ごめり語。

ごめり・りんご・「   」

会長への詫び状

2012年03月20日 | 日記
会長というのは、自治会の会長のことです。そして、詫び状というか、まぁ、ラブレターです。むろん実際に会長が読んで下さるわけではありませんが、自治会(町内会)の会長って、普遍的な存在でしょ。権限はなく、見返りもなく、文句ばかり言われて、本当に損な役回りの、誰もやりたがらない役職だと思います。きっとそれはどこの地域でも同じことなのではないでしょうか。なので、各地の会長さんの労に感謝、というわけで、以下、とりとめのないことを。

さて、今現在野田総理が置かれている状況と、自治会(町内会)会長のポジションって、案外似ている部分もあると思いますが、どうでしょう。というのも、自治会活動って、今の日本の社会の縮図そのものだと、少なくとも私はそう感じることが多かったからなのです。

「本来行政が行うべきサービスを、どういうわけか自治会が担っているという矛盾でした。むろんそれには良い点、悪い点両方あるのでしょうが、自治会の問題はすなわち、行政の問題なのだと思いました。」

去年私は、自治会の役員のアンケートに、上記のように書きました。村社会のような共同体意識とか、隣組の伝統って、実はまだ残っているんですね。良い悪いではなく、それが日本の特徴なのではないでしょうか。それは、はからずも、去年の震災の時にも証明されたと思います。

「本来○○が行うべきサービスを、どういうわけか△△が担っているという矛盾でした。むろんそれには良い点、悪い点両方あるのでしょうが、△△の問題はすなわち、○○の問題なのだと思いました。

○○や△△には、いろいろな単語が当てはまると思います。国と県、持ち株関係、電力会社・・・。場合によっては介護の世界もそうです。介護は家族が行うべき、なんて考えの方、いますでしょ。

共存関係。寄り合い的な構造。責任のなすりつけ。そして、無関心層の存在。そういう構造的な問題に、意識的にならざるを得ません。いろいろな部分で歪みがでてきているじゃないですか。人それぞれの思惑や欲にいちいち対処していたらキリがないじゃないですか。

結局何が言いたいのかというと、小さな問題を解決することが、大きな問題を解決することにつながる、ということです。つまり、文句ばかり言っているような方は、是非、先ずは自治会の会長でもやってみて下さい、と言いたい。だって、身近にもうんざりするような現実がたくさんあるんですから!近所のゴミ捨て場の問題なんて、瓦礫の受け入れの問題と根は全く同じです。先ずはそこからですよね、という話です。

会長は、あえて、多数決による採決をしない方でした。どこまでも満場一致にこだわっていました。それはそれは凄いことだと思いました。つまり、それだけの言葉の力と、人間的な器の大きさがあったということなのですから。同時に会長は「よきにはからえ」の精神を持ち合わせていました。つまり会長だって、人と較べて自分がベストだと思っていたわけではなかったと思うのです。だからこそ、先ずは人の意見にしっかりと耳を傾け、信用信頼してからは、任せるべきところは任せ、責任は自分で負う、はいうスタンスを貫くことができたのだと思います。

われわれの生活に関係があることは、賛成か反対かというイデオロギーで考えてはいけない。大切なのはトータルで物を見る総合的な合理性である>この養老孟司先生の言葉を今一度深く噛みしめたい今日この頃です。我々にできる唯一のことは、誰がトータルで物を見る総合的な合理性を持った人なのかを判断して、託し、任せ、責任を分かつ、ということなのではないでしょうか。

ともあれ会長、3年間どうもお疲れさまでした!

コメント    この記事についてブログを書く
« サプライズ結婚披露宴! | トップ | そういうものなのかなぁ »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事