら全おごりだ。」と乗せられ、食べられるかどうかわからないが挑戦。店員はかなりビックリした模様。「本当に2皿食べるんですか?大丈夫ですか?」周囲のサラリーマン達は、「おいおいこいつマジかよ。」と横目で笑ってる。先輩達は当然周囲の反応を見て、大笑い。2杯目が出てきた際は、「食べられるかな~。」と思いつつ、結構難なく食べられた。(帰り際に「次は3杯だね。」とか「セブンのおにぎり20個挑戦だな。」と言われた際は、流石に少し苦しかったが・・・。)

でも、我ながら、本当にどこに入ってるんだろう。レントゲンで一度撮ってみたい。タバコを辞めればもっと入るのだろうか?でもタバコを辞めていないから、太っていないのか?うまいものを食べている時は至福の時である。やっぱりバリバリお金稼がないとなー。

 


11月の反省と12月に向けて

2006-11-30 22:05:03 | Weblog

11月当初の目標

仕事面目標:①1週間で5件の営業訪問を達成すること②新規営業案件1件の受注③金融専門のコンテンツの商品付議

結果:①は達成。スムーズに訪問アポが取れた。中にいて提案書を作成する時間と訪問のバランスがよかったと思う。②1件自己啓発研修で受注。1件はほぼ取れているがまだ確約が取れず。まだまだ打率が悪いが今月としては合格。③1件生命保険会社のアポが入り、金融専門コンテンツが作れそうだが、商品付議はまだ。4日に業者を呼んで話し合いをする予定。

教養面:①映画・美術館巡りを実施②本は4冊読破③クリティカルシンキング研修で着実にアウトプットを出す

結果:①映画は思いを寄せている女性と観に行った。楽しかった。美術館巡りもしたかったが、中々休日に行く気になれず。②本については、6冊読破。腐蝕生保(上・下)。「NO1理論」、「MBAクリティカルシンキング」、「ハイコンセプト(あたらしいことを考える時代)」「戦国武将の言葉」、合格。③クリティカルシンキングについては研修は参加して課題も出しているがアウトプットは満足せず。不合格。

生活面:①規則正しい生活(朝は6時半に起床)②整理整頓③家計簿を溜めない④毎日新聞を読む(10月は若干ためた。)

結果:①規則正しい生活は少し夜寝るのが遅く、朝起きるのが億劫。不合格②整理整頓は出来ている。合格。③家計簿溜めない→溜めている。不合格④毎日新聞を読む→合格。

10月に比べて、11月は精神面で落ち着きを取り戻し、仕事・生活・教養面ともに地味ながら、着実にこなせた感がある。総体的には満足のいく月だった。

12月の目標:

仕事面:①受注確約2件目標(訪問自体は時期的に受注をしなければならない案件が絞られてきており、年末にも入り、8日~13日に上海に行くことを考えても、自動的に抑え気味になると思われる。)②仕事のスピードを速めて残業を25時間以内に抑える。(11月後半から、だいぶ速くなってきたことを実感。)③金融コンテンツの商品開発を進める。

教養面:①クリティカルシンキング研修で合格を取る。(いよいよ今月が最後。)②本を4冊読破。③小説をとにかく書き始める。④映画か美術館巡りを1件

生活面:①朝6時半に起床②仕事場の整理整頓(最近書類が散乱し気味。)③毎日新聞を読む

今月は明日が誕生日。12月8日~13日は妹の結婚式で中国へ。それ以外にも色々あるが、とにかく前へ進むべし。


「脳の不思議」

2006-11-30 01:29:10 | Weblog

本日「NO1理論」という脳の本を読んだ。いわゆる「プラス思考」になれというような本だが、内容が今までのものと違い、納得感があった。駒大苫小牧が2連覇する以前にトレーニングで取り入れられていたり、桑田真澄も活用していたようだ。本を読んだ感想としては、人間は誰しもが「マイナス思考」の産物だということだ。また、世の中も本来はマイナス思考になる環境・言葉が溢れているということだ。何かの拍子で天才だけがマイナス思考の呪縛から取り払われているのだが、たいていの人間は通常はマイナス思考。意識してトレーニングすれば誰もがプラス思考になれる。「プラス思考」にならなければならない。と考えている時点で実はマイナス思考。「成功イメージ」を映像で描くことが大事。

