「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

二子山親方と若貴の確執(3)

2006年05月31日 19時24分52秒 | Weblog
 
(http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/35613848.html からの続き)

 若貴確執報道のたびに、花田勝氏(元若乃花)が経営する

 「Chanko Dining (ちゃんこダイニング)『若』」が取り上げられます。

 「若」は3年前に第1号店が開店して以来、現在なんと16店舗。

 新宿店は僕も見てきましたが、年々億単位で売り上げを伸ばし、勝氏の実業家としての手腕はかなりなものらしいです。

 それに加え、若貴騒動による「若」へのマスコミ取材の、コマーシャル効果も多大でしょう。

 この1年間で10店が舗増え、今年中に27店舗にする計画だとか。

(「若」の鍋の野菜には、“カブ”が一杯入ってるなんて冗談もありました。( ^^;))

 勝氏は相続放棄によって株が上がり、相続分を上まわる実入りを得たのではないでしょうか。
 

 一方、貴乃花部屋の現在の力士数は11人。

 幕内・十両はおらず、去年の3月から入門者も一人もいないとのこと。

 今のところ、兄弟で明暗が分かれてしまっている感じですが、

 部屋や力士を育てるのは大変時間がかかりますし、見守っていきたいものです。

 人生はまだこれから長いので、違う道を歩きはじめた兄弟が、それぞれの世界で花を咲かせることによって、

 互いに認め合い、歩み寄ることができていくのではないでしょうか。
 

二子山親方と若貴の確執(2)

2006年05月30日 00時08分19秒 | Weblog
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/35572045.html からの続き)

 今日が二子山親方の命日です。

 若貴の確執には、相撲協会の体質問題もからんでいたものの、

 兄弟がいがみ合うのは、二子山親方は望まないことでしょう。
 

 1年前、貴乃花は立て続けにテレビ出演して元若乃花を批判していましたが、元若乃花は終始沈黙を守りました。

 二子山親方の遺産問題では、元若乃花が相続を一切放棄し、完全に軍配が上がった感じでした。

 大横綱の貴乃花でしたが、土俵の外では元若乃花のほうが番付が上だったようです。

 土俵の中で二人が1度だけ対戦した、世紀の兄弟優勝決定戦は、元若乃花の勝利でしたが、

 相撲協会が相撲人気を盛り上げるために図ったという、八百長疑惑が取り沙汰されています。

 僕も当時、貴乃花の負け方を見て不自然さを感じましたが、八百長など思いもよらなかったので、

 兄弟同士だとやっぱりやりにくいのだろうかと、自分を納得させていたのでした。
 

 1周忌法要で、若貴は1年ぶりに同席しました。

 TV映像では二人は顔を合わさず、言葉も交わさなかったようですが、貴乃花は昨年と異なり食事会に出席しました。

 列席した親族の話によると、会食中に二人は和やかなムードで話していたとか、

 貴乃花が会場を去る際、見送る兄に振り返り会釈したとか。

 焼香のときの座席も、昨年は離れていたのに、今年は夫妻同士隣り合って座ったとか。

 時間と共に、わだかまりが解けてきたという証言もあります。

 雪解けの気配が漂っているのでしょうか。

 二子山親方も草葉の陰で、兄弟の和解を願っていることでしょう。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/35682386.html  

二子山親方と若貴の確執(1)

2006年05月29日 11時38分49秒 | Weblog
 
 きのうは故・二子山親方の一周忌法要でした。

 僕は二子山親方の現役時代・貴ノ花と、3代目若乃花(花田勝)の大ファンでした。

 当時関脇同士だった貴ノ花と輪島が、千秋楽で水入りの激闘を演じ、

 二人で大関同時昇進した時から、貴ノ花の取り組みは一番も欠かさず見てきました。

 若乃花も、入門時の若花田,貴花田の時代から、ずっと見続けてきたものです。
 

 僕が浪人の時、通っていた予備校の餅つき大会に、大関貴ノ花が招かれました。

(8ミリを持って撮影しましたが、何故か全然写っていませんでした。(T.T) )

