ALTER EGO

La vie est belle sauf la mienne?

le 25 juillet

2016年08月07日 | Ma vie
J'avoue que j'ai complètement oublié de toi, ou presque. Pas une goutte de larme, pas de requiem de Mozart... C'était en 1994, ça fait depuis 22 ans, depuis que tu es parti.

le 31 juillet
Finalement tu es revenu avec ton Mozart, merci d'être venu, je croyais tu ne reviendras jamais plus, 22ans après, c'est peut-être normal... En écoutant ton Requiem, les yeux fermés, j'ai revu ta tombe sous un arbre, les caractère rouges ton nom, sur pierre blanc. Je pense toujours à toi, même après 22ans, je ne sais pas c'est quoi, c'est peut-être l'amour. Reste encore un peu avec moi mon amour chéri mort, j'ai oublié même ton visage, ta voix, mais cet sentiment, ce peut-être-l'amour....

生まれてきた理由

2016年08月07日 | Ma vie
6月15日

夕刊を取りにいくときに西の空を見る。沈みかけた太陽。空の色、雲の輝き。「この大空に翼を広げ」って、歌があったっけ。あの夕日の沈むところへ飛んでいきたいといつも思う。

Condamnée à vivre. いつまで続くんだろうこの罰ゲームは。まだ終わらないのか。早く終わってくれればいいのに。もうよくわかった。けっきょくわたしにはこの地上に居場所はなかった。誰にも愛されず誰も愛さなかった。それがわたしの「価値」だった。価値のないことがわたしの罰だった。

たぶんこの世は美しく、人生はすばらしいものだったのだろう。しかしわたしがそれを身をもって知ることはなかった。その美しいこの世で、人がすばらしい人生を送るのを、ひとが生きるているのを、ただはたで見ていた。けっして自分では生きることができないのがわたしがこの世に生まれて来た理由だった。タヒチに似ている。人はみんな美しい島だという。天国のようだと。わたしにはちがっていた。

おまえには価値がないとわたしに言い続けた母はやはり正しかったのか。それともそんな母の子供として生まれたことがそもそも罰だったのか。いったいどんな罪を犯してこんな罰を受けたんだかわたし。

サンデー毎日の日常

2016年08月07日 | Ma vie
いつも時間に追われている。人の行動に自分の行動を大きく制限されている。毎日したくないことと、しなければならないことだけをしている。それだけで疲れはてる。

掃除も洗濯も食事の支度と後かたづけも、すべて人まかせ。生きていく上で人がしなければならないことを何もしなくても生きていける。あなたのそのご身分がわたしにはどうしても納得できない。あなたは仕事から解放されて「自由の身」になって、せいせいしているかもしれないが、わたしはこの仕事から解放されるどころか逆に負担が増えている。あなたが死ぬかわたしが死ぬかしない限り、わたしがこの負担から解放されることはないのかもね。

疲れてくると、ものをハンブルする、落とす、ひっかける、奥までものをきちんとおさめられない。同じフレーズを執拗に繰り返すだけの今どきの「音楽」にイライラする。話す時にどもったり、相手の話をさえぎって話しはじめるやつにイライラする。それが煮詰まってくると、これまで経験したことのないような激しい怒りになる。ものをたたきつけて壊したい。人をはり倒してやりたい。誰でもいいから人を殺したい。もちろんこれは思うだけだが、ものを壊すことはある。

怒りの爆発は多くの場合、取るに足らない小さなことがきっかけになって起きる。つまり論理的ではまったくないところが通常の怒りとは違う。その他、どうでもいいことで落ちこんだり、どうでもいいことを心配したり、不安になったり、精神がおそろしく不安定になる。

時系列2016前半

2016年08月07日 | Ma vie
1月 父の命日を前に墓参り。墓守をしてくれているおばさんに連絡してみた。3歳か5歳ころ会ったことがあるらしいが、記憶はまったくないので初対面と同じ。母のようにゆがんでいない、ふつうに優しくふつうにあたたかい人だった。父の話をいろいろしてくれた。母がいつも言うように「好きだなんて一度も思ったことのない、最低な男」ではない父。

2月 特になし?工房に1回行ったらしいけど。

3月 「円空仏を彫る」に行ってみた。想像以上によかった。うまくできたし楽しかったし。わたし才能あるかも。そのあと、我流でスプーンを2本作ってみた。ただ、どうやって続けていったらいいのかわからない。

4月 18日トド実家へ。しばしサンデー毎日の休戦。衣類や本の処分。「ドイツ語講座」を始めてみた。こんどスイスに行ったとき少しでもわかるように。スイスのドイツ語はまた別らしいけどいい。

4月下旬、下の階に入居したやつがうるさい。足音、話し声、ドアの開閉。やつがいなくなってわずか10日でこれだよもう。おかげでせっかくのおひとりさまなのにぜんぜん楽しくない。前のうちに住んでいた時のことを思い出すと暗然とした気持ちになる。あの時はもっとひどかったけど、基本的には同じ。あのうちから逃げるためににここに引っ越してきたのに、またうるさいんならここにいる意味がない。なぜか亡くなった掃除のおじさんのことを思い出す。おじさんなら何とかしてくれたかな。何と言うかな。またどこかに引っ越すのか。けっきょくどこにも安住の地はないのか。静かに暮らすことはできないのか。

5月 ドイツ語講座行ってるけどいまいち。たぶん学生か院生のバイトよね。「悪い」人ではないが経験も知識もない。たぶん語学講師としての教育は受けていない。代わりに Earwarms を聞きながらせっせとウォーキング。こっちは楽しい。

イヤホンをして歩くやつは道を譲らない。譲られても感謝はしない。人のことをまるで自動ドアみたいに思ってるようで嫌いだったが、自分でイヤホンをしてみるとなるほど道なんか譲らなくなる。譲らないでずんずん歩いていけば、ぶつかる直前に譲ってくれることがわかった。と、つまんないことを学習。

6月 3日ボトックス注射。17日トド帰還。ドイツ語どうにか続けてたけど最後の2回は放棄。これを何十年続けても話せるようにはならない。27日、サンデー毎日の再開後わずか10日でまたキレた。

下の階の住人は、うるさい時間帯がだいたいわかってきた。その間はテレビやCDの音を大きくする、窓を開ける。雨の日は困るんだけどね。うるさい仕返しをしてもむだ。うるさいやつに限って自分はうるさくないと思っている。自分ちではなく、ひとんちがうるさいと思うだけ。ただドアを閉めるときに遠慮はしない。時にはかかと歩きもする。お風呂は深夜に入ってあげる。聞こえてるといいな?おじさんがしばらくいて助けてくれた。またどっかに行ってしまったけど忘れないよ。冥福を祈ってる。ありがとう。また来てね。

あんなに楽しかった円空さんも、ドイツ語もけっきょくそれっきり。何だかなぁ。


7月 サンデー毎日の酸欠金魚、息もたえだえ。
Il faut sortir ou faire qch, sinon je vais termine comme ça une esclave de cet affreux. JE VEUX CHEZ MOI, A MOI SEULE. Chez moi ou je pourrai mourir seule.

誕生日

2016年08月07日 | Ma vie
誕生日だよわたし。
おめでとう、といつも父はメールをくれた。母はどうか知らないが、少なくとも父はわたしの誕生を喜んでくれていたような気がする。もうメールは来ないけど、いつももらってたことは忘れない。ありがとう。

今年はなぜかメッセージをいっぱいもらった。みんな、ありがとう。