12月1日は誕生日。30歳の歳は転職もし、1年間の中では色々なことがあった年だ。身になった年と言える。周囲の人にも支えられた年だ。31歳は、「人の喜ぶ顔を見る。」ということを心がけて過ごしたい。(そのほうが心も洗われるしね!)


本日は平穏日。

2006-11-28 23:03:34 | Weblog

本日はタスクも順調に進み、明日に備えての企画書も早く終え、新聞もつつがなく読み、超平凡な日と相成った。

自民党復党問題。どうなんだろう!一体全体。「政治家にポリシーはないのか~。」と叫びたい。そりゃ政権政党に入らなければ自分のやりたいことも出来ないことはわからなくはないが・・・。

 


「ほりえもん」・「瀬戸際」

2006-11-28 00:29:36 | Weblog
「ほりえもん」が裁判所で無罪を主張しているらしいが、少しがっかりだ。真実はどうなのかは確かにわからないが、裁判で白黒はっきりさせて、たとえ白を勝ち取っても、ここは潔く、「社長に全ての責任がある。」と割り切るべきだ。(理屈で考えてもそうだ。粉飾決算などは社長がチェックするべきことで、チェックを怠っているのは社長の責任となるはずだ。)「ほりえもん」にとっては、今までの地位や名声が失われ、罪を認めると再起が出来なくなると思っているのかもしれない。確かにあれほど世の中で持ち上げられたのだから、出所後は身を切る思いで辛い気持ちになることもあるだろう。ただそれでも今後の人生を考えた時に逃げるべきではない。人を殺したわけではない。(確かに株主に迷惑はかけたかもしれないが。)本当は言いたいことも山ほどあるだろうが(世の中理不尽だとも思っているはずだ。それはわかる。)ぐっとこらえて、罪を認め、この経験を後に活かせる時がきっとくる。支えてくれる人もきっと現れるはずだ。(そしてその時に支えてくれる人こそ、ほりえもんが多分、一番人生で大切にしなければならない人達で、そういう人と巡り会えることが、人生で大きな喜びと安らぎを見出してくれるはずである。)元々、才能はある人である。私ごときが偉そうに言えることではないかもしれないが、ほりえもんが新しい何かを掴むかどうか、瀬戸際である。裁判で白で出てきても、今回はほりえもんは負けである。むしろ今回は、きれいな負け方にこだわったほうがよい。

「手紙」

2006-11-26 21:48:46 | Weblog

昨日は、思いを寄せている女性の友人と2人で、映画「手紙」を観に行く。沢尻エリカの給食の職員から美容の専門学校生、主婦の様変わりがわろた。(主婦のイメージを出そうというのはわかるが、あのサザエさんカットはないだろ・・・。)関西人としては、沢尻エリカの関西弁が全然なってなーい!というのも気になった。映画館は今まで行った映画館よりも静まり返っており、横では泣いている人間もいたようだ。私はというと、主人公の企業の会長が「差別は存在する。しかし君はここで生きていくんだ!」という言葉を主人公に投げかけたシーンとラストシーンは少しぐっときたが、山田孝之の憂い役があまりにはまっているところと沢尻のサザエさんカットに意識がいって、泣くほどではなかった。本はもっと細かい描写もされており、泣けるようだ。

小説や映画を見る度に、「書いてみたいなー」という気持ちが募る。高校2年生ぐらいまでは少し書いていたが、それからご無沙汰。仕事はやることが多くて忙しいが、効率を上げて、そろそろ本気で書いてみようかな~。


