しっかりした構造ができあがっていた東京のライブシーンに、函館からやってきたなんの後ろ盾もないGLAYが割り込むのは、なかなか難しかった。
東京のライブシーンは、城の石垣みたいにびっしりと隙間なく埋まっていて、僕らが指を差し込むための小さな隙間を見つけるのすら大変だった。
二年間地道な活動を続けても、観客動員がせいぜい十人というのはそういう事情があった。
僕たちだって東京に育ったら、自然の流れでどこかのバンドのローディになり、派閥にも入っていたかもしれない。けれど、今更という感じはあったし、自分たちがしがらみの世界に巻き込まれるのは嫌だった。
【記事引用】 「胸懐/TAKURO・著/幻冬舎」