2009年4月23日(木)
9/11事件以降、捕縛したテロ容疑者を、イラク国内のAbu Ghraib刑務所と、キューバのGuantanamo Bay刑務所に収容し、きわめて「厳しい尋問」を行ってアルカイダの関与を取り調べ、幹部の逮捕につなげる情報の収集に当たり、「成果」を挙げたとするのが、当時のブッシュ大統領や、チェイニー副大統領、ラムズフェルド国防長官の一貫した主張であった。
ブッシュ政権当時から、捕虜に対する非人道的な取り扱い(abusive detention)や、過酷な取調べ方法(abusive interrogation)についての映像や証言が世界のメディアに流出してきたが、これらの残虐行為は、ラムズフェルド長官の言葉のように、“the work of a few bad apples”(少数の腐ったりんごの所業)に過ぎないと片付けられてきた。
オバマ大統領は、すでにこの問題については、「拷問」と位置づけその行為を禁止するのみならず、「拷問メモ」(torture memos)と称されるブッシュ政権の秘密文書を公開(declassified)させた。この文書こそ、”enhanced interrogation technique”(強力な尋問方法)と、婉曲表現された拷問の実行指示書である。Enhancedとは、すでに明らかにされているように、目隠しされた捕虜に水をかけ続け窒息の恐怖を味合わせるwaterboardingと呼ばれる「拷問」を含んでいる。
当初オバマ大統領は、拷問行為を許可し実行したものを訴追しない方針であるとしてきた。しかし昨日発表された上院軍事委員会の報告で、2年間の調査内容が公開されるにおよび、その立場を変更し、訴追するか否かは、検事総長の決定次第であること、さらには拷問を合法的行為であると法的な根拠を与えた者たちは訴追されるべきであると、民主党内部の左派や、人権団体からの圧力に応じる政策に転じた。
オバマ大統領は、軍部やCIAからの、「秘密情報の公開や、実行者の訴追がその軍事作戦の実行を困難にさせる」との強力な反対に抗し、「良い拷問」の存在を肯定するに等しいことはできないという政策原点に回帰したのである。
オバマ大統領が、「拷問国家の汚名」を返上しなければならないという差し迫った局面に追い込まれて、アメリカの民主主義国家としてのイメージ回復を、優先課題として前面に押し出したことを、世界と歴史は評価するであろう。
9/11事件以降、捕縛したテロ容疑者を、イラク国内のAbu Ghraib刑務所と、キューバのGuantanamo Bay刑務所に収容し、きわめて「厳しい尋問」を行ってアルカイダの関与を取り調べ、幹部の逮捕につなげる情報の収集に当たり、「成果」を挙げたとするのが、当時のブッシュ大統領や、チェイニー副大統領、ラムズフェルド国防長官の一貫した主張であった。
ブッシュ政権当時から、捕虜に対する非人道的な取り扱い(abusive detention)や、過酷な取調べ方法(abusive interrogation)についての映像や証言が世界のメディアに流出してきたが、これらの残虐行為は、ラムズフェルド長官の言葉のように、“the work of a few bad apples”(少数の腐ったりんごの所業)に過ぎないと片付けられてきた。
オバマ大統領は、すでにこの問題については、「拷問」と位置づけその行為を禁止するのみならず、「拷問メモ」(torture memos)と称されるブッシュ政権の秘密文書を公開(declassified)させた。この文書こそ、”enhanced interrogation technique”(強力な尋問方法)と、婉曲表現された拷問の実行指示書である。Enhancedとは、すでに明らかにされているように、目隠しされた捕虜に水をかけ続け窒息の恐怖を味合わせるwaterboardingと呼ばれる「拷問」を含んでいる。
当初オバマ大統領は、拷問行為を許可し実行したものを訴追しない方針であるとしてきた。しかし昨日発表された上院軍事委員会の報告で、2年間の調査内容が公開されるにおよび、その立場を変更し、訴追するか否かは、検事総長の決定次第であること、さらには拷問を合法的行為であると法的な根拠を与えた者たちは訴追されるべきであると、民主党内部の左派や、人権団体からの圧力に応じる政策に転じた。
オバマ大統領は、軍部やCIAからの、「秘密情報の公開や、実行者の訴追がその軍事作戦の実行を困難にさせる」との強力な反対に抗し、「良い拷問」の存在を肯定するに等しいことはできないという政策原点に回帰したのである。
オバマ大統領が、「拷問国家の汚名」を返上しなければならないという差し迫った局面に追い込まれて、アメリカの民主主義国家としてのイメージ回復を、優先課題として前面に押し出したことを、世界と歴史は評価するであろう。