送別会

2006-11-24 22:57:03 | Weblog
本日は、6年間も部門で働いてきた人間の送別会。私も仕事でお世話になった。同じ部署ではなかったので、関わりは仕事だけだったが、その先輩の6年間の道のりを考えると感慨深い。しかし飲み会はしんみりとはせず、中々に楽しい飲み会だった。「おとなしくて上品な人が多いな~。」という印象だったけど、そればかりではない。皆それぞれ砕けたところがあって、魅力を改めて再発見。まだ完全に一つにはまとまっているわけではないとは思うが、この雰囲気を醸し出せる職場なら、間違いなく、いいものが出来上がると確信がもてた飲み会だった。お世辞抜きで本当に良い人々に囲まれていると思う。感謝の一言!

‐「覇道」と「王道」‐⑥時代に対する私の提言

2006-11-24 01:29:38 | Weblog

「覇道」と「王道」について述べてきたが、最後に3つの事柄について、提言したい。(思いつきの要素もあるので、あしからず。)

外交政策=これは各新聞でも言われていることだが、「ソフトパワー外交」を長期的には推し進めたほうがいいのではないかと思う。キーは「文化を通した民衆の国際交流」だ。ちなみに現在の日本はいい線をいっている。エネルギーやポップカルチャーなど、「エコロジー」・「文化」の観点で自国の商品なりサービスをいかに世界に広めていくかはこれからの世界をよくする上で重要な外交政策になるのではないかと考えている。というのが、それらは大衆に受け入れられて、初めて広まる性質のものであると同時に(政治力や軍事力などを一部の権力者達に突きつけるものではない。)、核とは違い、人々(他国の人々)を幸せにもする。そして権力者達の暴走を許しにくくする。(このことが重要だ。)例えば、民衆レベルで輸入された日本文化が他の国にとってすごく魅力的なものだとする。(経済の公平性から、人々は文化支配という気持ちにはならないだろう。)もしその国の権力者が「覇道」の論理で暴走しようとすれば、日本が文化の輸出を辞めるとする。そうすれば、情報化社会が進んでいる世の中だ。自然と「覇道」の論理で動くその政治家は国民の支持を失い、失墜するだろう。(北朝鮮や日本の江戸時代のように情報統制が完全に行われている社会には通用しないが。)その行動に対して更に核で脅すような政治家が権力のいすに長く座れるとは思わない。「武力」に対して、「武力」という「覇道」の論理の泥沼にはまらずに済む。「文化」を通して、民衆レベルでその国が認められる状態にすることは、自然に権力者に民の声を大事にして外交をしなければどのような事態を生むか?ということを意識させることになる。理想論だが、このような外交を現在の各国のFTA交渉を通じて、志向すれば、もっと世界の外交は民衆の意見を反映した形になるのではないだろうか?現在の情報化社会の進展とグローバル化はそれを可能にしている。