 無口な貴ノ花でしたが、笑顔で受験生に手を振っていたのが今でも目に浮かびます。
 

 元の二子山部屋は、僕のアパートの近くにあります。

 いま親方が眠っている天桂寺は、元二子山部屋のすぐ近くで、閑静な町なかのお寺です。

 1年前の葬儀の日、僕はマスコミが引き上げた頃を見計らって、親方のお墓参りに行きました。

 お墓の前にはまだ取材陣が少し残っていましたが、カメラマンが撮影の合間、僕に手を合わせる場所を譲ってくれ、

 二子山親方の冥福を祈りました。
 

 昨年の今ごろは、若貴兄弟の確執を連日TVで放送していましたね。

 僕は全部見逃すまいと、ビデオまで撮って見ていました。 (^^;)

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/35602250.html
 

こんなことありますか?(1)

2006年05月28日 18時25分51秒 | Weblog
 
 過日新宿へ行った時、歌舞伎町のメイン通りで、僕の前をジーンズのミニスカートの女の子二人が歩いていました。

 そのあと色々用事をすませて夕方帰る時、歌舞伎町のメイン通りから駅へ行く横断歩道で、

 昼間の女の子二人組が再び僕の前に。

 そんなことは他にもありましたが、ある日それが2回も重なりました。

 新宿の紀伊国屋のエレベーターで、僕の前に髪の毛がテカテカした女の子が立っていました。

 小1時間 本を物色して帰りのエレベーター、目の前にまたさっきのテカテカ頭が。

 その日の夜、新宿駅へ向かう地下道で、前方に特徴的なブーツのかっこいい女性が、女友達と二人連れで歩いていました。

 僕は途中のロッテリアに入り、二人連れは駅へ向かいました。

 しばらくすると、あのブーツの女性が僕の目の前を通ってロッテリアから出て行きました。

 彼女は友達と別れた後、わざわざ戻ってきて僕と同じ店に入ってきたことになります。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/35705098.html
 


「明日の記憶」

2006年05月27日 18時17分04秒 | 映画
 
 渡辺謙が主役を演じる、若年性アルツハイマー病の映画です。

 原作は荻原浩の同名小説。

 監督は、あの「トリック」「ケイゾク」の堤幸彦です。

 主人公の佐伯雅行は、働き盛りで大プロジェクトを担当し、娘も結婚を控えて充実した日々を送っています。

 ところがある時、記憶の減退などの症状が現れ、仕事に支障をきたすようになってしまいます。

 そして「若年性アルツハイマー」の診断。

 決して誰しも人ごととは言えない、明日の我が身に降りかかってもおかしくはないことなのです。

 人間の人格は記憶の上にこそ成り立っているとも言えます。

 その記憶が次第に失われていき、新しい明日の記憶は積み重ねられていくことがない。

 しかも若い時期に発症する認知症は、社会の第一線で活躍している最中に起きるため、

 仕事や人間関係・生き甲斐の喪失,一家の経済的な問題,長い将来への不安など、切実な問題があります。

 僕は自分にも病気や事故などの不幸は、不平等に訪れるものだと思ってはいるのですが、

 実際そんな現実に襲われたら……?

 その恐怖は果たしてどんなものでしょう? 

 そのとき、家族やパートナーはどうしていけば……? 

 人が生きる意味とは……?

