真夜中の映画&写真帖 

渡部幻(ライター、編集者)
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『キャノンフィルムズ爆走風雲録』と2度と吹かないだろう「時代の風」

2015-11-07 | 試写
 

 『キャノンフィルムズ爆走風雲録』は、イスラエルからハリウッドに向かいアメリカンドリームの実現を求めたムービー・ギャング二人組メナハム・ゴーランとヨーラム・グローバスの栄達と凋落を描いた秀作である。
 彼らの夢の物語は、例えば『スカーフェイス』(84、ブライアン・デ・パルマ)『グッドフェローズ』(90、マーティン・スコセッシ)などのギャング映画を思わせる勢いとハチャメチャさで、そのあまりにも映画的でフィクション的とも言える人生物語が滅法おもしろい作品に仕上がっているのだ。

 彼らが最も活躍したのは1980年代。チャック・ノリスの『地獄のヒーロー』や『デルタフォース』、シルヴェスター・スタローンの『オーバー・ザ・トップ』、ジョージ・P・コスマトス×スタローンの『コブラ』、トビー・フーパーの『スペース・バンパイア』などを何故か観に行ったし、いまも印象に残るが、同時に彼らは、映画祭で話題になるような芸術家肌の監督たちの作品にも出資。アンドレイ・コンチャロフスキーの『暴走機関車』、ジャン=リュック・ゴダール×シェイクスピアの『ゴーダルのリア王』、ジョン・カサヴェテスの『ラヴ・ストリームス』、バーベット・シュローダー×チャールズ・ブコウスキーの『バーフライ』、ロバート・アルトマン×サム・シェパードの『フール・フォア・ラブ』、リリアーナ・カバーニ×谷崎潤一郎の『卍 ベルリン・アフェア』、ノーマン・メイラー監督・原作の『タフガイは踊らない』などを製作したのだった。これらは必ずしも彼らの代表作とはいえないが、ちょっと驚くような顔ぶれなのである。

 そしてこのラインナップが象徴するのは、この時代の映画好きの若者にとって映画を観るということが、C級、B級からアートフィルムに至るまで――間違って「観てしまう」こともしばしばだったが――何でもむさぼり観ることであったという特有の時代状況だ。ビデオレンタルの隆盛、テレビの洋画劇場、ロードショー館とミニシアターと名画座、映画を楽しみ方が最も混乱し、多彩を極めた時代であり、いま思われているほどの分裂にはまだまだ到ってなかったと思える。このことは、さらに昔の映画人やファンにとっても同様で、例えば60年代にB級映画の帝王ロジャー・コーマンは、安物の娯楽映画と同時にイングマール・ベルイマンのアートフィルムをアメリカに輸入していた。ファンにしても国内外の、A~C級の娯楽映画、芸術映画、個人映画、実験映画、テレビ映画を、ごちゃまぜに観ていた人は多い。

『キャノンフィルムズ爆走風雲録』は、「映画」という娯楽であり芸術が、階級やジャンルの垣根をこえた刺激物としてかなり乱暴に観る者の前に投げ出され得た「最後の時代の記録」である。そしてその時代を駆け抜けた「最後の映画冒険家たち」の友情物語として感動的だ。「もう二度と戻らないだろう時代の風」に乗って彼らが製作した数々の映画は――控え目に言って――いわゆる「本物の傑作」はあまりない。いまとなっては知られていない作品のほうが多いだろうが、このドキュメンタリーに関して言うなら、「知らない」「興味ない」「観たが覚えていない」のいずれもに関係なくおもしろい。上出来のバディ・ムービーなのだ。


 一度は業界のトップに躍り出たこともある独立系二人組の友情と華々しき成功の物語も、しかしそう長くは続かない。それはままならぬこの世の摂理なのだ。キャリアが下降し、やがて悲しい決裂の時を迎えることになるのだが、このドキュメンタリー製作者たちは、あざといまでのラストシークエンスを仕掛ける。誰もが身に覚えあるだろう「過ぎ去った時の記憶」を「現在(いま)」に甦らせる映画の魔法が突如として立ち現れてくる。その予想外な展開のビタースウィートな感慨が、例えば『ニューシネマ・パラダイス』などよりよほど感動的で、思わずしみじみと人生を感じさせられるのだ。


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