社長の選び方=今までは通常、社長が後継者を選ぶ時は、「現社長が選ぶ」というのが通説となっていた。私はこの制度には大いに問題があると思っている。ダイエーの中内功氏が自分の息子を社長にしたり、腐蝕生保でも、弱みを握られた社長が後継者選びでどう考えても社内の支持を得られていない人間を選出し、それから会社が傾いている。そして、そのような構図が内向きの派閥抗争や権力争いを生み、その世界で生きる人間を活き活きと働きにくくしている。「会社は誰のものか?」ということを考えた際に、株主・顧客・従業員(正確には取引先も含む)と考えた際、中立な外部の構成員で選挙委員会を設置し、選挙委員会が不正をしないように国が監査機関を設けて監査を行う。そして株主・従業員・顧客でそれぞれ重みを均等割りした選挙を行うのである。(重みは変えてもいいかもしれない。)選挙の立候補自体は、ある基準を設けて(政治力が働かず、業績に昇格が左右される係長ぐらいからが好ましい。)その基準がクリアされれば、誰もが出来る権利がある。株主はまだしも従業員の投票は当然無記名投票が前提だ。(後ほど、「お前、俺に入れなかったら、後から権力の座から引きずりおろすぞ。」という余計な圧力がかからないように。)立候補する際に、「お前、立候補したら、もし落ちた後は、この会社にいられなくするぞ。」という無言の圧力が社長に何が何でもなりたい人間からかかる場合もあるが、それについてのリスクはヘッジされうる。そして、最後に不特定多数の顧客の投票。投票率を上げるための工夫はいるが、ネット等で、立候補者のこれからの会社に対しての政策や人となり・ポリシー等の討論会を流し、それを題材に顧客に投票をしてもらう。そこでは「どのような財やサービスを提供してくれるのか?」ということから、その人間の考え方や品格、単純に好感が持てるかもてないかというところまで、顧客はチェックして投票をするだろう。社長決定のプロセスに、より多くのステークホルダーを巻き込むことで、社長決定の中立性が保たれ、権力の座に座るための裏工作が格段に減るだろう。そして「立候補した人間」については、経営的な観点から自分の考えを述べることになり、それは公表されることになるので、たとえ落選しても、その考えが素晴らしければ、次の選挙にも出られる可能性はあり、不当な扱いを受けても他の会社が引き抜いてくれるだろう。もし、顧客・従業員からその人間の考えが支持されていれば、当選した人間もその人間を無下に扱うことは、自分の首を絞めることになることがよくわかるはずだ。立候補前の圧力・落選後の自分の処遇を気にする必要性は薄くなる。従業員・株主・顧客も自分達が選んだ社長だ。その社長が公約を守るかどうか?ということについても厳しい目を向けるようになるだろうし、更には良い意味で協力もするようになるだろう。業績が傾いた際に、「株主も従業員も顧客も自分達が選んだ社長」という観点から、「何故選び方を間違えたのか?」という振り返りもするようになり、選び方の精度も増すだろう。私がもし会社を作るようなことになれば、後継者選びには、真っ先にこのようなシステムを導入することをアナウンスする。取締役もそれで選んだほうが良いと思っている。社内の無駄な権力争いは一気に減り、株主・従業員・顧客といった外部に役職が上がれば上がるほど、目を向けなければならなくなるだろう。権力の腐敗を防ぐために、任期も3年と決める。(勿論再立候補も本人の意思で可能だ。)