 作品はそんな問いかけをしますが、樋口加南子が演じる妻は、いつまでも夫と一緒にいて、夫を支え続けていくのです。

 そんな愛情の存在が横にあったら……独り身の僕としてはとても羨ましい限りです。

 人は独りでは生きていけませんよね。

 そして、人は「生きている」ことが大切なのだと、作品は訴えてくるようです。

 幾つかのシーンでぐっと来て涙を覚えました。
 

 心子も、自分が自分で分からなくなったり、記憶を失ったりという症状に苦しみました。

 彼女の生と死も、僕に生きることの意味を問いかけています。

 そして、愛情の大切さというものを教えてくれたのでした。
 
 

 トリッキーな映画やドラマ作りをしてきた監督・堤幸彦が、

 人間精神の重厚なテーマに真正面から向き合い、本格的な作品を作り上げました。

 オーソドックスな構図やアングルで映像を語っていきますが、

 ここぞという場面では、不安定なカメラワークで観る者の神経を揺さぶり、面目躍如というところです。

 主人公が自分の居場所が分からなくなるシーンなどでは、

 混乱する精神状態と襲いかかる恐怖を、見事な演出で表現していました。

 堤幸彦の新たな境地の開拓でしょうか。
 

ダブル・マイノリティ

2006年05月26日 11時36分55秒 | 心理
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/35419716.html からの続き)

 セクシュアル・マイノリティの人の中には、TGであり、かつ身体障害者( ex.脳性麻痺)であるという、

 「ダブル・マイノリティ」の人もいらっしゃいます。

(僕も以前、その方とパソコン通信で会話を交わしたことがあります。)

 人の手を借りずには生きていけない上、TGであることを言えずに、人知れず悩んでいるのです。

 差別を受けてきた身体障害者の間でも、セクシュアル・マイノリティは差別されるという構図があります。

 差別意識自体は、元来人間にある自然な感情だと言えます。

 それは、「知らない」「馴染んでいない」というところから出てくるものだと、僕には思えます。

 正しい知識に触れ、メディアなどを通して当事者の姿を目にすることによっても、

 偏見や差別は次第に少なくなっていくでしょう。

 どんなセクシュアリティの人がいても当たり前で、共に生きあう社会を求めていきたいものです。
 

セクシュアル・マイノリティ

2006年05月25日 19時41分23秒 | 心理
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/35176161.html からの続き)

 セクシュアル・マイノリティの人々は、社会的にも多くの制約を受けています。

 戸籍の名前や性別の変更は、ようやく認められるようになりましたが、かなり厳しい条件が求められます。

 例えば、性同一性障害の人が性別を変更するのに必要なのは、次の条件などです。

○20才以上である

○性別適合手術を受けている

○結婚していない

○子供がいない

 仮に、多くのことを犠牲にして性別適合手術を受けても、すでに結婚している人は、離婚しなければ性別変更ができないという場合もあります。

 そうすると、社会的には以前の性の束縛から抜けられません。

 性別の変更ができないと、結婚,就職,住居の賃貸,医療の受診,海外渡航,免許取得,投票など、多くのことに困難をきたします。

 同性愛者カップルも、法的に夫婦として認められて保護されず、一般の配偶者に保証されている様々な権利を得られないでいます。

 海外では、結婚に準ずる「パートナーシップ」に関する法制度が、整備されている国もあります。

 様々な価値観,ライフスタイルを持つ人々が、それぞれ自分の生活に合った制度を、選択することが可能な社会が求められるのではないでしょうか?
 

 戸籍やパスポート,履歴書などあらゆる場合について回る「性別」。

 しかし、「男」「女」、そのどちらの蘭にも○を付けられない人がいるということを、我々は覚えておきたいと思います。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/35448313.html
 


誕生日に心子の墓参り--心子が舞い降りた場所(2)

2006年05月24日 11時30分03秒 | 心子、もろもろ
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/35275980.html からの続き)

