カディスの緑の風

スペイン、アンダルシアのカディス県在住です。

現在は日本の古い映画にはまっています。

女の強さ

2013-04-02 12:06:25 | 文学





女たちは自分の中にほんとうの野蛮さをもっている。

男たちは思想的大家の犠牲者である。

彼らは盗作の、あとから学んだ態度の、性的、知的、

社会的態度の中にはまりこんでいる。

女たちが森に行くようになった今、

彼女たちは男たちよりも無限に自由である。



男たちは、1910年に女たちがそうであったように女性的である。

それに対して、われわれ女たちは1981年にふさわしいあり方で女性的である。

男たちは従い、女たちは新しく始める。

男たちがあやつるあらゆる論議は、後から学んだ論議である。

それに対して女たちは彼女らが発明する論議をもっている。



男と女の間で議論することは不可能である。

男たちは疲れていて、ほとんど病気であり、

少しばかり、自殺志向である。

彼らはほんとうの好奇心をもっていず、有罪感をもっている。

未来は女性のものだ。わたしは少し悲しみながらそれを言う。

なぜなら未来に二つの性がある方が好きだからだ。だが、

未来は女性のものだと思う。男たちはこうした病を病んでいる。

男らしさを病んでいる、まだまだある。



わたしは男たちが好きだ。それしか好きでない。



マルグリット・デュラス『外部の世界 アウトサイドⅡ』
クリスティアーヌ・ブロ=ラバレール編
谷口正子訳

「わたしはしばしば考えた……」 P.247 から抜粋
1981年のインタビューから









これを読んだとき、それまで胸の内でくすぶっていた思いが

スッと晴れていくのを感じた。


たしかに日本にも思想大家の犠牲者になっているのに、それに気が付いていない

男性が多い、と思う。


フランスやドイツの哲学者、思想家の書籍は、日本語の翻訳で読むのが普通だが、

語彙とその意味が非常にわかりづらく、難解である。


そういう難解な語彙を駆使するのが大好き人間を、わたしは知っている。

そしてそういう他人のたてた方程式をそのまま、盗作、して、文学を理解したつもりに

なっている自己満足な男たち。


でもわたしはもっと人間のDNAに近いところにせまって物事を解釈し、咀嚼し、

自分で感じ、考えて、それを自分の言葉で表現しなければ気が済まない。



やはり男と女の間には議論は成り立たない、デュラスはそれに気づいていた。






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