人の採用面接の際に(特に男性の場合は)、会社との利害関係の薄い「おかま」や「女性」「銀座のママ」等を入れる。そして明らかにかなりのレベルで酔うまで飲ませて、面接を行う。(私がおかまバーでもてたから言っているのではない!)これからは女性の時代だと思っている。「だから女性に好かれるように努力しなさい!」ということでは決してない。正確には「女脳」の時代だ。「男脳」と「女脳」の違いについて、特徴的な一つの事柄を挙げよう。男性は「役職者」を前にした際に、緊張する。その人間の肩書きに服する生き物だ。女性は逆に「役職者」を前にしても、緊張は男性よりもしない、肩書きに服さないのである。男性が何故、肩書き者を前にした際に、緊張するのか?それは、「この人間に嫌われたら、ややこしい話になって、自分の出世に響くかもしれない。」と本能的に思うからである。女性の場合は、「この人間に嫌われても、いざとなればやめればいいや。私にとってついていく価値のある男かしら?」という目で見る。(いい意味で好き嫌いで判断するのである。)(と私は思っている。)女性の場合でも、「結婚」となると役職や肩書きも要素に入ってくる場合もあるのだろうが、その気持ちがない場合は、いくら肩書きがすごかろうが、役職が上だろうが、自分がきらいな人間とはあまり接さない。(前職でもその傾向は顕著だ。前述したA氏は、肩書きも実績もあり、老人だが容姿もそれほど悪くはなかった。但し、女性に慕われていたか?という観点から言うと、嫌われてはいなかっただろうが、近寄られてはいなかった。比較して悪いが、森首相と小泉首相はどちらが女性にもてるだろうか?投票したら、小泉首相になるだろう。)そして、その視点が私はすごく重要だと思っている。人を「採用」という観点から見る際に、「考え方」×「能力」×「情熱」ということで見ることが重要だと思っている。(この部分は「稲盛和夫」に賛成だ。)男性は、どうしても過去の実績(能力)とか「情熱」に目がいきがちな生き物である。そして採用される側の男性も「出世」を意識する生き物だ。しかし「出世」という観点から見た際に「能力」×「情熱」がプラス値で、「考え方」がマイナス値な人間が「出世」すると周囲が不幸になる確率が高いのである。また始末の悪いことに、どこかのタイミングで必ずこのように思う。「俺は能力もあり、情熱もあって実績も上げているのに、何で出世させてくれないんだ。」そして次にこのように思う。「能力と情熱もあって実績も上げているのに出世しない。政治的な考えも必要ということか?ではうまく立ち回ろう。」OR「派閥を作って、現経営陣を転覆させてやる。」かくして、この考えに凝り固まった人間は、顧客を見ずに、社内裏工作に走る。それを感じ取って疑心暗鬼になる者、茶坊主のようについていく者が現われ、組織が駄目になっていく。漠然とした言い方だが「せこい」「男らしくない」のである。だからと言って、「自分が扱いやすい。」「トーンが合う」人間ばかりを採用していても、組織は自分の器以上に大きくならないし、自分自身の成長もない。そこが微妙なさじ加減を要するのだ。(「考え方」のベクトルは合っているが「細部が違うのか?」「ベクトル自体が違うのか?」を注意深く見極める必要性がある。)そこを男性は意外と見落とす生き物なのだ。特に業績を上げたい・人が欲しい時は見落としがちになる。そして女性は、人を見る際に肩書きではなく、このような判断を必ずする。(と思っている。)それも本能的に。目が肥えた「おかま」や「銀座のママ」等は、特にこのような人間を見る目は肥えているはずだ。「考え方」の浅さは経験等でどうにでも補完されていくが、「考え方」の間違ったベクトルを変えることは、「能力」をつければつけるほどに、困難がつきまとう。(歴史が証明しているだろう。オウムの麻原・ヒトラーなどは情熱と能力は充分にあったのである。金正日もそうだ。それは極論としても、麻原・ヒトラー予備軍は存在しうる。自分自身も心が弱いので、友人がいなければ「考え方」がそちらのベクトルに流れる危険性も充分に孕んでいることを自覚している。)人を採用する際に、「考え方」×「情熱」×「能力」の重要な部分を見落とさないためにも、この採用方法はお勧め出来る。

「エゴ」はなさ過ぎても駄目だし、ありすぎても駄目だ。「エゴ」のコントロールが一番難しい。そして、ベクトルを間違わないためには、根底には「美意識」が必要だ。これも言葉でいうほど簡単なことではない。自分の「美意識」が狂った際に、それを指摘してくれる人間、指摘してくれなくても自然に矯正を促される人間、それが私にとって一番大事にしなければならないものかもしれない。

 

 

 

 

 