 実は心子が亡くなった直後、心子が泊まった部屋を見せてほしいとホテルに頼み、一度は了承されました。

 しかし数日後、ホテルの上司が電話に出て、やはり部屋に入るのは勘弁してほしい、ということになってしまいました。

 その代わりに、当日の事情を詳しく教えてくれましたが、考えるに、後追い自殺を恐れたのではないかと思ったりしました。

 それ以来、部屋の中を見ることができなかったのです。

 ただ、何年か前ペントハウスへ行ったとき、たまたまベッドメーキングをしていて、スタッフが姿を消したすきに、部屋に忍び込んだことがあります。

 でもその時は戦々恐々として、ゆっくり見定めることができませんでした。

 きのう、心子が降りた位置を最終確認できましたが、部屋に入っていたのをホテルの人に見とがめられ、“不審尋問”されてしまいました。 (^^;)

 心子が旅立った場所の、2~3メートルの違いに拘ってしまうのですが、身内を事故で亡くした人の多くが、最期の場所や状況をつまびらかに知りたいと願うものです。

 そのことで、先立った人の今際の心に、少しでも近づける気がするのです。
 

 
 ホテルをあとにして、心子のお墓の最寄り駅の花屋さんで、鉢植えを買いました。
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/32656319.html 参照)

 例の店員さんはもうすっかり覚えてくれていて、僕を見て向こうから「こんにちは」と挨拶してくれました。 (^^)

 心子の話をしたら、自殺ということを最初は驚いていましたが、境界性人格障害のことなど、とても熱心に聞いてくれました。

 この店員さんは以前お葬式関係の仕事をしていて、人の生と死を大事なことと思っているそうです。

 拙著のチラシを渡すと非常に関心を持ってくれ、さっそく買って読んでみると言ってくれました。 (^o ^)/

 色々な出会いを不思議に思うと言っていましたが、僕のほうこそ本当にありがたく思いました。
 

誕生日に心子の墓参り--心子が舞い降りた場所(1)

2006年05月23日 21時02分17秒 | 心子、もろもろ
 
 今日はσ (^^;)の誕生日です。

 大台に乗ってしまいました。(・_・;)

 今月は17日の月命日に都合で墓参りに行けなかったので、今日会ってきました。

 その前に、昼は寿司の食べ放題に行きました。

 フランス料理のような懐石風の創作寿司のコースで、何品かの料理の他に寿司の食べ放題があります。 (^^;)
 

 それから、心子が最後の夜を過ごしたホテルに、1年ぶりに寄りました。

 去年ホテルへ行ったとき、心子が飛び立った場所が、今まで思っていた所と数メートル違っていたことに気付きました。

 このホテルは構造上、心子が降りた地点が、建物の内外から非常に分かりにくいのです。

( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/32860791.html
  http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/32942311.html 参照)

 去年はホテルの人に部屋の間取りを聞いたり、建物の内外を何回も昇り降りしたりして、調べたのでした。

 ところが今日、心子が泊まったペントハウスに行ってみると、全部屋が空いていて、ドアを開けて風通しをしていました。

 チャンスとばかりにこっそり部屋に“不法侵入”し、窓から外を見ました。

 最初は怒られないかびくびくしながらでしたが、胆をすえてじっくり確認しました。

 それからまた、地上に降りて、ホテルの人にも位置関係などを聞いたりしました。

 その結果、心子が飛び降りた箇所は、やはり最初に思っていた所だった、ということが分かりました。

 去年は部屋の中には入れませんでしたが、今年は直接部屋の中から目視したので、間違いないでしょう。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/35327483.html
 


インターセックス

2006年05月22日 19時43分09秒 | 心理
 
(http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/35083625.html からの続き)

 染色体や胎児期のホルモンの関係で、生まれる時に、男性器とも女性器とも判別できない外性器を持っていたり、

 精巣と卵巣の両方を持っていたりする場合があります。

 「インターセックス」(半陰陽/間性)と言われる人々です。

 生物的な性でさえも、男と女に二分はできません。

 これらの人々は出産時、医師や親によって、男か女の一方に無理やり振り分けられます。

 外性器にメスを入れられることもあります。

 しかし、戸籍上の性と成長後の性自認が食い違って、成長してから

 性的自己同一性の危機(ジェンダー・アイデンティティ・クライシス)を引き起こすことがあります。

 子供の性を大人の恣意で決めないで欲しいという、それらの人々からの切実な声があるのです。

 彼らはその存在さえ、多くの人には知られていません。

 インターセックスの人も、この世には男と女しかいないということになっている、「ジェンダー社会」の被害者と言えるでしょう。

(続く)
 

