宇宙へ向かう自転車屋さん

ちょっとゆるめに、時々真面目に、真理を求めて心の旅を続けるブログです。

「知に光( 日)を足して、智を身につける」という話し

2016-10-16 07:19:53 | ひとつの考え方
こんにちは。

こちらのブログは「たまぁ~に更新」なんですけど、最近、見てくださる方が増えてきて、恐縮しております。どうもありがとうございます。

更新のスピードはあまり変わらないかもしれませんが、どうぞよろしくお願いいたします。


とある機会で

【知識が人の成長の役にたっていない】(?)

という話題があり、そして

【知識(の知)にはヒカリが不足している】

と続き、【知】にヒカリである【日】をいれた【智】が正しくて、現代人は「智識」を磨いた方がいいという話しでした。


「ことば」、さらには「漢字」や「発音」には様々な解釈があって難しいので、こちらの方向へは拡げませんが、大変興味深い視点で、感覚的に面白いと思いました。


文字の分解とか成り立ちは脇に置かせていただき、いわゆる「言霊」と言いますか、様々な事象に込められていたはずの「タマシイ(ヒカリ)」が、私たちの日頃の生活から抜けているのではないか、そんな指摘に共感するところがあります。


街でルール違反している自転車乗りの人々を例に挙げてみます。

中島は、自転車の街頭指導や店先で、ルール違反者に指導をする機会があるのですが、二人乗りやヘッドホン利用などの分かりやすい違反に物腰ていねいに接してみると、ほとんどの人がバツが悪そうにして、素直に従うか、理解を示して下さいます(まぁ、「わかってるから」といいたげに走り去られるわけですが…)。

ルール違反をする大方の人を見るにつけ(一部の少数派を除くと)、とある思いにたどり着きました。コレです。

ルール違反をする人々は、ルールを知らないのではなく、

「ルールを知っているにも関わらず、違反をしている」

という事です。

知っているのです。ルールを。そして、蔑ろ(ないがしろ)にしているのです。

ルールを守らない、守れない理由は、個々に、もっともらしく、いくらでも出てくるでしょう。

例えば、「誰も見てないから」という理由(?)を「影(かげ)」とします。


対照して、そうするとルールというのは「公(おおやけ)」のもの、または、「光」と見ても良いでしょう。


ほら、テーマに戻ってきた!

面白くなってきましたね。

「知識に光が当たってない」と。


お仕事の時間となりました。面白い話題なので、もう少々続きます。

この続き、また次回のまな板の上で!(武田鉄矢さんラジオ、今朝の三枚下ろし風)

続きます。
















夜の街を、無灯火で自転車を走らせる人に例えてみましょう。

中島の経験ですが、ほとんどの人が「無灯火は違反」と知りながら

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