‐「覇道」と「王道」‐⑤時代の求めるもの

2006-11-23 14:05:29 | Weblog
「覇道」が流行らず、「王道」が求められる理由として、人間の欲望が高度化していることが挙げられる。現在、日本では経済的格差の問題が述べられているが、よほどのことがない限り(例えば健康を害さない限り)、職を選ばず、支出面で生活レベルをコントロールすれば、「食えず」に死ぬことはない。「覇道」の論理には、「お前、力のある者に逆らったら、はじき出されて食っていけなくなるぞ。」という論理が根底にある。(まあ「食っていけなくなるぞ」→「収入が減るぞ」「周囲からの尊敬が得られなくなるぞ。」という論理にすりかえられることもあるが。)渡辺パコさんとも話をしていたが、会社を興して、潰して借金を背負ったとしても、よほど変な潰し方をしなければ、それなりに生きていくことは可能で、再生も可能なものである。このような社会では、人間の欲望は高度化する。大前研一が訳書「(ハイコンセプト)新しいことを考え出す時代」でも述べているように、経済の競争要因は、「過剰な豊かさ」「アジアの低賃金労働者」「ITやロボットによるオートメーション」の3つの要因から、商品・サービス競争にしても、人材の価値や獲得競争にしても、「デザイン(格好いい・美しい)」「物語(その商品・人間の生まれた背景・生きてきた背景が見える・反映されている。)」「調和(先見性・全体感・異質なものを調和させる能力)」「共感(話を聞く力・行間を読み取れること。曖昧なもので人々が共感するものを生み出せる能力)」「遊び心(遊び心はオリジナリティーを生む。)」「生きがい(使い古された言い方で言えば、自己実現。生きる意味。楽しさ。)」といったところが、ポイントになってきているのである。私自身を見ても、私の周囲を見てもそうだ。「食っていけるか?いけないか?」という観点で転職を考える人間は少ない。それよりは漠然と「自分にいるにふさわしい場所なのかどうか?」という次元で転職を考える人間が多くなってきたことは、上記の時代背景を写しているといえよう。マネジメントの観点からいくと、単なる「給与」「待遇」を整えるだけではなく、「成長感」「達成感」「自分が組織や世の中の役に立っている・必要とされている」「能力発揮感」「職場の明るさ」「職場の人間が面白い。」など、高次の欲求が満たされないと、有能な人間ほどつなぎとめられなくもなってくるし、ひきつけられなくもなってくる。(有能な人間ほど、よく考えもするし、いくらでも収入の高い職は見つかるからだ。)最早、ベンチャー企業は「若くして責任のある地位につき、高い収入がもらえる」大企業は、「安定している。」という単純な論理だけで、人は動かなくなってくる。そしてそこの部分をマネジメントすることは、「システム思考」(いわばコンピュータが代替出来る。)ではなく、もっと人間の人間たる部分を使わなければ、マネジメントが出来ない。「覇道」の論理で「力」で人をつなぎとめようとしても、「生きていけるし、もっと自分が活かされる場所もある。理屈はわかるが、楽しくない。」ということで人は離れていく世の中だ。商品・サービスについても、「機能」「価格」による競争は、差異化要因として薄れている。「マーケティング」「経営戦略」の論理でさえ、昔よりも多くの人間に知れ渡っている。そんな中で差異化要因となるのは、上記6つの要因に代表されるような、「ちょっとやそっとで真似されにくいもの」「コンピュータで代替できないもの」「理屈を学びにくいもの」に変わってくる。

「覇道」の論理は、「お前守ってやるから、言うことを聞け」の主従関係。主が頭であり、従はその頭脳の言うとおりに動くことが求められる。軍隊のような生死に常に隣り合わせの組織の場合は、そちらのほうがよいかもしれない。(優れた大将であることが前提だが。)創造性は主だけで充分だ。しかし、情報にしても人にしても、流動性と多様性が激しい世の中では、一人の天才的な戦略家の頭脳だけで勝ち残れるはずはなく、組織の構成員一人ひとりが自然と調和を保ちつつも、創造性を発揮しなければ勝ち残れない。最近流行のキーワードとして「アメーバ経営」ユニクロの柳井会長が「究極的にはこれからの世の中は皆が個人事業主のように働くことが求められる。」現在の職場のコンセプトである「自律型人材」また多様性を前提としたマネジメント「ダイバーシティーマネジメント」という言葉が上がってきているのも、その兆候の一つと言えよう。しかし創造性の高いメンバーを集め、創造性を発揮させるには、マネージャーはある程度の「自由」を容認しなければならないのだ。これまでの「全てを掌握」し、テイラー的な「行動管理」をするというスタンスでは、人は創造性を発揮しない。反抗的と思えることでも自由に意見が言える雰囲気を醸成していなければ、創造性もへったくれもないだろう。その世界では、「権力欲」に基づいた「覇道」の論理よりも、「仁・信(信念)・勇・厳・知、そして人に対しての愛情・優しさ・思いやり」に基づいた「王道」の論理が求められるのである。