ゲイ,ホモ,おかま

2006年05月21日 19時39分05秒 | 心理
 
(http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/34978380.html からの続き)

 男性同性愛者のことを「ゲイ」と言います。

 「ホモ」は蔑称なので気を付けなければいけません。

 「おかま」というのは俗称で、きちんとした定義はありませんが、これも蔑称です。

(本人が自分で「おかま」と言うのはいいのですが。)

 女っぽく振る舞う人をおかまと言うのか、ゲイも含めるのか、はっきりしないと思います。

 ゲイの人を含めない場合は、トランスジェンダー(TG)の人ということになりますね。

 もちろんTGの中にも同性愛の人はいますが、TGと性的指向はそれぞれ別の位相です。

 最近はおかまを自任するタレントや、“ニューハーフ”(俗称)も芸能界などでは市民権を得て、もてはやされたりしています。

 しかしTGであることを周囲に話せず、アイデンティティを確立できずに、孤独で苦しんでいる人は沢山いるでしょう。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/35176161.html
 


セクシュアル・アイデンティティ

2006年05月20日 12時32分57秒 | 心理
 
(http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/34916426.html からの続き)

 自分が男か女かという意識が「性自認」(セクシュアル・アイデンティティ)です。

 これも二者択一ではなく、グラデーションとして存在します。

 性自認が両性にまたがっている人、どちらでもない人、時間とともに変化する人もいます。

 さらに、手術を受けて男性から女性の体になったTS(トランスセクシャル)の人でも、

 性自認は男であるという人さえいるのです。

(カルーセル麻紀はこのケースだといいます。)

 若い人のなかには、自分の性自認や性的指向などが、自分でもはっきり分からない場合もあります。

 しかし、それを急いで決める必要はなく、じっくり自分と付き合いながら見つめていけばいい、と言われています。

 早計に決めてしまって性別適合手術を受け、結果的に手術後の体に馴染めず、自殺してしまう例もあります。

 従って、性同一性障害の治療に際しては、充分なカウンセリングを受け、時間をかけて向き合っていくことが必要です。

(続く)
 

性同一性障害(2)

2006年05月19日 19時14分14秒 | 心理
 
(http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/34816271.html からの続き)

 昨日の性同一性障害の児童のニュースは、今日の朝日新聞にも出ていました。

 イギリスのデータによると、6才前後で性自認が女である男子70人のうち、

 成長しても女性のままだったのは1人だけで、あとは男性に戻ったということです。

 幼ければ幼いほど、元の性に戻る可能性が高いそうです。

 今後、件のニュースの女の子がどのようになっていくか分かりませんが、

 体型が変わってきたり、共同宿泊,入浴など、とても難しい局面も出てくるかもしれません。

 でも当事者間でじっくりと対応し、またとない教育の機会にしてほしいものだと思います。

 日本ではセクシュアリティに関する教育はほとんどされていませんが、一部で試みもなされています。

 子供は大人が心配するより案外抵抗なく、同性愛やトランスジェンダーなどを自然に受け入れるといいます。

 セクシュアリティの教育は、共生について学ぶことであり、互いに異なる人への理解や共感を育むことになるでしょう。

 それはセクシュアリティ以外の、様々な人々の価値観や多様性をも受容していくことにつながるはずです。

 くだんの女子を受け入れた小学校ならば、それができるだろうと思いますし、

 そこから、日本にもセクシュアリティの教育が広がっていけばと期待します。

 境界性人格障害のほか様々な障害を抱えた人や、マイノリティの人々が

 共に生きやすい世の中になっていってほしいものです。

(続く)
 

