故郷に暮らす、親友から、同級生の訃報を知らせるメールが届きました。
もう、40年以上も経過してるから、よほど親しかった幼馴染や、同級生でもない限り、もはや、顔のイメージすら、上手く思い出せなくなりました。
しかし、いつか来た道は、かつてのある日、きっと、共に歩いたことのあるはずの道です。
もはや、遠い記憶の中にしか存在しない、幼馴染や同級生の訃報は、封も切らずにほっておいた、手紙のようです。
その消印を見た途端、ハッとしてしまう、そんな、後ろめたい気持ちになるのは、なぜ、でしょう。
都会の暮らしは、底なしだから、いつからか、僕は僕の記憶の中でしか、生きることをしなくなっていました。
もう、東京の暮らしが、遥かに長くなりました、すると不思議なもので、遠い記憶の中にしか存在しないはずの、いつか来た道を、夢に見ることが、多くなりました。
そして、この先、いつかのある日のある季節に、僕の訃報が、遠い記憶の中にしか存在しない幼馴染や同級生の元に、届くのでしょうね。
つまり、人生とは、誰かと、いつか来た道、なのです。