‐「覇道」と「王道」‐④情報化の進展と小泉選挙・アメリカ外交

2006-11-21 23:58:57 | Weblog

「覇道」が現在、流行らない理由について述べさせてもらうと、やはり「IT革命による情報化社会の到来」が挙げられる。特に最近の動きとして、誰もがブログで情報を発信できたり、コミュニティーサイト(ソーシャルネットワーキング含む。)が立ち上がっているのは大きい。

情報化社会がもたらしている「覇道」と「王道」に関わる社会現象を取り上げると、①アメリカ外交の限界②小泉首相の郵政民営化選挙における大勝を挙げたい。

①アメリカ外交の限界=最近のイラク戦争・北朝鮮・イランの核問題・テロについてのアメリカの対応を見ると、これまでの軍事力を背景にしたアメリカ外交の限界が見える。何故、アメリカ外交がうまくいかないのか?テロ・イラク戦争にしても、やり口が高度化している。これは、アメリカで開発された軍事力もすぐに技術移転されたり、技術移転されないまでも情報が漏れて、対策が取られてしまうことに関係していると思われる。更に、軍事力以外でも、情報の流れが速いことにより、経済的な技術もすぐに他国に移転され、昔ほどアメリカが経済力でも幅を利かせられなくなってきた。(中国・ロシア・インド・EUが力をつけてきたのである。)これらの現象のバックボーンにあるのが、IT革命により、情報がこれまでよりも速く広範に流れることに関係しているだろう。北朝鮮にしてもイランにしても、アメリカと利害が対立する各国を味方につけて(正確には味方にはつけてはいないが、うまく利害関係を結んで)アメリカが単独で実力行使が出来にくく、交渉を進められている。アメリカはこれからも軍事力の強化をしようとするのだろうが、敵もそれを受けてこれまで以上に技術を高度化させ、「イタチごっこ」の様相を呈している。最早、「力の論理」だけでは、世界を治めることは出来なくなっていると思われる。(イスラム教VSキリスト教の宗教戦争にしても、結局はお互いがお互いを認められない、認めてくれないからこちらも認めないという感情論が根底にあり、今まではその感情論を抑えるのに経済や軍事力を使ってきたのだが、限界であることは、これまでの国際情勢を見ても明らかだろう。)北朝鮮問題に関しては、韓国の融和政策を私は指示はしないが、情報化の進展により、世界的に富や技術に差がつきにくくなっている昨今では、「覇道」の論理による外交政策は最早、時代遅れと言わざるを得ない。では、これからの国際協調においては何が必要なのか?それは後日詳細を述べる。