性同一性障害

2006年05月18日 17時13分52秒 | 心理
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/34698821.html からの続き)

 ちょうど今日のニュースやワイドショーで、性同一性障害の小学生の男子が、

 女子として通学することになった、というでき事を報じていました。

 専門医もこの子を性同一性障害と診断しているようですが、

 年少者の場合の性同一性障害の症状は、思春期になったり、成長してからは変化してくることもあると思います。

 この専門医も、慎重に将来を見据えていく必要がある、と言っているそうです。
 

 きのう書いた「トランスジェンダー(TG)」は、ライフスタイルから分けた性の問題ですが、

 性同一性障害は、自分の性別に対する自己認知である、「性自認」の面から見た分け方になります。

 「トランスジェンダー」の人たちの性自認は、TS,TG,TVの分類とは無関係なのに対して、

 性同一性障害の人は、自分の性に違和感や嫌悪感を持っていて、次のような症状が診断基準になります。

○自らの性を嫌悪,あるいは忌避する

○反対の性に対する強く、持続的な同一感

○反対の性としての性役割を求める

 その程度が強くなるに従って、

 「性別違和症候群」 → 「性同一性障害」 → 「性転換症」となっていきます。

 「性転換症」は、きのうの記事の分類では「トランスセクシュアル(TS)」、

 つまり、性別適合手術(性転換手術)を望む人ですね。
 

 一昔前なら考えられなかった、性同一性障害への理解も広まりつつあるようですが、

 ニュースの女の子の今後を、静かに見守りたいものです。

 日本で初めて性別適合手術を行なった原科教授が、手術の記者会見を開いたとき、

 マスコミに興味本位で扱わないよう、強く要請をしたそうです。

 そのお陰で日本では、性同一性障害は当初からかなり好意的に取り上げられました。

 境界性人格障害に対しても、何かこのようなきっかけがあればいいのですが。

(σ (^^;)が「境界に生きた心子」をうまく映像化などできれば……。)

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/34916426.html
 

性別を越境する人たち

2006年05月17日 22時44分00秒 | 心理
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/34637367.html からの続き)


 先日書いた友人がさらにメールをくれました。

 渋谷でセーラー服姿の男性に遭遇したとのこと。

 またエレベーターで男性同士のカップルに会ったという話。

 前者は「トランスジェンダー」,後者は「性的指向」の話です。

 体の性と、心の性・生活上の性が異なる人達を「トランスジェンダー」(TG)と言い、次の3つに分けられます。

1.トランスヴェスタイト(TV)

 異性装をすることによって精神が落ち着き、本来の自分に戻ったような安心を得る人。
2.トランスジェンダー(TG)

 何らかの形で戸籍上の性と異なる性で生活をしている人、またはしたいと望んでいる人。

 様々なライフスタイルの人達を含む。ホルモン治療をしている人もいる。

(広義には1~3を合わせてTGという。)

3.トランスセクシュアル(TS)

 手術を受けて戸籍上の性と異なる性になった人、またなりたいと望んでいる人。
 

 「トランスジェンダー」は、「性を超える」という意味ですね。

 TV,TG,TSの分類は境界線があるわけではなく、グラデーションのような彩りを見せます。

 また、戸籍上の性と異なる生活を、常に(フルタイムで)している人と、

 時々(パートタイムで)することで自分らしさを確認できる人がいます。

 あらゆるレベルのトランスジェンダーの人がいるということです。

 性は、決して男と女だけに分けられません。

 二元的な自明のものではないのです。

 これも現代のボーダーレスのひとつでしょう。

 また、男でも女でもない、第三の性が世界には存在しています。

 インドの「ヒジュラ」、北アメリカのインディアン社会の「ベルダシュ」などがあります。

 性別は生まれながらのものではなく、社会的に作られるという実例です。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/34816271.html