カディスの緑の風

スペイン、アンダルシアのカディス県在住です。

現在は日本の古い映画にはまっています。

成瀬巳喜男監督『浮雲』1955年

2013-08-29 21:47:47 | 映画












昭和21年初冬、南方からの引揚者が日本に上陸する。

その中に若い女が一人、混じっている。

焼け野原となった東京の町の、代々木にある一軒の家を

その女が訪ねていく。


家の主の名は「富岡」という男だ。

富岡の母、そして妻と思しき二人の女性が玄関に出てくる。

女は、農林省から使いにきた、と告げ、

奥から富岡が顔をだす。

富岡は女をみても別に驚いた表情もしない。

あ、君か、といった顔である。

しかし女の顔がほころぶ。

男のからだを目でそっとなでまわす。


二人は外に出て、歩き出す。ぼそぼそとお互いの近況を

たずねあいながら…。



こんな風にこの映画は始まる。二人の話の内容、そして

フラッシュバックによる回想場面から、この二人は戦争中

農林省の仕事で仏印に滞在していたとき、関係を結んでいたことが

次第に明らかになっていくのである。


女の名はゆき子。先に日本に帰国することになった富岡が、

別れ際に、妻と離婚してゆき子と一緒になる、という約束を

したのだ。ゆき子はその言葉を信じていた。

しかし実際には妻とは別れていない。


別れるつもりだったが、帰国してみたら、妻が待っていてくれた。

そんな妻と離婚できない、というような優柔不断な男なのだ。


帰国後、官吏になるのが嫌で、役所を辞めてしまった富岡と、

仏印へはタイピストとして赴いたが、今は無職で親戚の家に

居候になっているゆき子は、お互いに経済的に苦しい状況。


だがこの再会のときから、二人の腐れ縁が続いていく。



会えば愚痴のいいあい、ののしりあいになり、

喧嘩になる二人なのであるが、

いざ別れてしまうと、ゆき子は富岡が恋しくてたまらなくなる。



米兵の愛人になったり、かつて彼女の処女を奪った義兄に

金の無心をしたりしてしたたかに生きていかなくてはならない

ゆき子にとって、富岡に会えることは悦びなのだ。



先がない、と富岡は二人で心中しようなどと言って、

伊香保温泉にゆき子をつれて行くのだが、心中はあっさりとりやめ、

偶然知り合った飲み屋の主人、清吉と意気投合し、

清吉の家に二人は泊めてもらう。


しかし、清吉の年の離れた若い嫁、おせいに惹かれた富岡は

おせいと風呂に行き、そこで関係をもってしまう。



おせいとの仲を察したゆき子が、風呂場で見せる疑惑と嫉妬の表情。



ゆき子を演じている高峰秀子の眼光の鋭さ、しゃべり方、

しぐさ、そしてからだ全体からほとばしるような切ないエロチシズムと

激しい嫉妬がぴりぴりとするほどリアルに見る方に迫ってくる。


一方、富岡を演じる森雅之は、いわゆる「女たらし」なのであるが、

そのいやらしさを感じさせない品がある。そして中年にさしかかった

男の、どこか疲れた寂しげな表情が憎めない。














ゆき子を深く愛しているわけでもない。病弱な妻ともいまだ離婚していない。

おせいと関係をもったのも単なる成り行きである。


そんな富岡をなぜゆき子は追いかけ続けるのか。


そして富岡も口ではお互いに別の暮らしをしたほうがいい、と

いいながらも、ゆき子の電報での呼び出しに応じて会いに行くのである。


富岡とゆき子、二人ともあまりに似たもの同志なのだ。

だから憎くもあり、いとおしくもあり、

傷つけあいながらも求めあう。

しかし仏印で二人が見た夢は、儚い過去のものと化している。

求めあっても、もう夢は戻ってこない。

富岡はその点、醒めている。



ゆき子のほうは、嫉妬の火がめらめらと燃えて

恋心をつのらせる。

最初は富岡の妻への嫉妬。

しかし前歯に金をさした貧相な富岡の妻を見て、

ゆき子はこんな女が奥さんなの?とがっかりしながらも、

自分のほうが富岡の心をつかんでいるわ、という

自信があっただろう。


ただし、若いおせいには負ける。嫉妬が身も心も焦がす。


だからあっさりと富岡をあきらめきれない。

自尊心が許さないのである。


富岡のずるい性格を十分知りながら、

まるで身内のように許して慕い続ける。自分の存在の

よりどころでもあるかのように。




しかし東京にでてきて富岡と同棲生活をしていたおせいは

夫の清吉に絞殺されてしまう。

そしてまもなく富岡の妻も病死してしまう。


富岡は屋久島に農林技師としての仕事をみつけ、東京を去る、という。

義兄の金を盗んで富岡と再会したゆき子は、義兄の手を免れるため

屋久島について行く。しかし途中で体調を崩し、

とうとう鹿児島で屋久島行の船を待つ間、床に伏してしまう。


富岡への不信の気持ちは根強く残っている。

自分が知らないうちに、富岡は屋久島行の船に乗船して

しまうのではないか、と気をもむ。

別の女に手を出すのではないか、と疑心暗鬼でもある。


しかし富岡は回心したようにかいがいしくゆき子の看病をする。

もともと優しい人なのである。ただ、それが刹那的で、

女を見れば、抱いてやることでつかのまの幸せをやろう、

と思ってしまうような男なのだ。



大雨の中を二人は屋久島に到着するが、ゆき子はもう

歩くこともできないほど憔悴しきっている。

富岡が仕事で豪雨のなか、山に入っているとき

ゆき子は息をひきとってしまう。

知らせを聞いて家にかけつける富岡だが、すでに遅し。


富岡は人払いをし、ゆき子の顔をじっと眺める。

唇に紅をひいてやる。

ランプを近づけて、その死に顔を見る。

穏やかで実に美しい顔をしている。


そして、ゆき子、と名を呼びながら遺体の上に

富岡は泣き崩れるのである。













長い映画であった。しかし、どろどろした男女の情念の世界を描いているのに、

なぜか美しくさえ感じさせるのは、成瀬巳喜男監督の力量もあるだろうし、

林芙美子の原作と水木洋子の脚本の素晴らしさ、そして何より、

高峰秀子と森雅之という俳優のもつ独特の清潔感、知性の香りのせいだろう。



このように繊細な描写で男女の愛憎を冷やかともいえるほど突き放して

ドライに描いた映画は、世界にもそうまれにあるものではない、と

映画を観終わって、しばらくしてから実感がわいてきた次第である。



また、異国情緒のある不思議な音楽も、太鼓の音のような単調なリズムが

不安感を募らせ、映画の雰囲気をたっぷりと盛り上げている。





人によってかなり好き嫌いが分かれる映画だと思うが、

やはり成瀬巳喜男監督の代表作にはまちがいない。































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