②小泉首相の郵政民営化選挙の大勝=小泉首相の郵政民営化選挙の大勝については、私も故あって、直接選挙活動に携わっていただけに思い出深い。現代の流れを象徴した出来事だったように思う。というのは、小泉首相は一見「覇道」の論理で動いているように見えるが、私からすると「王道」の論理で動いていた。というのは、永田町の実力者達をどうして封じ込められたか?というと、小泉首相のバックボーンは圧倒的に「国民の支持率」がよかったことである。その力を持って、文字通り「自民党」の派閥政治をぶっ壊した。「大衆の支持率が良い。」ということはどういうことか?実は、あの選挙の勝因というのは「郵政民営化」が正しいか正しくないか?というよりも小泉首相が「俺は郵政民営化が成し遂げられれば殺されてもいいんだ。」という覚悟とそれに基づいた行動が、国民に「小泉首相は骨がある。今までの政治家とは違う。」「何かをやってくれそうだ。」という期待を国民に抱かせたことだと思う。「ウェブ進化論」でも言われていたが、選挙前のブログを見ると誰が見ても「小泉支持派」が多かったようだ。「ブログ」は情報発信に規制はない。論理の飛躍があるかもしれないが、「王道」をいく人間の特徴として、「利害関係の薄い人間から何となく支持を受ける」「熱烈なファンが存在する。」ということが挙げられると思う。小泉首相は派閥に属さず、自分の危険を顧みず、信念を前面に出した。急進的なきらいはあったかもしれないが、変化を求める時代の空気と相まって、利害関係のある派閥政治家ではなく、国民を味方につけた。その媚びないアピールは「王道」である。そしてそれを可能にしたのもITによる情報化社会の進展により、政治家の人となり・発言がこれまでよりも多角的に国民に伝わるようになったことが背景にある。会社で例えて言うなら、派閥政治家は、社内政治でのし上がった権力者だが、小泉首相は社内政治でのし上がった権力者よりも、「末端の従業員や顧客の支持」を強烈に得た人だったのである。今までは会社でも、下に対しての受けはよくなくても、一部権力者から気に入られていれば、権力を持つことが出来たのが、これからの時代は、逆に一部権力者やキーマンにたとえ嫌われていたとしても、「顧客や従業員」の支持を得ている人間のほうが社内で影響力を持つことが出てくる可能性が大だと思っている。それも情報化社会のなせる業だ。今は不特定多数に対しても、自分と考えを同じにする人間に対しても、コミュニケーションが自由でかつ浸透しやすい時代である。「覇道」の論理で敵を作ったり、「覇道」の論理で権力者に近寄って「ゴマすり」をして、それが組織内で疑心暗鬼を生み、一般従業員に支持されないと、それはいくらでも糾弾される環境が整っている。また大衆から支持される人間を上に上げないと業績が下降する可能性を今の企業環境は大いに秘めている。(このことについても詳細は後日述べる。)そして、一般大衆に支持されるには、逆説的だが、「ポリシー」をはっきり持っていること、欠点も長所も含めて「本物」であることまたはそれを伝えられること等が、重要になってくる。いくら人格者ぶっていても、「偽物」はすぐにばれてしまうのが、今の情報化社会だ。それは大衆も本能的にわかっており、少しぐらい欠点があってもそれをオープンにして、「私はこのように欠点はあります。以前はこのような悪事も働きましたし、このような失敗もしました。でもこのように今は考えて生きております。」と言い切れる人間のほうが、信用がおけるのである。仮に多くの人間に受け入れられなくても、大衆にもロングテール理論が働いており、ファンは出来やすい。(無理に八方美人ぶらないことだ。それはすぐにばれてしまい、逆に信用を失う。そんなに完璧な人間はいないことは多くの人間がわかっている。情報化が進展しているからこそ、嘘や情報のコントロールはその瞬間はうまくいっても、今まで以上に嘘に対してのアレルギーは強く、ばれた時にしっぺ返しを食らうことになる。)そのような時代では、「この人よく考えているな。」「この人面白いな。」「この人頼りがいがあるな。」「この人、人間として筋が通っているな。」「この人、人間として魅力的だな。」と嘘ではなく思われる人間であることが必要だ。漠然とした言い方だが、演技ではなく、「本当の人間力」をつけることが大事なのである。そして、それが力となる時代になってくる。(魅力的・面白い・頼りがいがある・筋が通っている・などはスキルと比べて、定量化しにくい極めて曖昧なものである。しかしその曖昧なものが重要になってくるのだ。それも後日詳細に述べる。)